2004年
8月8日

≪先週の聖書から≫
 式文を聴くこと、してますか。
 聖餐式をcommunion service(コミュニオンサービス)というようです。このcommunionについて、親交; (霊的)交渉.信仰・宗派などを共にすること(研究社、『英和中辞典』).などとなっています。聖餐(式)又は、主の晩餐の礼典、と言われるようです。キリストにある交わりを意味しているのです。私達は、どんな呼びかけ(招き)に応えてこの式に連なるのか、式文から見てみましょう。

 「
まことに、自分の罪を悔い、隣人を愛し、神の戒めに従って今から後、その聖なる道を歩み、新しい行いをしようと志している者は、信仰をもって今ここに近づき、慰めを得るためにこの聖餐を受け、慎んでひざまずき、へりくだって全能の神に俄悔しなさい。」とあります。司式者はこのように招きの言葉を持って呼びかけます。一読するだけで実に良く分かる内容ですが、一つだけ、ここでもう、“慰めを得るために”と何のために聖餐に連なろうとしているのかが記されているということです。

 続いてクリスチャンは“懺悔の祈り”を捧げます。次に謝罪の祈りがあります。どんなことが語られ、何の目的ために、このような祈りがなされるのかを思いながら見てみましょう。「全能の神、われらの天の父よ。主はその大いなる憐れみをもって、心から悔い改め、まことの信仰をもって主に立ち帰るすべての人の罪を赦すことを約束されました。主が、わたしたちを憐れみ、ゆるし、すべての罪から救い、わたしたちを堅くし、強めて、よい行いをさせ、永遠の生命をつがせてくださるように、主イエス・キリストによってお祈りいたします。アーメン。」これが“謝罪の祈り”です。「祈ります」、とあるように、懺悔の祈りと同じように、「悔い改め」です。主の全能なること、という理由で確かとなった祈りなのです。

 次にきよめの祈りに進みます。「全能の神。すべての人の心は主にあらわれ、あらゆる願いは主に知られ、主のみ前には、どのような秘密もかくすことはできません。どうか、聖霊の恵みによってわたしたちの思いをきよめ、わたしたちが全くあなたを愛し、きよきみ名をただしくあがめることができますように、主イエス・キリストによってお祈りいたします。アーメン。」これがその言葉です。

 讃詠の前半を確認しましょう。「きよき父、とこしえにいます全能の神よ。 いつどこにいても主に感謝することは正しく、喜ばしいことです。わたしたちは、み使と、み使のかしら、および天の全会衆とともに、主の尊いみ名をあがめ、常に主をたたえてうたいます。」
 続いて“聖なるかな・・・”となります。

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