私的TVゲーム批評第八回

昔のプログラマー達の超絶技巧プログラミングゲーム(メガドライブ編)

  現代のパソコン、及びゲームハードはソフト技術よりもハードの進歩スピードの方が圧倒的に早く、プログラムのノウハウやテクニックが蓄積する前に開発環境が激変してしまう。

  勢いソフトの質もハードの性能を頼んだ練り込みの浅いモノになってしまいがちで、一昔前のように優秀なプログラマが腕によりをかけた超絶技巧ソフトというのは発売されにくくなっている。

  ここでは、ちょっと前のプログラマ達がハードの性能をしゃぶりつくして作ったパガニーニ、リストの曲のようなゲームソフトを取り上げてご紹介したい。この回は、セガ・メガドライブを取り上げる。
 

メガドライブの概要

 
  1987年当時。セガマーク3が「アフターバーナー」、「エンデューロレーサー」等の、アーケード版とは似ても似つかぬ苦しい移植でハードの限界点を露呈しはじめ、それにともないユーザの鬱憤もどんどん蓄積されてきた。
 オリジナルの「ドラゴンクエスト」や「ファイナルファンタジー」がたっぷり遊べるファミコンならいざしらず、「セガのゲーセンゲームが家庭で遊べる」が売り文句のマーク3が、移植作で失態を犯しつづければ、ユーザの支持を得られないのも当然である。
 もちろんこの事情は当のセガもよく理解しており、マーク3及びマスターシステムに続く新しいハードを既に開発し始めていた。

 当時セガに比較的肩入れしていたマニアックなゲーム雑誌「Beep!」が、その予想スペックを誌上で発表し、セガファンの期待を集めた。
 内容といえば、「スペースハリアー、アウトランなどを再現するため、巨大スプライト機能が扱え、それを回転拡大縮小させる機能を持つ。同時発色数は512色程度、CPUはアーケードで主流のモトローラ68000を使用する。サウンド機能はFM音源を標準搭載」というものだった。
 上記記事を見た自分、「いくらなんでもそりゃ家庭用にゃ不可能だろう」という感想を抱いた記憶がある。
 1987年にNECから発売された新鋭ゲーム機、PCエンジンでは、512色の同時発色こそ既に実現していたが、スプライトの回転縮小拡大までは実現していなかった。
 ところが当時、セガハードの開発担当、佐藤秀樹氏は、Beep誌の予想を見た上で、「もっと凄い事を考えてますよ。」と断言したのだった。半信半疑ながら、「まじかよ!?」とセガファン達は色めきたったものだ。

 熱心なセガファンたちが長らく待ち望んだ新時代のハードは、1988年、10月に発売された。その名もメガドライブ。表面に輝く「16Bit」の金文字がまぶしい。
 スペックと言えば・・・。確かにCPUはモトローラ68000。6音同時発声機能を持つFM音源を搭載し、ある程度、予想されたラインには沿っていた。
しかし発色数は512色同時表示可能なPCエンジンに比べて、512色中64色のカラーパレット表示しかできないという劣勢ぶり。その上、スプライト機能は回転縮小拡大表示機能を持っていない。
「おいおい、開発中の威勢のいい言葉はどこへいったんだよう」と、かなりのセガファンが突っ込んだ。
 しかもハードと共に発売されたソフトが、「スペースハリアー2」と「スーパーサンダーブレード」のたった2本。サンダーブレードはともかく、スペースハリアー「 2 」て・・・・。

 この時の自分の感情を思い出せば、既に、SG1000−2、マーク3と、セガハードの劣勢ぶりに嫌気が差し始めていたので、「こりゃ様子見だな・・・・。ライバルにPCエンジンもあるし、ソフトが十分に揃った後、シェアの動向を見てから、購入を検討しても遅くないだろう・・・。」と考えていた。
 当時、自分は16歳。さすがに多少の知恵は回るようになってきている。
ところが。1989年正月。自分が自室にいたところ、中学生の妹が目を輝かせて部屋に飛び込んできた。
「お兄ちゃん、メガドライブ買ってもらえたよう!!」 祖母に買ってもらったらしい。セガファンの兄貴がきっと喜ぶと信じて。
 自分の反応は・・・・・・
「あーやっちまったか・・・・・・。」表情を曇らせる。 
すまんのう、こんな反応しかできなくて・・・・。
 

 メガドライブは、初期のソフト不足、中期のPCエンジンとのシェア争い、後期のスーパーファミコンとの海外市場での激戦、いずれも乗り切って、なかなかのハードに育っていった。
特に海外市場ではスーパーファミコンに匹敵する成功を収め、「セガ」の二番手メーカの地位を不動のものにした。日本市場では、圧倒的な任天堂陣営に苦戦を強いられていたが、世界的には「セガ」のブランドイメージは高まった。

 後期には、PCエンジンの発売した「CD−ロムロム」に続いて、メガCDを発売し、大容量ゲームの先鞭をつけた。

ユーザ達は「メガドライバー」と呼ばれ、直近の敵であるPCエンジンをまず凌駕し、ゆくゆくは打倒任天堂だ、と心意気と熱気でハードを支えた。
熱気の裏には、メガドライブを何とかし盛り上げてやろう!!というユーザ&ソフトメーカの侠気、そして狂気があった。

しかし、1993年あたりより、押し寄せるアーケードゲームのポリゴン化にソフト移植技術が対処しきれず、また、日本でのシェアが最後まで伸び悩んだ事もあり、1994年末に後継機セガサターンにその座を譲る。

 海外シェアの維持を目論んだパワーアップキット「スーパー32X」も驚くほどの不振で、1995年内には事実上命脈を絶たれた。

 しかし、メガドライブは、今なお熱心なファンが存在し、セガというメーカの一般化にも貢献した名機として、ゲーム史にその名を留めている。
 
 
 
 

メーカ概論 セガ
 
 今までのセガのゲーム機には、セガしかソフトを開発していなかったので、メーカごとのソフト作りの特色などとは無縁だった。しかし、メガドライブでは、ユーザ数がそれまでのセガハードとは比べられないほど増加したので、利益が出ると踏んだメーカたちが、ある程度サードパーティとして参加した。
当時、一大市場を形成していたファミコンは、1000万台以上という出荷数を誇り、ソフトメーカにとって非常に魅力的なハードだったのだが、反面発売されるゲーム数も非常に多く、競争が激しく、ユーザの支持も分散していたので、売上の本数が読みにくいという欠点があった。
 しかし、メガドライブ、PCエンジン等は、ユーザ数はファミコンに比べて少ないものの、熱心なファンが多く、ゲームに割く出費も多い連中が揃っていたので、一定の売上本数は確実に見込め、開発の計画が立てやすかった。
 これらの要因が、PCエンジンやメガドライブが劣勢にあってなおサードパーティの参加を受けられた理由だと思われる。

 後期においては、サードパーティがそれなりに増え、ソフト開発の負担が減ったセガであるが、ハード供給先の勤めとして、優秀なゲームを世に送り出し、メガドライブの勢いを牽引しなければならない義務を負っていた。
 メガドライブ立ち上げの初期にはそれら目標を達成していたとは正直言いがたいものがある。
しかし、中期、後期には、ユーザ達の度肝を抜くソフトを送り出し、メガドライブのホストメーカとしての勤めを立派に果たしていた。
 メガドライブでのセガのゲームは、正しくセガ・スピリッツの結晶だったと言える。
 
 

ファンタシースター2
 
 マーク3でセガユーザから大きな支持を受けたファンタシースターの続編。アリサが星系を開放してはるか後世の時代が物語の舞台となる。しかし、前作との関連性は深く、またストーリーもよく練られた優秀なものだった。
 初期のセガソフトにありがちな、ハードのデモンストレーション的使い方は健在である。迷路内で無意味に二重スクロールを使い、「ああ、セガの癖はメガドライブになっても変わらないなあ」と思わせられた。
 ゲームバランスは物語が後半に進むに連れて極めて劣悪になっていき、だだっ広く意地悪な迷宮、強力なモンスターたち、高すぎるエンカウント率と三重苦を背負ったかなりの問題作だった。
 名作と呼ぶには相変わらず欠点の多いシリーズだが、余韻を残すエンディングとともに、初期メガドラユーザの心に強く残った意欲作ではあった。
 
 
大魔界村
 
 後にソニックを開発する中裕司氏が、ゲームショウに展示されたカプコンのアーケード版に惚れ込んで、カプコンと直談判をして移植許可を貰ったというエピソードを持つアクションゲームの超大作。
 最新のアーケードゲームが間髪入れずにメガドラに登場、しかもその移植度は信じられないほど完璧、という当時熱心なゲームユーザなら誰もが驚いた凄まじい傑作。
PCエンジンの「R−TYPE」と並んで、当時の新世代ゲーム機の実力を遺憾なく見せつけたウルトラ移植作だった。
実際のところ、如何にメガドライブが最新の機能を持つ家庭用ゲーム機とはいえ、アーケードの最新基板とはその性能差は歴然、じっくり見比べればアーケード版の精緻な背景描写に比べれば、タイルパターンを多用したメガドライブ版のグラフィックの粗さがよく分かるというものである。
 しかし、前作「魔界村」を軽々とクリアできるようなつわものに向けられたハイパー難易度、レッドアーリマーを始めとする敵キャラの個性的な動き、主人公の使う武器や魔法のグラフィック完全再現など、おおよそ考えられる移植の必要条件を全て満たし、当時のメガドライブの限界性能をフルに絞りまくった超超超優良ゲームであった。

 逆に、アーケード版とじっくり見比べた上、背景グラフィックのタイルパターンくらいにしかイチャモンをつける所がない、というくらい、移植が完全だったという事でもある。貧弱なゲームラインナップに落胆していた初期のメガドライブユーザの天頂に、唯一光り輝く一等星であった。
 
 

スーパーモナコグランプリ
 
 アーケードで人気を誇ったレースゲームの移植作。アーケード版は、「ラッドモービル」と並んでポリゴンに移行する前の最後のスプライト全盛期。道路地表に始まり、路上の美しいオブジェクト、モナコに広がる海とそこに浮かぶ豪華クルーザー、町並みにそびえる巨大ホテルに至るまで、オールオブスプライト、これぞスプライトの乱れ咲き、といった感があった。
 メガドラ版はさすがにこのスプライトの完全再現はさっさと放棄して、アーケード版はゲーム性のみの移植と割り切り、それよりもメガドライブオリジナルのグランプリモードに力を入れた。
 グランプリモードとは、自分が下位チームのドライバーになってグランプリを転戦、上位チームのドライバーにサシで勝負を挑んで2戦2勝すると、そのチームに移籍できるというなかなかユニークなモード。
 もちろん、グランプリを謳うからには年間16戦の世界各国のサーキットは完全再現、ライバルチームのマシンもドライバーも個性的なものばかり、ポイントを争う年間競争ももちろんあって、ワールドチャンピオンを目指す事もできる。
 自分は最強のマドンナ(マクラーレン?)には移籍せず(シャシーの性能がやや悪く、コーナリングに不安がある)、エンジンパワーが非力なこと以外は全て最高の性能を誇るベストウェル(ベネトン?)に移籍してプチプチ勝利を重ねていたものである。
 コツさえつかめば、スタートチームのミナラエ(ミナルディ?)でも善戦できるイージーな難度設定だったが、心踊らすエグゾーストノートに加えて、レースの駆け引きが存分に楽しめる、当時家庭用では最強のF1ゲームだった。
 
ソニック・ザ・ヘッジホッグ
 
 メガドライブを、海外でスーパーファミコンに並ぶ代表的ゲーム機にのし上げた原動力。超スピードで画面を駆け回るはりねずみが、世界のユーザーに衝撃を与えた。
 マリオと同じく、横スクロールアクションゲームなのだが、マリオと違って、ゲームバランス自体はかなり大雑把なものだった。
 しかし、そのスクロールスピードは今までの家庭用ゲーム機に存在しない超高速のかっとび仕様で、それまでのマリオちっくなテンポに慣れていたユーザの度肝をぬいた。
また、ボーナスステージでは当時メガドライブでは難しいと思われていた背景の回転を、ソフトウエアの処理でこなしてしまうという豪腕ぶり。
 マリオのような緻密な職人芸とは無縁の大雑把な力技が、欧米ユーザの心をわしづかみ、メガドライブの人気を爆発させた。
 初作はドリカムの中村氏が音楽を手がけたが、ゲームミュージックの何たるかを心得ないヘボい仕上がり。ドラクエのすぎやま氏とは大違いの、手抜きの目立つ凡曲ばかりだった。
 しかし、そんな瑕瑾をふっとばす勢いと技術力が炸裂、メガドラのみならず、TVゲーム史上に残る名作となった。

 ソニックが登場する背景には、当時のセガのマスコットキャラであるアレックスキッドがメガドライブ版にて不発だったという事情があるが、任天堂のようにマリオを我慢して何年も使いつづけ、ついには世界的スターダムにのし上げたというしんねり強さが、セガというメーカには決定的に欠けていたからでもある。

 ゲームハードを変えるたびにイメージキャラをころころ変えるセガのどうしようもないヘタな戦略は、セガのハード撤退を生む一つの要因となってしまうのだが、その下手な鉄砲数打ちゃ当たる戦法の、唯一の、ラッキーヒットがソニックだった。
 
 

アドヴァンスド大戦略
 
 電源をいれた途端に度肝を抜かせる瞬間芸。軍靴の音に続いてヒトラー総統どアップで登場、一発演説をぶちかまし、民衆の歓呼の声で迎えられる「アブねぇェェェ! こりゃ欧米発売むりだろ!!」
 ポーランドの騎兵に苦戦する駄目駄目戦車に悪態をつき、当時最強のフランス陸軍の裏をかいてアルデンヌの森を突破、バトルオブブリテンで英国を空襲、ロシアで冬将軍に敗れ、モントゴメリとパットンにボコられる終盤までナチスドイツの戦争を完全再現。
 クラウゼヴィッツ曰く戦争は政治の延長、ならば政治の介在する余地がないこのゲームでは、ドイツ軍は予め必敗の地に立っている。
ヘックスを埋め尽くす雲霞の如き米英軍、圧倒的物量の前に滅びの美学を謳ってこそ、このゲームの真価が分かるというもの。
「勝たせるつもりは無い」男前にもこう断言する開発陣の本気(マブ)ぶりが、ミリタリーファンの官能を燃え上がらせる。
自分のターンが終わったら、メシ食って風呂入ってコンピュータ側の思考完了を待とう!
 
 
アウトラン
 
 スペースハリアーが、「2」などという逃げの一手でお茶を濁されていたのに対し、こちらは正真正銘、堂々の直球勝負である。
もっとも、スペースハリアーはマーク3時代でも移植自体はそこそこ好評だったのに対し、マーク3の「アウトラン」はアーケード版の原作に比べて質落ち感が著しかったので、改めてその復讐戦を挑んだ、との見方もある。
但し、アウトラン自体の発売は、メガドライブというハードがそろそろ枯れてきた1991年の事である。
 ハードが枯れるというのは決して悪い事ではない。ソフト会社が皆、そのハードをよく知り尽くして、想定された限界の何倍もの成果を、ソフトの力で搾り出す事ができるからだ。
このアウトランも、発売前はその出来が結構不安視されたものだった。なぜならユーザも皆、メガドライブの性能限界に気づき始めていた頃で、アウトランの再現すら実は心もとない、と理解していたからである。
 
 さて、登場してきたメガドライブのアウトランは如何に。 
 3曲から選定できるBGMシステムは健在、さらに1曲追加されるというサービスぶり。しかし、同一音源を使っているにも関わらず、曲の音質の方は残念ながらアーケードには及ばなかった。その上エンジンの効果音が消えてプレイ中の雰囲気が少々寂しくなった。音楽に関しては、やや不満が残る。

 グラフィックに関しては、文句なしである。道路沿いに走るビーチサイドの海は見事に再現、クラウディマウンテンの雲、ザ・ウォールの岩壁、アルプスのお花畑、ビッグゲートの石門、デュアルウェイの二車線、いずれも多少の質落ちはありながらも全て再現。心配していたユーザもひと安心の美麗なグラフィックである。

 音楽には注文無しとはしないが、全体的には健闘といってよい。アウトランを名乗っても全く恥ずかしくない、高い技術力が発揮された名移植作。
 実際の移植はセガ内部ではなく、外注だったらしいが、見事な移植っぷりに感心させられた。
その後、完全版とも言えるべきアウトランが同一チームの移植でサターンに登場したが、それでもこの素晴らしい移植は色あせることなく、メガドラファンの心に末永く残った。
 

トップに戻る