2005年
10月16日

≪今朝の聖書から≫
 今朝の聖書箇所の舞台は、結婚式です。
 イエス様は、結婚をとても重要なものと位置づけておられたことが分かります。最初に人々の前で奇跡を行なわれたのも、「カナの婚礼」でのことでした。旧約聖書においてもそうです。式の手順などについて細かく見ることはできないようですが、その重要性については、充分に語られています。また最初の教会を担った使徒たちも、結婚を重視しました。このように神の前で生きる人々にとって、最も重要なことのひとつである結婚という出来事のただ中で、イエス様は、神の国について教えられるのです。

 ここで招待されている十人の乙女とあるのは私たちのことです。灯火はクリスチャンのしるしです。パウロも燃える火にたとえて、御霊を消してはいけません、と言っています(Tテサロニケ5:19)。ユダヤの婚礼は沢山の友人知人が招待されました。「マタイ」22:8にあるように、招待された貧しい人かもしれません。招待されることは名誉でもあり、救いへの招待に似ているとイエス様は仰っているのです。この救いへの招きを無駄にすることがあるというのです。“思慮深くない五人”がそうです。喜んで招待に応じるところまでは同じです。楽しさを分かち合いたいという期待にも胸をふくらませていたことでしょう。これもおなじです。しかし、彼女たちは“刹那的”だったのです。“神の国への準備”について考えていませんでした。当時の結婚式は何日も続きましたから、何時花婿がやってくるか、来ることは間違いないのですが、時間までは、はっきりしていませんでした。

 神の国がやって来るまでにする事があるというのです。当面楽しくするのは楽でもあり、簡単なことです。やがてやってくることに正面から向かい合うことを避け、そのことを見ないようにしていることの多いのがこの世なのです。“破綻を恐れて当面を乗り切る”ような生き方は、不安です。なにか“自慢したいことがほしくなるもの”です。充分な準備をしていた、思慮深い五人の乙女は、安心してその時を待つことができました。“自分の油を買ってきたほうが良いですよ”と最も適切なアドバイスもできるのです。

 その日そのときは分からないのですから、その時が問題なのではなく、そのときのための備えが、その日のために必要なのです。

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