2004年
4月11日

≪先週の聖書から≫
 先週の礼拝では、『ヨハネによる福音書』18:28〜40が開かれました。

 ユダヤ人が総督官邸に入るのを拒んだため、ピラトのほうからユダヤ人のところに出てきて話すことになりました。その理由は、ユダヤ的でないもの、官邸に入ることによって汚れてはいけないからでした。時刻はもう明け方になっていました(28節)。その後、彼らの告発に基いて、イエス様とピラトの劇的な問答が展開されます。ユダヤ人の告発とは「イエスは自分をユダヤ人の王であると言い、このことはローマに敵対することにも値する」という内容でしょう。以下“王”また“国”と言う言葉が、十字架を理解するためのキーワードになるのではないでしょうか。

 35節で「ユダヤ人の王だと主張しているようだが、あなたは何か犯罪を犯したのか」とピラトは質問しています。ピラトにとって、何か具体的な行いでもなければ、ユダヤ人の信仰に関することなど、どうでも良かったのでしょう。イエス様はこのことを見抜き、逆に「あなたの立場はどうなのか」と聞いています。

 次に、国についての問答になります。私たちの“主の祈り”にあるあの御国についての論争です。もともとイエス様の国は、この世の国のように領土があり政府があるようなものではない、とおっしゃっています。この世の支配権に関することであるならば、“イエス様に味方する人が、ローマと同じように武力をかざして助けに来るでしょう”、とおっしゃっているのです。

 しかし、イエス様がおっしゃった本当の意味は支配そのものが国であると言うことなのです。イエス様は王でしたが、ローマ帝国のライバルになるような国の王ではないのです。ピラトはローマ法に触れる何ものをも見出さなかったので、ユダヤ人のところにやってきて「この人には、私が関わるような罪が認められない」と言うことになります。ピラトはこの後、三度も無罪だと告白することになる一回目のことです。

 私たちも今や二つの国について、知らされていることを思い出すべきでしょう。真理に属するものは皆、私の声に聞き従います、と37節にありますが、イエス様の御国と、現に私たちに、力となって襲いかかってくる、財力が支配するこの世の国です。恐らくピラトは、ローマの権力を代表するものとしてこの場を上手く乗り切ることが求められている、と感じたことでしょう。バラバの出来事にまでつながることになります。

 十字架において成し遂げられた、神の子の十字架に値する、御国、イエス様の勝利を思いましょう。

 

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