11月30日

≪先週の聖書から≫ 信徒礼拝説教:桑山まき子姉
私は1952年9月に清水の三保において海水洗礼を牧師の司式に依り受けさせて頂く事が出来たのです。それ迄の私は色々な事を通じて自分に自信が持てなく、依頼心が強く、いつも他人の後に居たい様な苦しみに悩まされていたものでした。でも、水の中から引き上げられた瞬間から「今迄の自分は洗い清められ今の私は皆と同じように堂々と行動できるんだヨ」という大きな喜びが湧き上がって来るのを感じて不思議に思ったものでした。7人兄弟の5番目として生まれ、妹と弟が一人ずつ居るという家族の一員でした。

 受洗後二年で母が、それから四年後に父の逝去と試練の時を迎える事になり、「神様どうしてですか?」と祈る時もありました。結婚、子育ての時等は一時的に教会から遠ざかりました。そんな時期にいつも牧師を通してイエス様の愛を頂き、教会に復帰することが許され感謝でした。

 あれから10年を経て振り返る時、多くの試練、艱難にあいましたが、どの様な時にもみことばと祈りの時が与えられている事に依り、自分では想像も付かない程の勇気と気力がその都度与えられて来たことはいつも聖霊さまが共に居て下さる事であったと思います。

 箴言3章5〜6節「主に信頼せよ。自分の知恵にたよってはならない。すべての道で主を認めよ。そうすれば主はあなたの道をまっすぐにされる。」
 
 マタイ5章13節「あなたがたは地の塩である」,14節「あなたがたは世の光である。」
 
 みことばに従う信仰の道を全うさせて頂けます様、祈ります。
 当日の聖書箇所:『箴言』
3:5-6文責:桑山姉




クリスマスには気をつけましょう。
 旧約聖書、『イザヤ書』9:1〜7が、先週の教会学校で開かれました。
 
 アドベントの第一週、旧約聖書の預言の素晴らしさに思いを馳せたいものです。“私たちすべてのために、平和の君が、男の子として与えられた”と言うのです。

 イエスのおいでになる何百年も前の預言者たちが、まだ見ぬ救い主を、なんとはっきりと知っていたことでしょうか。そして既に、おいでになった救い主を、どんなにおぼろげにしか知っていないこの世でしょうか。このイザヤの預言はまるで、新約聖書の体験談を読んでいるかのようです。

 教会は、ここから離れて、主の降誕を祝ってはいけません。忙しい事や、楽しいことだけが多い、慌しいクリスマスでありませんように。  文責:村上

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