されば、我々はいかに応答すべきか?
     
”9-1-1"(原文ママ)から二週間が過ぎ去った。考えも及ばなかっ
たことが現実となってしまい、それはアメリカの意識の底にまで染
みわたってしまった。新千年紀は、PMI=「ポストモダンの狂気」
と呼ばれる回転儀によって導かれた発射台から解き放たれた。この
狂気は自分たちの「神」の名前によって殺人を犯す狂信者を抱える。
我々の世界は非常に特徴的で転換的な出来事を経験したのである。

イスラム、終末の時、オサマ・ビン・ラディンやテロリズムについ
ての書物が記録的な数でアメリカ人のベッド脇の卓上に積み重ねら
れている。9月の聖書の売上げ数は新しい記録を作った。多くの教
会で9月16日の礼拝出席者数も記録的であった。 意味するとこ
ろは? うわべだけの教養が痛々しく剥ぎ取られる時、アメリカは
その核心において霊的に飢えており開かれているのだ。教会にとっ
てはなんと信じられない機会ではないか。されば、我々はいかに応
答すべきなのだろうか?

反キリストとしてのサダム・フセインの名前を修正液で消してオサ
マ・ビン・ラディンの名前を走り書きすることで、我々の終末時の
運命の日を微調整するべきであろうか?我々はハルマゲドンの戦い
の箇所を声高に読むべきであろうか? 我々はそう思わない。

我々は復讐を要求するべきであろうか。 そうは思わない。

我々は自動的に、ほとんど何も考えずに愛国主義と神を賞賛する市
民たちの、半ば宗教的な儀式に加わるべきであろうか。しかしなが
らあなたがたは自分の好むどんな名前によってでも、その「お方」
を受けとめている。 我々は、取り揃えられたラビたちや司祭たち、
イスラムの指導者や歌う導師たちと共に、無批判に参加するべきで
あろうか。 そうは思わない。

されば、我々はいかに応答すべきなのだろうか? そして次に何を
考えるべきなのだろうか?我々は「司教の座から(神に替って権威的
に)」語ることを主張しないし、またあなたがたに指令しようとも
思わないが以下に、知恵の道筋を示唆したいと願う。

先ず第一に、我らの第一の国籍は天国にあるのであってアメリカ国
家にはないということを我らの民に思い起こさせたい。そのような
ものとして、我々の地上の応答は抑制されたものでなければならな
い。我々はこの地上のすべての事柄を、旅人なる異邦人の眼を通し
て見るべきである。 このことが意味するのは、テロリストたちの
攻撃を受けるとき、我々の情熱が狼狽して、我々の知性がしらけて
しまったということではない。アメリカの国籍が最も重要なのでは
ない。 この国に住める特権はすばらしい祝福ではあるけれども、
究極的なことではない。

二番目に、我々は我らの民を祈りへと呼びかける。 我々の指導者、
特にブッシュ大統領と彼の取り巻きの人たちのために祈ろう。 知
恵と勇気を、そして復讐心をふくらませることからまもられるよう
に、神が主権をとってくれるように祈ろう。

悲しんでいるものたちが慰めを、そしてその痛みの中で神に心が向
けられるように祈ろう。 人間のどのような手も彼らを慰めるには
役立たないそのような時ですら、神は我々の祈りに応えて近づいて
くださるであろう。 神は時空に制約されない御方である。

救世軍のために祈ろう。我々は仲間であるかれらウェスレアンを、
ビショップの「飢饉と救援基金」からのお金でもって支えている。
かれらは「ゼロ地帯(訳者注:被害の中心)」において何百人もの
事務員、労働者とともに宣教の業を行っている。 あなたがたの、
ビショップの「飢饉と救援基金」への寄付は、現場にいる彼らの手
と彼らの心を強めるだろう。この基金への寄付のためには、
 www.freemethodistchurch.org を見て欲しい。

アメリカにいるアラブ人の子孫たちのために祈ろう。彼らの多くは
不公正かつ非寛容な仕打ちのやり玉にあげられている。 この点に
おいて、神の知恵は人間の知恵を凌駕することを良く認識しつつ、
うち解けたお弁当時の会話においても、我々はしゃべる前にひとつ
ひとつの言葉を吟味するように、と人々に呼びかける。異なった人
種的グループ、政治的陰謀、国家や支配者について傲慢な声明をだ
すような時ではないのだ。

世界中にいる我々の軍隊とその従軍牧師のために祈ろう。軍隊、病
院そして地方の警察には、非常に力強いフリーメソジストの中核的
チャプレンが存在する。 その内の何名かはワシントンDCとマン
ハッタン島の「ゼロ地帯」においてその仕事に従事している。神が
彼らに彼らが仕えるイエスの名において、一人一人の特別な必要に
洞察を与えてくれるように祈ろう。 我々の従軍牧師のために、彼
らが大変なストレス下にある兵士たちに恵みの宣教をする時、安全
が守られるように祈ろう。軍に従事している他の部門のフリーメソ
ジストの家族のために祈ろう。

三番目。我々は我らの民が思慮深くあるようにと呼びかける。キリ
ストの恵みによって良きおとずれを受け取るためにその心が整えら
れている人たちの行間の声に聴入ること、そして神は我々の罪を我
らに向かって握り続けておられるのではなく、我々が十字架上で罪
を担われたイエスの働きに信頼する時に、神と和解することを求め
ておられることを知るように。

イエスがその弟子たちに語られた言葉(ルカ12章11節)を思い
起こそう。「会堂や役人、権力者のところに連れて行かれたときは、
何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。
言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」もしあなた
が道を求める人に自らの信仰を分かち合うための門を開けてくださ
いと祈るならば、聖霊は何を言うべきかをお教えくださるのです。

四番目。我々は我らの民が復讐ではなく正義のために語るように呼
びかける。キリスト者は法の下で正義を求め祈って良いが、復讐は
神のみに属することである。我々はこの区別をはっきりとしておか
ねばならない。 我々は我らの民が、憎悪と辛辣な言葉によってで
はなく恵みと愛の言葉によって公の会話に良き影響を与えるように
期待する。

五番目。我々はこの行為が我が国に対する神の審判であるという程
度まで判断をすることを留保するように我らの民に呼びかける。我
々は単に知らないのである。永遠に知らないかもしれない。聖書の
原則および聖書の預言者が宣言した類型に基づけば、このことは神
が我々の物質的・快楽的な心のあり方への警鐘として用いることを
許した何かだと考えても良いかもしれない。このようなものとして、
我々は膝をかがめて、「主よ、私は一人の人間として世俗的な態度
や心ない人まねとわがままな生活に対して、さばきの座に立てられ
て居るのですか?」と問いかけながら、悔い改める必要がある。我々
自身のいかなる罪の悔い改めも極めて善かつ正しいことである。

六番目。我々は我らの民に、神は彼の創造されたものから遠く離れ
孤立して立っておられるのではないことを思い起こすように呼びか
ける。神は我々に応答し人類の歴史の中で働かれることで、関係を
保っておられる。神は単に天命を示して、審判の稲妻を放たれるだ
けの御方ではない。神は「爪の先まで真っ黒にしながら」どこにあ
っても我らと共にあり続けられる御方である。

その聖霊は今も人類に届こうと欲され、彼らと共に苦闘しておられ
る。神は我々が悪と痛みを経験する時、人類全体と共に痛んでおら
れる。我々はルワンダやブルンジ、コンゴ民主共和国のような他の
フリーメソジストの人々がこの種のたぐいの喪失と苦痛を何年にも
わたって経験していることを忘れてはならない。我々は霊にあって、
我々の悲しみはそれでも彼ら、世界の他の国のフリーメソジストの
同胞たちの悲しみよりもはるかに小さなものなのだということを想
起して、謙虚であらなければならない。

七番目。我々は我らの民を神の言葉、聖書への新たな学びへと呼び
かける。我々は恵みと尊敬を他の諸宗教の人たちに差し延べ、彼ら
の宗教の経典や書物の中に組み込まれている神の真理に敬意を表す
るけれども、我々が信じるのはキリストと聖書にあるキリスト教の
啓示こそ独自のものであることをあなたに喚起したい。この啓示は
我々の信仰の権威として、また我々の行動の指針として際だってい
る。我々はこの信仰を公に表明するに際して節度を持ち、他の信仰
に対して親切であろう。

八番目。我々は我らの民にキリストとの関係において内面的な更新
を受けるように呼びかける。キリストを求めることにおいてより熱
心に、キリストに従うことにおいてより徹底するように、また祈り
においてより絶えることなく、他人に対してより愛をもって接する
ために、これらの日々を用いよう。我々は歴史のもろもろの出来事
を支配することはできない。しかし我々は宇宙の主に対して個人的
に応答することは我々の意志でできる。

九番目。我々は我らの民に神の主権への信頼へと呼びかける。たと
えある人たちが疑いを持とうとも、多くの人々は肯定してきた。
「神は今もご支配しておられることを忘れないでおこう」と。我ら
はどのように応答するのか?我々は神が常に救いの歴史の結果と詳
細をご支配しておられることを信じている。すべての被造物はいつ
の日か膝をかがめてイエスを主と認識するようになることを我々は
疑わない。神はその贖いのご計画をも御手の内におかれている。そ
れが邪魔されることはない。

しかし我々はまた、神が人間を自由にしたために、日々の生活のも
のの多くを支配することを放棄することを選択なされた。そのよう
なお方として、人類に対する神の希望はしばしば我々の邪悪な選択
によっておびやかされてしまう。これが起こると父はしばしばギア
を入れ替え、調整して我らの関心を転換しようと新たなる方策をさ
ぐり、その結果キリストによってもたらされた恵みの傘のもとに我
らを導かれる。

彼の聖霊は今も現臨し、いつまでも活動し、我らのためにうめき、
救い主・全能者としてのキリストに我らの自由な決断によって服従
させるために我らを獲得する。神は強制しないで、慎み深く働かれ
るゆえに信じる我々ですら、諸場面の背後にあるものを熱心に探求
し、かつ真実を知りそのために働いておられる「御方」の辿って来
た足跡の覆われた背景をじっとのぞき見る必要があるのだ。我々は
信仰の目と、祈りに醸成される洞察をもって歩む。このような洞察
と神への信頼によって、我々は希望と信仰と愛の民であり続け、神
が主権者であり望まれるすべてであるがゆえに、神のもとに来て救
われるのである。

世界の政治と歴史の盛衰についてはどうだろうか。神は人類を解放
して自由にしたが、神は歴史の諸条件をすべて規定されたのではな
い。神は諸国と指導者たちが彼を拒否することをも許した。神は必
ずしも邪悪な計画を脱線させるわけではない。またあらゆる邪悪な
行為をたとえ我々が祈ったとしても、神はとどめたまうわけでもな
い。しかし神はいつも、悪がもたらす痛みが諸国をキリストを立ち
返らせることを願っておられる。

使徒ペテロは我々に、主はその約束を守るのにのんびりとしておら
れるのではないことを想起させてくれる(ペテ3章8〜13節)。
主は我々に対して忍耐強く接しられ、誰一人として滅びずに悔い改
めに至るように望んでおられる。

ペテロは「主の日(終末)は盗人のようにやって来ます。その日、
天は激しい音をたてながら消えうせ、自然界の諸要素は熱に熔け尽
くし、地とそこで造り出されたものは暴かれてしまいます。」と確
言する。そして続ける「すべてのものは滅び去るのですから、あな
たがたは聖なる信心深い生活を送らなければなりません。・・義の
宿る新しい天と新しい地とを、神の約束に従って待ち望んでいるの
です。」と。

我々はジェイムズ・ラッセル・ロゥウェルが「かつて、あらゆる人
と国に」という讃美歌で示した洞察をあなたがたに思い起こさせ
たい。

  邪悪の根がいかに栄えようとも、ただ真理のみ堅し。
  その分け前が足台となり、王座の上に誤ってとどまろうと
  さらにその足台が未来を揺り動かし、
  薄明かりの背後に知られ得なくとも
  神は暗闇の中に立って、
  ご自身のもの(被造物)に目を注がれている。

我々の心は、やがていつの日か確かなものとなることを確信してい
るアイザック・ワッツの讃美に共鳴する。

     太陽がその引き続く旅を始める前、そこで
     イエスは永久に支配される。
     月がもはや満ち欠けを繰り返さない前に
     神の国は岸から岸へと広がり行く。

北米FMビショップ団
ディック・スナイダー、ジョセフ・ジェームズ、
ロジャー・ハスキンス、レスリー・クローバー、 

 

 

      訳:重富勝己先生   (Get−me) 

  下のフォームに書き込みをしていただければ,日本語訳の労をとってくださったGET−ME師にとどきます.教団としてのオフィシャルな立場にまで言及出来るかどうか分かりませんが、GET−ME師は教団教職ですので、レスポンスはあると思います。


How Then Should We Respond?

Two weeks have passed since "9-1-1." The unthinkable has become real and has seeped down into America's consciousness. The new millennium is off the launch pad guided by a gyroscope called: PMI - Post-Modern Insanity. This insanity has fanatics killing in the name of their 'god.' Our world has experienced a remarkable 'hinge' event. 

Books on Islam, the End Times, Osama Bin Laden and Terrorism are on American nightstands in record numbers. September sales of the Bible are at new highs. Church attendance on September 16, 2001 set new highs in thousands of churches. Implication? When the veneer of sophistication is painfully peeled away, America at its core is spiritually hungry and open. What an incredible opportunity for the church. How then should we respond?

Should we be tweaking our end times dooms-day sermons by whiting out Sadam Hussein as the antichrist and scribbling in Osama Bin Laden's name? Should we be reading up on the Battle of Armageddon? We think not.

Should we be calling for vengeance? We think not.

Should we be automatically, almost mindlessly joining in civic, semi-religious ceremonies that celebrate patriotism and God, however you conceive Him to be and with whatever name you prefer? Should we be uncritically participating with assorted rabbis, priests, imams and chanting gurus? We think not.

How then should we respond? What then should we think? We do not claim to speak 'ex cathedra' (authoritatively for God), nor would we dictate to you, but we would suggest the following paths of wisdom.

First, we call our people to remember that our primary citizenship is in the Kingdom of God, not in the United States of America. As such, our earthly responses must be tempered. We should view all things on this earth through the eyes of a resident alien. This means that our passions do not come unglued and our mind is not turned off when terrorists attack. American citizenship is not the most important thing. Though the privilege of living in this country is a remarkable blessing, it is not the ultimate.

Second, we call our people to pray. Pray for our leaders, especially President Bush and his advisors. Ask God to minister wisdom, courage and protection from developing a vengeful spirit.

Pray for the grieving to find comfort and to move toward God in their pain. Even when human arms are not available to comfort them, God could draw near in response to our prayers. God is not limited by space or time.

Pray for the Salvation Army. We are supporting these, our fellow Wesleyans, with our dollars from the Bishops' Famine and Relief Fund. They are ministering with more than one hundred officers and workers at Ground Zero. Your contributions to the Bishops' Famine Relief Fund will strengthen their hand and heart in ministry. See www.freemethodistchurch.org to contribute to this fund.

Pray for those of Arab descent in America, many of whom are being singled out for unjust and intolerant responses. In this regard, in casual and lunchroom conversations, we call our people to weigh every word before speaking it, recognizing that God's wisdom goes beyond man's wisdom. This is not the time for arrogant statements about different ethnic groups, political intrigues, nations or rulers.

Pray for our armed forces and our chaplains around the world. There is a mighty cadre of Free Methodist chaplains in the military, hospitals, and in local law enforcement arenas. Several have been working in Washington, D.C. and at Ground Zero on Manhattan Island. Pray that God will give them insight into the particular needs of each person they serve in Jesus' Name. Pray for our military chaplains that they will be kept safe to minister grace to soldiers under great stress. Pray for the families of other Free Methodists who are members of our armed services.

Third, we call our people to be alert, listening between the lines for those whose hearts have been prepared by the grace of Christ to receive the good news, that God is not holding our sins against us, but is asking us to reconcile with Him as we trust in the sin-bearing work of Jesus on the cross. We ask you to be praying for these kinds of opportunities.

Remember Jesus' words to his disciples (Luke 12:11)? "When you are called before synagogues, rulers and authorities, do not worry about how you will defend yourselves or what you will say, for the Holy Spirit will teach you at that time what you should say." We believe that if you pray for an open door to share your faith with a seeking person, the Holy Spirit will help you to know what to say.

Fourth, we call our people to speak for justice, but not revenge. Christians may seek and pray for justice under the law, but vengeance belongs to God alone. We must keep this distinction clear. We expect our people to influence public conversations with words of grace and love, not hatred and vitriol.

Fifth, we call our people to suspend judgment on the degree to which this act is the judgment of God on our nation. We simply do not know. We will not know until eternity. Based on the principles of scripture and the patterns proclaimed by the biblical prophets, this could well be something God is allowing and using as a wake-up call regarding our materialistic and hedonistic mindset. As such, we need to be on our knees repenting, asking: "Lord, am I personally standing in judgment for secular attitudes and mindless mimicking and selfish living?" Repentance from any sin of our own is extremely right and good.

Sixth, we call our people to remember that God is not distant and isolated from His creation. God is relational, responding to us and working within human history. God does not just issue decrees and unleash lightning bolts of judgment. God has 'dirty fingernails' in that he is everywhere at work among us.

His Spirit is ever reaching toward and striving with all mankind. God is suffering with all mankind as we experience evil and pain. We must remember that other Free Methodists in countries like Rwanda, Burundi and the Democratic Republic of Congo, have been experiencing this kind of loss and grief every month for years. We need to be humble in our spirit, remembering that our grief is still much smaller than that of even our fellow Free Methodists in other parts of the world.

Seventh, we call our people to a renewed study of God's Word, the Bible. Though we extend grace and respect to those of other religions and honor the truth of God that might be incorporated in their religious books and writings, we remind you that we believe the Christian revelation in Christ and in the scriptures is unique. This revelation stands alone as the authority for our beliefs and as the guide for our conduct. We will be moderate in our public statements of this belief and kind toward all of a different persuasion.

Eighth, we call our people to personal renewal in relationship to Christ. Let us use these days to become more fervent in our seeking of Christ, more radical in our obedience of Christ, more constant in prayer and more loving toward others. We cannot control the events of history, but we can control our personal responses to the Lord of the Universe.

Ninth, we call our people to confidence in God's sovereignty. Many have been affirming, "Remember, God is still in control," even as others secretly doubt it. How do we respond? We believe that God is always in control of the details and outcome of salvation history. We have no doubt that all creation will one day bend the knee and acknowledge Jesus as Lord. God is in control of His redemptive plan. It will not be thwarted.

But we also believe that God has set people free and therefore has chosen to relinquish control of much of the day-to-day stuff of our lives. As such, God's hopes for mankind are often thwarted by our evil choices. When this happens, the Father often shifts gears, adjusts and designs new ways to get our attention and bring us under the umbrella of grace provided by Christ.
His Spirit is ever present, ever active, wooing us, winning our freely chosen surrender to Christ as Savior and Lord. Because God works subtly, and without coercion, even we who believe need to be diligently looking behind the scenes and into the shrouded background for the fingerprints of the One who is aware and working. We walk with eyes of faith and prayer-tempered insight. With such insight and confidence in God, we will continue to be people of hope, faith and love, because God is sovereign and all who will, may come to Him and be saved.

What about the ebb and flow of world politics and history? Having set mankind free, God also does not dictate all terms of history. God allows nations and leaders to reject him. He does not always derail evil plans. Neither does every evil act have a divine reason. Nor is every evil act something God would have stopped, if only we had prayed. But God always desires that the pain evil renders would turn nations to Christ.

The Apostle Peter reminds us (II Peter 3:8-13) that the Lord is not slow in keeping his promise. He is patient with us, not wanting anyone to perish, but everyone to come to repentance.

Peter affirms: "…the day of the Lord (the end) will come like a thief. The heavens will disappear with a roar; the elements will be destroyed by fire, and the earth and everything in it will be laid bare."

Therefore, Peter asks: "…what kind of people ought you to be? You ought to live holy and godly lives, as you look forward to a new heaven and a new earth, the home of righteousness."

We remind you of James Russell Lowell's insights in the hymn, Once to Every Man and Nation:

Though the cause of evil prospers, yet the truth alone is strong.
Though her portion be the scaffold, and upon the throne be wrong.
Yet that scaffold sways the future, and behind the dim unknown,
Standeth God within the shadows, keeping watch above His own.

Our hearts resonate with Isaac Watts' hymn, which affirms what will one day be certain:

Jesus shall reign where ere the sun does his successive journey's run. His kingdom shall spread from shore to shore, till moons shall wax and wane no more.

The Board of Bishops, Free Methodist Church of North America
Dick Snyder, Joseph James, Roger Haskins, Leslie Krober

 

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