2004年
2月22日

≪先週の聖書から≫
 日本中の、と言ってもよい程、この時期は教会総会の季節です。呼び方や持ち方などは実に多様だと思いますが、それぞれの教会や教団が、新しい年度の計画について話し合っていると思います。
 宗教法人清水草薙教会は、教会予算総会をまず持ちます。そこで選ばれた代議員が教団予算総会に出席します。

 その次は、2003年度清水草薙教会の教会決算総会が持たれ、教団決算総会が持たれるという事になります。
 
 実に面倒な手順のように思われるかもしれませんが、このことは、教会が決してあやふやな存在ではなく、宗教法人として、教会も教団も運営されていいることを物語っているのです。私たちが勝手に、我々の集まりは教会だ、と言っている以上に、その時代に応じて運営されているのです。

 教会にはもうひとつの面があります。それは、そこから神様の国がもう身近なものとして見えている、聖書と聖霊に導かれている不変の教会だと言う事です。この教会は、信仰に対する迫害の時代も、反対に、今の私たちには教会が政治権力を形成していたかのように見えている時代にも、変わる事のないものです。ですから、先週の私たちの教会の総会で決められたことが、週報の報告に書かれていることも、とても大切なことです。

 総会の始めに開かれた聖書の箇所は、箴言18:1〜2でした。“人と交わりをしない者は口実を捜し、すべてのよい考えに激しく反対する。愚かな者は悟ることを喜ばず、ただ自分の意見を言い表わすことを喜ぶ。”と言う知恵です。すべて良い考えに反対する口実を探す。どこかで経験したような感じに思えるときもある言葉です。

 加えて聖書は、その原因が、人と交わりをしないからだ、と言っているのです。別の言い方をすれば、交わりの中に良い考えが出来上がってくる、と言うのです。教会の会議もこうありたいものです。

 交わりを失って、信仰の殆どを失ってしまうように感じるときもありますし、交わりを失っても神様のことを思い、何者をも失っていないように思うこともあります。先のような状態は、ひょっとしたらキリストに信頼していないことを意味するかもしれませんし、後のようなときは、兄姉のことを無視した勝手な思い込みを意味するかもしれません。

 主の祈りを祈ってみましょう。そして自分の声のほかに、共に声をあ合わせていることに気付いたときの素晴らしさを大切にしたいものです。更に使徒信条において、“聖徒の交わりを信ず”と告白するのです。それがまだどんなに完全なものではないにしろ、そうなのです。

 

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