2006年
3月26日
≪今朝の聖書から≫ ◎ 私達の喜びが満ちあふれるためである。(1:4) ◎ あなたがたが罪を犯さないようになるためである。(2:1) というメッセージが込められているのです。聖書を見ましょう。3:1に『あなた方はすでに神の子なのである』とあります。初めて教会へ行った頃、あなたがたは「神様の子だから天のお父様と言ってお祈りしましょう」といわれて驚きました。私が神様にお願いしたのでもなく、神様に特別良い事をしたのでもありません。なのに、神の子と呼ばれるというのです。それから少しずつ聖書の話を聞く度に、神様がイエス様を与えたもうほどに、私達を愛して下さったことがよくわかりました。そして、先週の村上先生のメッセージの中にあったように「それでは、あなたがたは私を誰というか」マルコ8:28という問に「あなたは私の救い主キリストです」と告白し、受洗して救われました。だから2節にあるように、今や正真正銘の神の子なのです。皆さんは尊敬する人に出会ったとき、その人の様になりたいと思ったことはありませんか。私は、学生時代や社会に出てからも多くの人達に出会い影響を受けてきたように思います。その中でもイエス様は特別です。私達の信仰生活は旅人のようだとよく言われます。それでは、私達は何処へ行くのでしょうか?どうなるのでしょうか?しかし、ヨハネはまだ明らかではないといって憶測したり、不十分な言葉で表現しようとはしていません。でも、いつの日か私達が皆、キリストとその栄光を見る日が必ずやって来る、今は鏡を見るようにおぼろげであるが、その時には顔と顔を合わせて相見るのです。と言われています。そして、キリストが現れる時、彼を見、彼に似る者となるというのです。これが私達の魂の目標であり希望ではないでしょうか。イエス様は従順で柔和で愛にあふれた方です。この方に似る者となれるとは大きな喜びであると思います。今朝、この喜びについて共に考えましょう。(文:大石兄) |