2005年
3月6日

≪先週の聖書から≫
 先週、教団の総会の後にもたれた連合礼拝には全国29の教会から百数十名の兄姉・牧師が出席し御言葉をいただき、聖餐の恵に預かりました。全国にある私たちの教団に属する懐かしい皆様と恵みの時を持つことが出来ました。

 開かれた聖書の箇所は『申命記』8:1〜10で説教題は「主に歩ませられた道」でした。“この四十年の間、あなたの着物はすり切れず、あなたの足は、はれなかった”は、4節の言葉です。

 経験ある兄姉も、体験していない者も、思いめぐらせてみますと、今年は新教団設立20周年を迎え、説教題にあるように、やはり、そのときの最善の道を神様によって歩まされていたのだということに気付くと思います。神様に聞き従い、答えを求め、私たちに出来る最善の道を歩ませていただきたいものです。後になって、あれがどうのこうのと他人事のように、またあれが悪かったから・・・、などと不平に思うことはいくらでも出来ます。しかし大切なのは、最善を尽くすということではないでしょうか。

 カナンの地・乳と蜜の流れる地を目前にして、世代は交代していましたが、語られた神様の言葉は、簡単な言葉でした。“あなたの神、主の命令を守り、その道に歩んで、彼を恐れなければならない”、それだけのことでした。そうすれば神様はちゃんと、“あなた方の衣がほころびることもない”ようにしてくださるというのです。

 そして私たちの教会はどうでしょう、40年の半分20年を新しい教団の一つの教会として、歴史を刻んできました。おそらくいろいろの事があったと思いますし、思い出して苦痛に思うこともあると思います。しかし、どんなときにも、“私達は砂漠の中で飢え死にしてしまうじゃないか”といいたくなる時も、“あなたは食べて飽き、麗しい家を建てて住み・・・(12節)”という約束があるのです。

 ところがもう一つの約束があります。それは“おそらく心にたかぶり、あなたの神、主を忘れるであろう・・・。”という14節の約束とも警告とも取れる神様の予想です。
 私たちが今教会のことを省みたとき、なんと麗しい、ということも、なんと苦しかったことか、ということも出来るということでしょう。

 今日までの20年に支えられ、次の20年も主に期待をし、その約束がイエス様によって既に私たちに与えられていることを忘れないで、証人として、新しい人々を迎える者として、若者を迎える教会として、信仰の先輩に学ぶ教会として、歩ませていただきたいものです。

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