2004年
4月25日

≪エステルの会より≫
  半年以上、使徒行伝に“何が書いてあるか”をと通してみてきました。もうそろそろ終りになりますが、何が書いてあって、何が書いてないか、についても見て来たと思います。

 元来聖書はエッセンスが書かれたもので、朝の礼拝で読まれているヨハネの福音書のお終いにも、“しかし、これらのことを書いたのは、あなたがたがイエスは神の子キリストであると信じるためであり、また、そう信じて、イエスの名によって命を得るためである(20:31)”と、単なる記録の目的が記されています。

 使徒行伝でも同じです。聖書に書いてないことを、あたかも、聖書に書いてあるかのように言ってはいけませんし、聖書に書いてあることを書いてないかのように言ってもいけません。けれども聖書は、想像することを禁止してはいません。

 使徒行伝で、その後のパウロはどうしたでしょう。気になるところではないでしょうか。華々しい書き方に記録された出来事には、必ずその準備と、それからの物語が隠れていることの多いものです。

 使徒行伝の最後は、“パウロは、自分の借りた家に満二年のあいだ住んで、たずねて来る人々をみな迎え入れ、はばからず、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えつづけた(28:30〜31)”。と記されています。ずっとではなく二年間だと言うのです。それでおしまい・・・、とは書いてないのです。その人によって感じることは違うでしょうし、読む時によっても、駆け巡る思いは異なると思います。

 ヨーロッパの各地には、その後パウロはここにまでやってきて、ここで奇跡を行なった、これが我々の教会の基礎になったなどという伝説が沢山あります。

 肝心の著者ルカはどうして、ここで筆をおいたのでしょうか。この書の目的について、全てを語り終えたと思ったのかもしれませんし、何か事情があったのかもしれません。

 目的については、“ただ、聖霊があなたがたにくだる時、あなたがたは力を受けて、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、さらに地のはてまで、わたしの証人となるであろう。(1:8)”がぴったりするでしょう。

 その後の働きは、教会に任されたのだと読むことも出来るでしょう。“はばからず”神の国について語っているのですから。

 パウロは、その後殉教したのか、それともまたどこかに行ったのか、気になるところです。

 

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