2006年
7月16日

≪今日の聖書から≫
 「マルコによる福音書」8:14〜21が今日の聖書箇所です。“パン種に気をつけなさい”などの小さな見出しがつけられた聖書もあります。他の新約聖書の箇所(Tコリント5:8〜8、ガラテヤ諸5:7〜8もみなそうです)とおなじく、パン種は、悪あるいは人々の悪い思いを指しています。パリサイ人の教えはイエス様を否定するものでしたし、権威を思うままに振りかざし、この世に堕落と退廃をもたらすことははっきりしています。ちょっと前に人々は、ほんの少しのパンが沢山の人々の空腹を満たしたのを見て経験していましたから、パン種の、という表現はよく理解できたと思います。パン種、今で言えばイーストは量の問題ではなかったのです。少しでも、大きな作用を持つものです。罪の芽生えも同じなのです。善と悪を私達が一番意識するところ、教会では“なおさらそうだ”と言って差し支えないでしょう。教会で神の言葉が語られていても、“これは神の言葉ではない、教会らしくない”とパリサイ人のパン種が頭をもたげてきます。また“私の喜ぶようにはしてくれないし、楽しいこともしてくれない”とヘロデのパン種が頭をもたげてきます。“教会は何故私の権威を尊重しないのだ”とも言ってきます。“これらのことに気をつけなさい”と仰っています。歴史を見てもそうです。福音というイエス様の救いに関する教えから離れ教会の権威を誇ったことも、政治権力になびいたこともありました。私達の知っている通りです。私達が教会で主イエスの言葉に与るとき、中心がそこにあるのだということを忘れないようにしたいものです。教会は、取引や打ち合わせ、画策、根回しの場所ではありません。そのような兆候に気付いたら小さなうちになくしましょう。反対に、良いことに気付いたら、“成果があまりにも小さすぎる”などと言ってはいけません。実に大きな実を結ぶ種なのですから。いきなり大きな素晴らしい物が現れることはありません。皆最初は、小さな種だったのです。少しのパンが二度にわたって数千人の人々を満腹にしていたことを弟子達は覚えてはいましたが、何を教えられたかは、後になって判ることになるのです。

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