『一人を大切にする教会』
(ルカによる福音書17章11〜19節)



     「ルカによる福音書」から、癒された十人のらい病人の物語を学びました。17章11節〜です。
 
 当時らい病(レプラ)はけがれや、罪の結果のように思われていました。らい病はきよめられなければならないものでしたし(マタイ8:2その他)、「盲人が見え・・」と同じように表現されるとき、らい病はきよめられる(治るのではなく)、と言われました。そして自分達が不浄のものであることを宣言しなければなりませんでした。それは決定的な「人権剥奪」のようなものでした。日ごろ敵対している、「ユダヤ人対サマリヤ人」という関係もなくなってしまっています。ここに書かれていることを見ますと、最低一人はサマリヤ人で、中にはユダヤの人もいたことが分かります。さて14節の意味はどうなのでしょう。祭司が判断する権利を持っていたことが分かります。見て「らい病ではない」と言えば、その人はもう、きよめられているのです。この物語の中でもそのようになっています。彼らは、清くされましたが、感謝を表しに戻ってきたのは、当時宗教的価値観からはさげすまれていたサマリヤ人一人だけでした。

 私たちはいったいどれだけの感謝を、知っていることについても知らないことについても、神様に、そして人にしていることか、思い起こさせられるところです。そして「あなたの信仰があなたを救ったのだ(19節)」とされたいものです。イエスは、あらゆる枠を超え、福音にたたれましたし、私たちの中に、信仰を備えてくださっているのです。ここにある信仰と言う言葉は「さすが立派な信仰者だ!」と言う意味ではありません。間違えないようにしたいと思います。自力で信仰は勝ち取れるものではなく、ただ恵みのみによって応答することによって、神様が私たちの内においてくださるのです。

 

   

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