2006年
7月2日

≪今日の聖書から≫
私たちは、御言葉によって、それぞれの場所に派遣されています。ですからこの派遣の道は、御言葉に支えられた限りなく安心できる道なのです。今日開かれる聖書の箇所(マルコ6:1〜13)は、遣わす弟子達に対する、励ましの箇所です。その前に、イエス様の故郷での状況が記されています。現代にも通用することですが、当時の人々も情報の洪水の中にいました。今ほど情報の価値や信憑性について評価する方法も持ち合わせていなかった時代ですから、もっと混乱したかもしれません。それが故郷となれば、もっとだったでしょう。イエス様は彼らの知り合いだったといことと、救いの業のミステリィに彼らは御言葉からはなれて行くこととなりました。“この人は大工ではないか。マリヤのむすこで、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここにわたしたちと一緒にいるではないか」。こうして彼らはイエスにつまずいた。(6:3)”とあります。そしてこの躓(つまず)くことは、何につながるでしょうか。“そして、そこでは力あるわざを一つもすることができず、ただ少数の病人に手をおいていやされただけであった。(6:5)”とあります。この“できなかった”という言葉ですが、イエス様を信じる者のためにイエス様の救いの業もまたあるということを示しています。そこにある救いを見ようとしない人々の中に弟子達を遣わすことを良く知っておられたイエス様は、アドバイスをされます。旅のために全てを整え、安全に帰ってくることを目指しているのはよくないということです。行った先でその場所に頼っていなさい、という戒めです。この箇所から学びましょう。私たちは働きに於いても、地理的な場所においても、そこに遣わされるのです。そんなときの最大の障害は、“安全に帰る”ということです。あえて帰るという言葉を使うなら、今いる所が帰る場所ということになるでしょう。教会の働きはその地に根を張って進められるときに前進します。やがて帰ってゆく宣教師によってではなく、その場所に頼っている人によって教会は支えられているし、その場所に頼ることは、実に安心なことなのです。

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