2006年
2月19日

≪今朝の豆知識≫
 久しぶりに「まめ知識」です。“讃美”についての歴史です。日本音楽学会の機関誌に『音楽学』というのがあります。「ニケタスにおいて教会の歌唱とは、第一に人間が天使の神賛美に依拠しつつ、信仰告白を通じて神への対向を表明するものである。その能動性ゆえに、神への聴従たる沈黙から分かれて声を出すこと自体が歌唱に不可欠とされる。また歌う際は、理性とは異なる覚醒した意識が求められる。これは賛美が神への理性的な接近手段ではないという理由から、信心より乖離した理性ではなく信仰を全うするための曇りなき意識こそが必要とされるからである。歌うべき内容としては当時の共通認識に則り、主が昔楽と教義とを混ぜて作った薬、また聖書のすべてを内包するものとしての詩篇に重きがおかれる。ニケタスは歌唱を、礼拝における神と人との一対一性の内実として理解していた。上手下手ではなく意志を基とする会衆の参与からなる歌唱の一体性が、「人間」という一なる存在の神への応答となり、真にキリスト教的な調和を創出するのである。具体的な音経験の場での調和を説く彼の言葉は、神への一なる存在の追求が結果として「音楽」を生むような「歌」をこそ求めているのであり、音楽美それ自体を目的とするものではない。このような彼の歌唱像は、歌を戦略兵器として用い正統信仰の歌唱を脅かしたアリウス派との対決、という時代的文脈と無縁ではない。しかし教会での歌唱のみを主題に説教を行い得たという当時でも異例の歌への執着を含め、その独自性は、それ以上に彼がローマ帝国の周縁たる部族社会を活動基盤としたことに起因すると考えられる。異民族中心の新生キリスト教集団のアイデンティテイ形成を目的に、キリスト教理解のより有益な手段として機能すべき、具体的な「歌」ヘの希求が、この言説の根底には存するのである(
宮原麻子)」。参考になる解説です。信仰を持って讃美しましょう。ニケタスという人が何人か歴史に登場しますので、これはレメシアナのニケタスについてです。“意思は天に、希望は復活に、あこがれは約束に”という言葉を、『洗礼志願者の教程』に残したのも彼です。これは霊性によって、すなわち信条が人間的決意ではなく、聖霊によって世々の教会に与えられていることは、聖霊によって理解し、滅びから救われている我々には明らかなことです。