2005年
8月21日

≪今日の聖書から≫
今朝の説教題は「高価な真珠」としました。真珠といえば、次ぎの箇所を思い浮かべる方も多いと思います。“また天国は、良い真珠を捜している商人のようなものである。高価な真珠一個を見いだすと、行って持ち物をみな売りはらい、そしてこれを買うのである。(マタイ、13:45〜46)”がその箇所です。天国の大切さは、良い真珠を捜している商人のようなものである、というのです。私たちも天国を求めているのですから、この商売人の姿に似ているのです。一言で言えば“求め続ける”といえるでしょう。また、“決して良い真珠ばかりだとは限らない”という言葉も聞こえてきます。最近では真珠のように見えますが、ちょっと傷がつくと、中からガラス球が出てくるような見せかけが出来るようになりました。紛らわしいものが多いときにはいっそう、見極める力が必要なのです。更に語られている内容は、見つかった時の有様です。全財産を費やす商人に譬えられています。勇気のいることなのです。そして今日の聖書の箇所に進みますが、この箇所も天国がやってきたときの有様についての教えということになります。24:42に“目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか、あなたがたには、わからないからである。”と天国に迎え入れられるときの様子が教えられています。いつやってくるか判らない、ということを忘れないでいるということです。常に最高の真珠を探している商人の姿と似ています。そして、天国が目の前に現れたときには、そのために、全てを使い果たすのです。本当に天国だということが分かれば、全てをそのために使い果たすでしょう。私たちの人生も、主を待ち望むことによって、頼るものをはっきりさせることが出来ます。また、無目的に毎日・毎年を過ごしているようなときにも、はっきりと目的を見つけることが出来ます。そして備えることが出来るのです。備えに向けて努力し目的がある、これは人の毎日を実に豊かで愉快なものにしてくれるのです。“自分の主人は帰りがおそいと心の中で思い”と思い、天国のことは天国のこと、“仲間と飲み食いすることは楽しい(24:49)”と、頼る相手を間違えていては、教会に“聖徒の交わり”も“とこしえのいのち”もみいだすことはできないのです。

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