≪クリスマスの話から≫
今週は“先週の説教から”を休んで、ちょっと休んでクリスマスについてみてみましょう。
12月25日のクリスマスにイエス様がベツレヘムにお生まれになったとは聖書に書かれていません。暦の使い方からはじめても、たしかにこの日だと言うにはちょっと無理がありそうです。“降誕を祝う大祭日”キリストのミサ、ノエル、などと理解すべきでしょう。
この日がその記念の日だというのは当たり前のようですが、東方の教会やアルメニヤの教会では、1月6日(私達のカレンダーでは公現日)も降誕日として祝うのだそうです。
初期の記録としては、AD336年のローマの行事を記したフィロカロスの暦の中に、12月25日のことが記されているそうです。
次にドイツの歴史家のモルゼンが発見した354年の文章の中に“キリスト後の第一年、カイザルとパウルス執政官の任期中、主イエスキリストは12月25日の金曜日、新月の第15日に生まれたもうた”とあります。
東方の博士たちが主にお出合いしたとき彼らは、もう馬小屋にはおらず、1月6日と大まかに一致するというのが、東方教会がこの日を祝う根拠にもなっています。
この日を巡っては実に多くの話が他にもあります。
12月25日といえば冬至になります。やがて日が長くなり出す記念すべき日。このような考え方も、私たちを納得させてくれるかもしれません。実際、主は平和の中にではなく、罪がこのうえもなくはびこった一番暗いときに、この世においでになったのですから、私達の想いとも一致することでしょう。
この、冬至を根拠に考える説があります。ローマの人々の中には、太陽の神(太陽を神として)をあがめる、ペルシャに起源を持つミトラ教という異教もありました。太陽の誕生日という理解をしていたようです。その日は太陽がやがて復活し、勢力を盛り返す日ですから、真の“義の”太陽なる、キリストの誕生を記念する日という理解と結びつきやすかったのかもしれません。
ローマの17日から一週間続く収穫祭に相乗りしたという説もあります。そのほかにも聖書とも、教会とも関係のないトナカイにそりを引かせたサンタクロースの登場や、クリスマスツリーやリース、いろいろのもので私達はクリスマスを記念します。
実際は“イエス様の誕生は紀元前3から7年にあった”というのが正しいのだそうですが、主の降誕は私達の教会にとっての歴史的出来事として実に確かなことです。
今の西暦が、キリストの降誕に起源を置く事の決定は、664年のイングランドのホイットビー会議の決定によるものです。
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