2006年
2月5日

≪総会を前に≫
いよいよ新年度の計画を立てる時期になりました。勿論行事計画・イベントなどについてのイメージを持ち、また経済的な問題について、困難の時に方策をどのように立てようかと審議するのは大切なことです。けれども、“何のために”ということを考えずには、これらのことは意味を持ちません。会社などの定款には、必ず事業内容が書かれています。販売やサービスの内容ですが、これらは新しい事業展開として、または撤退として、変更されることがよくあります。何時までも設立当時の枠組みは理念として確保されつつも、そのことにとらわれないのです。教会はどうでしょうか。教会の登記事項には、“目的等”という項目があり“この法人は、日本フリーメソジスト教団の、教憲教規およびその他の規則の定めるところに従って、広くキリストの福音を宣べ伝え、人々をして救いの恩寵に与らせ、礼拝、儀式および行事を行ない、信徒を強化育成するために必要な業務および事業を行うことを目的とする”とあります。教会は内容のないものをただ維持して行くことが目的ではないのです。この目的は法務局にも記録され、この世も教会をそのように理解しているのです。この目的は新年度においても、引き続いて、正しいのだということを確認しましょう。すべてが、讃美も、教会の祈りも説教も、奉仕とわたしたちが呼んでいるすべてのことも、日々の教会の経営も“キリストによる救いの実感”に集中しているのです。役員選挙などについて考えてみましょう。教会のためにしたいと願い(或はしてもよいと考え、そのことを召命と理解するのですが)、群れの中でふさわしいと認められ(これは、多くの場合、現代にあっては、民主的と言われる選挙が用いられます)、その上で、教会の権威において任命されるものが、相応しいのです。ですからキリストの救いを信じるという、信仰者のきわめて個人的な営みは、集団を形成し、また反対に教会という群は、その働きをキリストの肢体である、個人を通して表すのです。パウロもその書簡の多くを費やして、教会を正そうと願っていたことを思い出しましょう。我々も年寄りが多いという前に、どれだけ新しい人に声をかけたか反省すべきです。どれだけ、学びによって、私達が育成されたいと願ったかを、省みたいものです。

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