2004年
10月10日

≪先週の説教から≫
 エステルの会では『ローマ人への手紙』を最初から最後まで通読しています。先週は3章を読んでみました。

 教会にしばらく集うようになると、空で覚えてしまう箇所が出来てきます。それらは、聖書の中のエッセンスとも言うべきことを一言で言い表していたり、時と共に変わってきたにしても、詠む私たちにピッタリと“ほんとにその通りだ”アーメンと言える所だったりするでしょう。ローマ書の3章にもそんな箇所が沢山あります。

 10節にある“義人はいない”(詩篇14編からのパウロによる引用)もその一つでしょう。これらの聖句を思い出すとき、罪について考えたり、キリストの贖いについて思わされたり、慰めを得たり希望を得たり、何度繰り返しても、新しく私達に語りかけてくれるところです。

 エステルの会では、このような聖書がどんな脈絡の中で書かれているのか全体をかなり速く、記憶の鮮やかな間に読み通そうとしています。ローマのキリスト教と言っても、一体どんな教会だったのでしょう。教会と言えるようなものがあったのでしょうか。

 ペンテコステの出来事のときに、ペテロの最初の説教を聴いた人々の中にローマから来ていた人のいたことは充分想像できます。紀元49年のクラウデオ帝の時代、ユダヤ人がローマから追放されたと言う歴史があります。キリストを信じるユダヤ人もその中にいたのかもしれません。ローマカトリックは、使徒ペテロが最初の教皇としてローマの教会を創設した、と教えますが、実際の細かな記録は残っていません。

 それではこの手紙は、どこで書かれたのでしょう。三回目の伝道旅行のときパウロは、三度目のコリント訪問を行い、ガイオの家に滞在し、聖徒のもてなしの中で過ごしていたようです。そしてここから、まだ見ぬローマの教会に“一体福音とはなんであるのか”を書き送りました。また、この教会には様々な説が飛び交い、またキリストの教えに関してかなり混乱していることを知ったパウロは、それについても正しく書き送った、と考える説が一番多い様です。そうすると57年ということになるようです。手紙は論争的でもあり、真理はどこにあるのかを力説しています。だからどうしても教理的になります。

 「諸説があるでしょう。しかし私の福音(2:16)はこうである」と書かずにいられなかったパウロの思いに、心を向けたいものです。

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