8月31日
信仰と忍耐』
(コリント人への第一の手紙12:3〜7)
信徒礼拝日 説教:桑山一夫兄

★ 信者の働きは皆同じでなく、その出所は聖霊であるから、お互い持てる賜物を共有奉仕し合って教会を、信仰を基として強固なものにしなければなりません。他人の賜物を大きく評価したり、また別の人の賜物を軽視するような事があってもなりません。キリストの御心を煩わすつぶやきを言ったり、失礼なことも言わないように教えられています。自分から馴染んできたしきたりや、やり方、考え方は、外部からの刺激に防御の形を取らせます。 歴史は鏡でもあり、古人の良い事もその失敗もそのまま私達に再現されます。皆同じでなくても、それを共有奉仕し合って神に在り、信仰者として強固な教会でありたいものです。ヘブル人への手紙10章35〜39。私達に必要なものは、信仰と忍耐である。


エステルの会――聖書研究会――では、「使徒行伝」を読み進めています。三章から四章にかけてを学びを行なっています。最初の頃の教会の説教はどんなものだったでしょうか。祈りはどのような言葉でされたでしょうか。主イエスは、福音書の中で「主の祈り」を教えています。マリヤも祈りました。シメオンの祈りも知っています。しかし、それ以降の祈りについては、なかなか見つけ出せないのにお気付きでしょうか。まず説教についてはこうです。勿論ここではいったい説教とは何か、などということについては別にしておきましょう。3:17-26を見ますと、実に説教らしいと思います。内容は使徒信条にも重なっています。しっかりと、神について、キリストについて、祝福に与ることについて語られています。また祈りについてはこうです。4:23-30を見てみましょう。どのような祈りが“口をそろえて”なされたのか。弟子たちや教会の人々によって、ひろめられていった有様が実によくわかります。私たちも、こんなに素晴らしい祈りが聖書にあることを忘れないようにしたいものです。“素直に願いを申し上げるがよい”とありますから、ただ願いをあれもこれもと、申し上げるのも祈りでしょうが、栄光の主なる神への讃美の祈りも忘れないようにしたいものです。私たちの毎日の祈りはこのように、実に歴史的なものであり、また、聖書的なものなのです。聖書が“祈りを成し”という意味はこのようなも中身だったのではないでしょうか。

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