2004年
9月5日

≪先週の説教から≫ 信徒礼拝 (説教:山田姉)

★詩篇40:1〜3よりこの作者は死にあたいするほどの苦しい立場におかれていました。神様だけに希望を抱き、信頼し、救いを求めて祈り、神様の救いを待ち続けました。神様は作者の祈りを聞き入れてくださり、救い出してくださいました。

 私たちも「神様どうしてですか」と思うようなことに今後出会うと思います。また「今、苦しんでいます」という人もいらっしゃると思います。この作者のように神様を畏れ、信頼し、救いを求めて祈ることが私たちの愛する神様が喜んでくださることと思います。第一に神様の御言葉である聖書を読み、祈ることは大切です。しかし「神様は本当にいらっしゃるの」と叫びたくなる時、自分の愛唱歌の讃美歌、聖歌を口ずさむことも神様はやさしく聞いてくださると思います。それは、讃美歌、聖歌の作者の多くが悲しみ、苦しみの中にそれらを作ったからです。詩篇40:3「主は新しい歌をわたしの口に授け、われらの神にささげるさんびの歌をわたしの口に授けられた。多くの人はこれを見て恐れ、かつ主に信頼するであろう。」神様はどんな時でも、大きな愛を持ち、私たちを見守っていてくださるのです。あなたの心の支えの聖句はどこですか。あなたの好きな讃美歌、聖歌はどの歌ですか。≪文責:山田姉≫

★先週の礼拝は山田姉からメッセージをしていただきました。“多くの人はこれを見て恐れ”という御言葉が語られましたが、なぜ畏れているのでしょうか。クリスチャンの讃美をする姿を見て畏れると書いてあります。神様と、その神様が讃美をする人にして下さることを目のあたりにして、かしこまるということでしょう。“畏れる”であって“恐れる”ではないのです。素晴らしい人生と幸福、苦境にあってもくじけることのない、朗らかさが証されているとき、そこに全ての人に対する神様の啓示が示されているようです。こんなに素晴らしい姿を全て主を信じる者に約束して下さっているのが神様なのです。これからも私達の草薙教会が、讃美をし、御言葉を語り、また聞き、証と説教をする教会であり続けるように、人の力では得られない讃美に満ちた群れであるように願いたいものです。“そのすべての実を聖なる物とし、それをさんびの供え物として主にささげなければならない。”というのは『レビ記』ですが、口語訳聖書では“さんび”という言葉が87回も表れています。聖書が知恵として教え、神が大切にされていることの一つだといえます。そしてこのさんびは人を造りかえるのです。

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