2005年
8月28日

≪今日の聖書から≫ 会員なら“教会の大切さ”については知っています。現実の教会は、楽しくないことがあったり、また、私は教会の皆に支えられている、と思ったりします。“信仰”に疑問を抱き、教会の全てを見失うように思えたり、教会の交わりに寂しさを覚えて、信仰の全てが無くなるようにも感じるものです。時と場合によっても違いますし、信仰の理解によっても、生い立ちによっても異なると思いますが、いずれにしろ、何か解決しなければならないことに直面した時に、クリスチャンには、“信仰を持っていない人々”には理解できない強さが与えられていることに、心を留めたいと思います。それは、“聖書と教会は何と教えているか”というところから物事をはっきりさせることが出来るということです。そしてこのことこそ、神様の圧倒的な力なのです。先週“私に従うものは皆、私の兄弟姉妹である”という御言葉が開かれましたが、このことを物語っているのです。また片方あるいは両方がクリスチャンではなかったなら、私たちの力は、小さなところに閉じ込められている人間の力に留まり、無力さと、力の限界をすぐに感じることになってしまうでしょう。ですからクリスチャンホームがどんなにすばらしい目的であるかは先週、共にみた通りです。18:10にあるように、この世で重んじられているとか、有能な技術者であるとか、そんなことは神様は全く気にも留められないのです。“小さい者”とありますがこれは、この様に“我々が言いそうになる者”と言うことであって、神様の基準ではありません。13節にその答えが記されています。“九十九匹の羊よりも”とありますが、これは彼らを無視しているのではありません。彼らには、教会において自らを守る力があるのです。12節にある“山に残して”というのは“教会という安全な場所に残して”ということです。14節には“滅びることは御心ではない”とあります。皆が救われるようにと勤めが与えられているのが教会なのです。15節以降に、このことが書かれています。教会を正しく整えてゆくための方法を判りやすく説明して下さっているのです。天において大きな喜びとなる教会を目指したいものです。仮に“良い教会・よくない教会”というものがあるとすれば、教会に申し出ることが自由にできるかどうかということでしょう
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