Begruessungsseite:Philipper-Webドイツの
Saarbruecken 大学カトリック神学部で、フィリピの信徒への手紙(ピリピ人への手紙)第4章をモデルにして聖書の釈義(解釈)をインターネット上でおこなう試みをはじめています。
「聖書」はドイツ語の統一訳聖書(フランスのカトリックの聖書学者が中心となって訳した「エルサレム聖書」を基盤として、ドイツでカトリックとプロテスタントが共同で訳したもの)、ドイツ語のルター訳、ギリシャ語原典との対訳、ギリシャ語原典テキストを使用することができます。さらに
Elberfelder Bibel という敬虔主義的聖書研究グループ訳(?)の改訂版聖書の検索システムの試運転もはじめられています。
「Kommentare(注解書)」は、Mayer (SKK), Mueller(ThHK)のテキストだけですが、さらに「概論・緒論学」(Einleitungswissenschaftliche
Fragen)という項目もあります。Einleitung = Introduction は、もちろん最初は文字どおり「導入」「入門」「序論」という意味で、解釈をするにあたって前提となる基礎的知識、たとえば、パウロがフィリピの信徒への手紙をいつ、どこで、何のために書いたのかをわかりやすく解説するためのものだったのですが、ドイツの近代の聖書学者たちはこれらの問題を文献学的、歴史学的に詳細に扱い、いろいろな仮説を立て、議論をしていくようになり、その結果、独自の研究領域となり、聖書学の中の一つの「科目」として取り扱われてきています。ごく単純な、基礎的な問いに答えることがどんなにむずかしいかを痛感させられる分野なのです。
特に興味深いのは「(Galerie) ギャラリー」です。ここでは、スキャナーで読み取られた画像を見ることができるのですが、「使徒パウロの顔(像)」が12件も並んでいます。紀元4世紀頃の墓石に刻まれたものや中世の聖書写本の挿し絵や有名な画家が描いたものなど、いろいろな文献からの資料が集められています。また個人的に撮影したザルツブルグ聖堂のパウロ像の写真もあります。さらに「シラス」(パウロの同労者:使徒言行録15章22節以下参照)のモザイク像(ベニスの聖マルコ寺院)の写真もあります。「フィリピ」については、現在廃虚となっている
Direklar - Basilika の個人撮影の写真が掲げられています。
また、メンデルスゾーン (Felix Mendelssohn Bartholody) 作曲の「パウロ」の中に、フィリピの信徒への手紙第4章5節が出てくるのですが、その個所の楽譜が掲げられています。そのうちに、Real
Audio で手軽に聞けるようになるといいと思います。
このように、これまでの聖書学の領域での聖書解釈の作業はもっぱら文献中心に行われてきたのですが、ここではさらに絵画や音楽などマルチメディアによる解釈も加えようとしています。これは解釈という営みをもっぱら言語や文献の領域に限定してしまうのでなく、イメージや情感などに関わる部分をも積極的に学問的な聖書解釈の作業に参加させようという非常に重要な発想ではないかと思います。もちろん、聖書学はこれまでも言語学、文献学、歴史学、考古学など周辺・隣接領域の研究成果を重視してきましたが、聖書の成立した時代の範囲を超えた解釈ということになれば、歴史神学、組織神学、実践神学、さらにはキリスト教音楽、キリスト教美術などにバトンタッチしたり、「信仰」の領域のこととして判断中止をしてしまい、せいぜい個人個人の研究者がそのうちのごく一部の事柄に趣味的に、あるいは実存的に、関係させる程度であったように思います。まだ、このサイトも内容的には資料を並べただけの段階であり、具体的なマルチメディア活用による解釈作業の展開にはいたっていませんが、こうした資料を集め、並べていくうちに、きっと近・現代の聖書学や神学が造り上げてきた領域区分や体系の見直しと、それらの基盤となっている言語・理性中心主義のパラダイムの変換の必要性が明らかになっていくのではないでしょうか。聖書は、たしかに文字で書かれていますが、楽譜や脚本のような性質をもつようになっていたのですから、単なる文献や文学作品のように読んで紙の上で解釈するだけでは、あまりにももったいないですね。聖書解釈のホームページも、既成の文献など「紙」の次元をそのまま移行するだけでなく、(つまり発想が2次元的でなく)、マルチメディア化がすすんでいくと、マクルハーン理論を持ち出すまでもなく、理解や表現の仕方がどんどん変わっていくことになるでしょう。