2005年
11月27日

≪今朝の聖書から≫
今朝の聖書箇所は『マルコによる福音書』13:21〜37です。語られている内容は『ヨハネの黙示録』の一部のような感じがします。反対に言いますと“黙示録の預言は他の聖書と関係のない幻で全てが埋め尽くされている”という理解は間違っているということです。イエス様も随所に終末について語られています。この13章にはまとめて書かれています。21〜22節は“偽キリスト”や“偽預言者”がやってきて人々の心を奪おうとする、とあります。私達の生活は、文化的にも社会的にも、非常に貧しい状態の中で、全てを解決してくれるような救いに期待を持つようになります。そこに奇跡を行なう、手品士や超能力者がやってきます。希望を抱くか、全てをあきらめるかを迫られている私達は、この偽預言者や超能力者について、たとえそれが嘘だと知っていたとしても、私達の世は心をなびかせて射ます。こんなことを取り上げたテレビ番組も数多くあります。でも奇跡は本物でなければなりません。Tヨハネ4章1節に“愛する者たちよ。すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出たものであるかどうか、ためしなさい。多くのにせ預言者が世に出てきているからである。”とあります。今もその通りではないでしょうか。奇跡は私達の益にならなければならないのです。千円札を一万円札に変えたままでは返してはくれない手品師のようなものがいっぱいなのです。山を動かすような奇跡も、“自由の女神”が消えるような奇術が出来ても益にはならないのです。23節で“だから終末の時である今こそ、気をつけなさい”と勧められています。イエス様は全部の事柄を、というよりは全ての面から話したとおっしゃっています。そして24~26節で“来臨”について記されています。神としての人の子の出来事が分かりにくかったので、皆がよく知っている旧約聖書の記述で示しています(イザヤ書13:10、その他の箇所)。また“その日”とあるのは神が定められた日であって、今日の夕礼拝で開かれますエレミヤ書31章などにも示されています。33節に私達の注意が注がれます。23節の“気をつけていなさい”が、念を押して語られています。選ばれた教会をも散らすほどに偽キリストの力が見えるとき、終末の出来事を見ているのであり、キリストの力もまた共にあるのです。

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