2004年
6月27日

≪先週の聖書から≫
 先週の月曜・火曜に、教団の教職が集まり、教職研修会が奈良で開かれました。毎年学びの内容は違うのですが、今年はこの20年間の教団の歩みを理解することが目的でした。私たちの清水草薙教会が、かつて自由メソヂスト清水中央教会といっていたのが、今の名前になったこととも関係していることです。このことを深く心に記憶している兄姉もいるでしょうし、私自身、そうなのですが、その時代のいきさつを知らない者もいます。けれどもひとつの教会の、或いは教団の歴史として、何があったのかを知ることはとても大切なことです。要するに、いくつかの教会と教会の路線論争の結果、どうしても一緒にやって行けなくなったという、政治的問題だったのです。その中でも幾度となく、正しいと信ずる教会のあり方が議論されたことも事実です。確かに、世界の教会は分裂の歴史だったかもしれません。分裂を体験して、多くの牧師や信徒が、教会を去ったでしょう。わたしたちの教団もまたこんな経験をしているのです。

 この研修会の礼拝で、『ルカによる福音書』5章が開かれましたので、一緒にチャレンジということについて考えてみたいと思います。挑戦、それは人に努力をさせて飽くことを知らない目的です。技術を身に付けたい、学びをしたい。裕福になりたい、スポーツ選手になりたい、実に様々な目的をそれぞれの人は持ちます。

 この聖書の箇所における目的は、漁をし多くの魚を得ることだったことは明らかです。しかし、一晩漁をしてもダメだったのでやめました。なんと私たちの毎日と似た記述でしょうか。私たちも色々やってみて、最後には諦めることを常として生きているともいえます。あまりに大きな目的の為に、努力するのは、愚かだと言う時もあります。

 しかし疲れて漁を終えようとしていた弟子達が賢かったのは、主の言葉に従ったことです、「もう一度漁をしなさい」という指示でした。漁をしたのは弟子達でした。イエス様にしてもらったのではありません。

 あるとき私たちも大きな収穫の約束のことばが与えられるでしょう。テレビの番組に「プロジェクト
-X」というのがあります。困難の中で努力し、実現に至らせた、という沢山の物語です。多くの成功の影で、失敗に終わった実に沢山のプロジェクトがあることの、そのことの上に、「もう一度やって見なさい」という言葉を聖書から聴くこともあるのではないでしょうか。

 今やってみるべきことと、(正しいと知っているけど)諦めてしまっていることは何でしょうか。

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