美ら通信 第5号 2000年2月10日発行
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  美ら日記(5) 山原の山と人  
 「山原の山」といっても、私の知っている山は嘉陽と天仁屋の間の林道のあたりである。林道の終点から海岸線におりていく山々は五十回以上はかよった。昔人のけもの道をさがしあて、人が歩けるように階投をつけた道。その道ぞいの山々が私が知っている「山原の山」である。玉城長成さんや中村保さんなんかのように、それこそ山原の山々を歩きまわって記録をつくった人々には比べようもない。

 具志堅勇(五四才)は、戦時中に底仁屋から有銘に下りる道ぞいの避難壕で生まれた。お父さんは戦死。したがって父親の顔も知らない。母手ひとつで育った7人の兄弟の末っ子。今は、ランの花キ園芸ひとすじのハルサーである。私は三十数年前はじめて山原に来たとき、若き具志堅勇に会っている。いま、ひょんなことから彼といっしょに作業をすることが多くなった。林道の終点から東海岸ヌーファにおりていく山道づくりの手伝いもさせてもらった。あのあたりの樹々の名前(方言名)とその名前が暗示するくらしとのかかわりをその作業のあい間あい間に教えてもらった。アコー、メーシギ、ギーマ…。それらの中で忘れられないのが「アンマー・チーチー」である。学名は「イヌビワ」で「お母さんの乳」とでも訳せる(?)その低木の話をきかせてもらったのは、山道づくりの最終投階の石積み作業のときだった。山の斜面から大きな石を運び、その石で一つ一つの石の階投をつくる時、彼は最も困難な作業を自分でやり、私にはできるだけ楽な作業をさせてくれた。無言の彼の配慮が伝わってきて、私は彼の十分の一にもならぬ作業をとにかくやり続けた。この石段を入れて657の階段を彼はつくり上げた。もちろん少しは別の人もやったが、90%は彼の作業であり、その十分の一を私もやった、ということになる。納得のいく階段づくりを彼がやり遂げたことがヒシヒシわかったので、私は黙って言いつけを守った。失敗も見のがしてくれ、翌日にはそれが黙ってなおしてあった。私には真似のできない教え方であった。

 「アンマー・チーチー」のことだが、この小さな木は木の肌にキズをつけると白いまさに乳が流れ出る。その木には丸い実がなる。花は見たことがない。その実はヒージヤー(山羊)が好んで食べて、彼もこの実をヒージャーのエサによく取りに行ったという。

 ある時こんなことがあった.「アンマー・チーチー」の話をきいて後、私はひとりで山作業に入った。その時、この木にツルがまとわりついていることが多いことを知った。その日は階段づくりの自分の作業分担をすることになっていたのだが、ツルにからまって息苦しそうな「アンマー・チーチー」を見て私は無性にかわいそうと思って、ツルをはぎとった。1日かけて3本の「アンマー・チーチー」しか手がまわらなかった。久しぶりに陽の光をあびた「アンマー・チーチー」は気分よさそうで、私はその木の下でタバコをふかした。空に、はぐれたサシバが旋回していた。

 後日、具志堅勇と会った。この時はじめて、彼は私をほめてくれた。私は沖縄に来て十四年目になるのだが、これほど嬉しいことはなかった。嬉しさをどうかくしてよいのかわからぬままに、私は彼から離れて石積みの補修をし続けた。誰にほめられるより嬉しかった。

 その彼が、本土の新聞記者に私のことをこう言った。「コシ石は、まだまだ沖縄ではモグリ。ウチナンチユーとしては半人前以下だ」と。私はこの記事を見て、「具志堅勇はすごい」と思った。これほどのメッセージを私にくれた人はいなかった。またこの記事をなんの注釈もつけずに載せた記者の力に感心した。

 五三才なのだが、私はこうした人々のなかで自分の仕事をし続けたい。アンマー・チーチーの下で好きなタバコをゆっくりとくゆらせながら、山原の山に受け入れてもらえるよう楽しく生きていこうと思っている。



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森の妖怪、“きじむなー”の住む木
 きじむなーというのは、背丈が小さくて、赤い髪の毛をしています。年を経たガジュマルの木とか、あこうの木に住んでいるといわれていますが、魚を獲るのがとても上手です。
 そのうえ、魚の目玉が大好物。どんなに大きな大人でも、背負って海の上を走ることもできます。しかし、きじむなーのこわがっているものは、手の八つあるタコ、そして、人間のおなら。
 ある人が、きじむなーに背負われて、海の上で魚を獲っているときに、からかってみようかなと思っておならをしたら、きじむなーはとても驚いてしまって、そのまま逃げていなくなってしまいました。
 その人は、海におきざりにされて、溺れてしまったという、話があります。


(『きじむなー』沖縄の民話や伝説に登場してくる”妖怪”。魚が大好物で、古い大樹の穴の中に住んでいるといわれています。)
 


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まーんかい日本 沖縄の針路32 基地たらい回し対談 上
一九九九年一二月二十日 琉球新報(朝刊)より

 普天間飛行場の移設先は辺野古に決まるのか?基地たらい回しに反対する名護市在住の真志喜トミさん、輿石正さんにキビシク語りあってもらった。二人は名護東海岸の自然・文化を紹介するエコ会社「エコネット・美」の創立メンバー。ともに地域で笑い、悲しみ、けんかしながら地域づくりの行動をしている。

どうせ基地はできる

輿石正(以下正):トミさんの、基地はいらんかネー「たらいまわし」芸。あの芸の着想はどこからきたわけ?

真志喜トミ(以下トミ):どこからって、私みたいに今まで政治のセの字も知らなかった人間には、むずかしい話は分からん。大変なことになったとは思っても、どうせ国のやることだから米軍海上基地は作られるだろうと思ってた。

正:まさかひゃー。

トミ:まさかじゃないサー。沖縄は今までいつもそうだった。金のぶんどり合戦がはじまって仲間われして、結局は作られるって。ただ中南部の今も被害に悩んでいる女の人たちが立ち上がって、米軍基地はよそに持っていってほしいけど、こんな被害を名護の人たちに押しつけるのはダメだと言ったときはびっくりした。あれは効いた。基地問題が急に身近になった。

正:カマドゥ小の会なんかの?

トミ:そう。この頭の上の空を米軍機が飛ぶんだということがものすこく身近なことになってきて、ドキドキしながら市民運動に入っていった。自分の言いたいことは言おうって。今でも辺野古の基地被害はここにもあるのに、もっと押しつけるって、なんでかネーって。

「久志」は「後」か

正:嘉陽なんか、ずっと名護市のごみの最終処分場がある。夏なんかハエがふしがらん(我慢できない)。市街地の人はそのことすら知らない。イヤなものを押しつけていることの実感はほとんどない。久志(地域)は結局、後(クシ)、ということなんじゃないか。どうせアッター(彼らは)何もできん。やってもまた分裂して、一時的には反対運動も盛り上がるかもしれないけど、どうせ金にむらがるって。

トミ:確かにそれはあると思う。それを知ってるから押しつける。でもネ、今度は少しちがう。今までは男の人とか組織とか党とかだったけど、女性をふくめて新しい動きが出てきているのも事実よ。そんな暗い話ばかりしないで。

正:トミさんの「たらいまわし」は久しぶりにいい気分にさせるものだナ。不思議。

トミ:あれで結構難しいんだから。
 私思うんだ。基地がそんなに大事だったら、大事だと思う人の所へ持っていけばいい、しかも振興策付きで。こんないい話ないはず。こんなこと言うと、身勝手に思われるのはわかってるけど、沖縄はもう五十年以上も押しつけられ続けてる。言ってもいいはずじゃないかって。

悲しさをエネルギーに

正:基地と抱き合わせの振興策が本当なら、今ころ金武町は日本一の町になっているはず。そんな幻想が知事や市長の政治判断の基準になっているのが悲しい。怒る前に悲しい。

トミ:私のたらいまわしのエネルギーは、その悲しさ。だから明るくやんなきゃ。男の人はすぐ沈むから。沈むわりにかっこつけるのって男の人の特技だから。(チラリと視線をおくる)

正:かっこつけついでに、トミさんも瀬嵩への寄留民、いわばよそ者だよネ。

トミ:ニ十一年前に今の 学院の生活指導員としてこっちにきた。それからは血と涙のー…それはジョーダン。(そろそろのってきた)
 …実は私はネ、昭和一六年三月十三日に宜野湾村字喜友名に生まれた。アーア、ついに言っちゃった。彼氏がこの記事見たらどうしよう。

正:どうしようって、またたらいまわしすればいいサ。

トミ:そうかネー?

正:そうサー、それで。

ヤナじんぶん

トミ:父は防衛隊として読谷で死んだことになっている。母の里の大山でそれを聞いた五歳の時。だから体のどこかに戦争を憎む気持ちがきっとあるんだろうネ。コシイシさんなんか私よりももっとよそ者。何かいいたいんでしょう、聞いてあげるサ。

正:十四年前から東海岸の嘉陽に住んでる。娘ふたりは小学校も中学校もここの卒業。嘉陽はいい所だけど、血縁・地縁の濃さに息がつまる時もある。「言わぬが花」というヤナじんぶん(悪い知恵)も身についたし、折りあいをつける術もかなりやれるようになってきた。「シムサー(いいさ)」と言うタイミングも使えるようになった。しかし、あの「区長制」ってのはわかりにくい。

トミ:なんで。部落のまとめ役だし。

正:今度みたいな基地問題・政治問題で、区長さんが意見の集約というか代表者みたいな所までいくと、まとめ役というだけでなくって、なにか政治的権限をもった代行者みたいな側面が暗黙のうちにできあがってくるよネ。血の濃さにこういうタテ社会の論理がスーっと入ってくるとデージ(たいへん)。名護の市長選の時にも、これをすごく感じた。しかも、その雰囲気はまた実になまなましい。政治の争点以上にリアル。

ま、イイカ民主主義

トミ:政治はナンギ。やっかいなもの。私だってそう思う。だから、「だれかがやってくれる」って思った方が楽。ナンギはしたくないっていうの当然だもん。「ま、イイカ」って日本全体が今動いている。「ま、イイカ民主主義」なんて言葉あるの?

正:知らん。

トミ:そう怒らんで。私なんかもうそのレベルを超えて、あきらめも半分。

正:その割に「たらいまわし」は続けてる。

トミ:だってあれ私の健康法だもん。大きな声で、「基地いらんかネー、振興策付きの基地はいらんかネー」って。最近肌の調子がとってもいいわけ。

正:はー?

トミ:ほら、このあたりツルツル。(おでこをなでる)そんなむずかしい顔してないで、今度たらいまわし手伝ってみる?

(「基地たらい回し対談 下」へ続く)


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