美ら通信 第27号 2007年6月21日発行
【目次】


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美ら日記(28)
ヌーファ備忘録(3)
 17・18年前の「子どもじんぶん学校」について記しておく。来月には今年度の子どもじんぶん学校が始まるわけで、参考にでもと思って記す。
 現在の施設の十分の一にも満たない場所で10日間の子どもじんぶん学校は始まった。泊りのスタッフは2名。時にボラスタが2・3名入ってくることがあった。参加者は小中学生25名ほどで、水道もなくにわか造りの台所とトイレとセンター小屋(現在の半分の大きさ)だけだった。一番の特徴は、水を川から運んできたことと、食料のほとんどは、米を除いてすべて海で捕れたものでまかなった。ということ。網をしかけての追い込み漁と、夜に15メートルほどの網をかけておいて早朝に揚げに行ってとれるものが食料の中心を占めた。山道も舟もなく、行き帰りは嘉陽から浜辺づたいを、時に崖をしがって行き来した。滝へ行く道も浜辺づたいしかなく、水の運搬は困難をきわめた。とにかくスタッフをふくめて全員で知恵(じんぶん)を出せないことにはどうにもならなかった。最初は追い込み漁も子どもたちには大変でほとんど私とヒーロー(宮城浩文)でやった。3日目ぐらいに疲れのピークが来た。昼寝をさせてなんとか夕食の食材を確保した。空腹というものは怖ろしいもので、それまでは傍観者ふうであった子どもが目の色を変えて魚を追い込むようになった。5日目をすぎると、魚の種類や性質までわかってくる。早朝5時頃の網あげの時も子どももついてきて、エビがかかったりすると歓声をあげ、浜辺で待っている子どもたちも喜びを分かちあった。白イカが捕れると海の中でみんなで分けあって食べた。フロもないので、川で体を洗い夜7時にはみんな寝た。文字どおりのサバイバルで、本土から来た子どもは何回も泣いていた。最後の一晩は嘉陽の体育館で泊りスポーツ大会をやった。その時、50円ほどの氷のアイスが配られ、惜しむようになめた。まっ黒になった子どもたちを見送る時はお互いになんとも言えない気持ちになって抱きあった。物があふれてくると苦しさは減るが喜びも減り、じんぶんも退いていく。特に<食>に関するものはこのことがあてはまる。物とじんぶん、その兼ね合いの調整こそが、また別の<じんぶん>としてある。43歳だった私もずいぶんきたえられた。                                        (マ)

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その後の名護(二十)
 5月18日、那覇防衛施設局は、米軍普天間基地のキャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設に伴う周辺海域の現況調査(事前調査)を強行した。反対派による阻止行動に備えてという名目で、ついに海上自衛隊を投入した。19日(土)、20日(日)にかけて調査機器の設置作業を続行し、サンゴの産卵状況を調べる着床具の設置を終えた。海象調査機器やパッシブソナー(音波探知機)、水中ビデオカメラなどもそこに含まれる。 
 この5月19日は、辺野古の「命を守る会」の代表の金城祐治さんが死去した日であり、20日はその告別式があった日である。まるで、祐治さんの死を予測したかのようなこの一連の強行突破を私は、忘れないでいたいと思っている。
 辺野古の集落を西側から一望できる小さな丘にある辺野古平和之塔で、金城祐治さんの告別式があった。前日の通夜で接した祐治さんは少しむくみがあったが穏やかな顔であった。告別式には実に多くの人々が参列した。長い列に加わりながら、奥に広がる海を見た。その時、私の身体にひろがった一つの光景を記しておく。
 9年前の1998年5月4日、神戸の私学会館で住民投票全国交流集会が行われた。沖縄から、私と宮城保さんとそして金城祐治さんの三人が呼ばれて行った。(知花昌一さんもいっしょだったように思う。)あちこちでの住民投票の動きが活発になるなかで、互いの報告と情報の共有のための集会であった。私は、エコネット・美の報告をした。長くなるであろう新基地建設反対運動をどうやったら持ちこたえられるか、私なりの未来像を伴った報告であった。祐治さんは、辺野古の現場での反対運動の継続には本土側の人々の関心を高めること、そして現場に来て見てほしいことを淡々と話した。その姿が忘れられない。話しぶりには、祐治さんの予感と覚悟がこもっていた。
 軍事協定という政府専権事項を、60年にわたる既成事実の上に一方的に押しつけられるとき、沖縄の地元の人間が反対していくことの困難さと苛酷さを祐治さんは予感していた。米国政府の国際軍事戦略とそれに追従する日本政府の合作としてある沖縄米軍基地は、確かに沖縄が地元である。もし日本の平和が日米の軍事的パートナーシップによって守られているとするならば、沖縄米軍基地問題は、なにも沖縄や辺野古だけが「地元」ではありえない。しかし、沖縄米軍基地“問題”の「問題」は、沖縄に住む人々・辺野古に住む人々のみが「地元」ということになる。圧倒的多数の本土側の人々と「地元」の人々が結びつくには、よほど生き生きとした想像力と情報がない限り、その結接点はつくりにくい。若い人々は、仕事の関係上、表だった反対運動はしにくく、しかも、賛成派の人々がえがく夢(すなわち、米軍基地移設は、辺野古活性化の千載一遇のチャンス)、の声もうずまくなかで、反対運動の中心が老人たちだけであることは、どんなに心細いことか。その「心細さ」が祐治さんの声にこもっていた。覚悟はかためつつも、「心細さ」は離れることはない。初老に「地元」の人間の直感であった。いったい祐治さんに、「覚悟」を決めさせた内的要因はなんだったのだろう。
 集会の後、私と祐治さんは同じ飛行機で帰ることになった。関西空港までのシャトルバスを待つ間、二人は好きなタバコをくゆらせただけで、ほとんど話をしなかった。別々の未来を予測していたのだろうか。暗くなった停留所にはほとんど人がいなく何か荒野の趣きがあった。行き帰りに見た神戸の大震災での仮設住宅群と初老の人たちの所在なげに道端に立っていた姿が祐治さんにも響いていたのだろうか。何か「別の哀しみ」が見えて共感したにちがいない。祐治さんは、若い頃長い間大阪に住んでいた。
 沖縄の海ではサンゴの産卵が始まった。今回の現況調査(事前調査)もそこにタイミングを合わせたものであろう。公表義務のないこの調査は、環境アセスのための本格調査のならしの意味と、反対派の力量を海上自衛隊の掃海母艦(「ぶんご」)の出動にてらし合わせて予測するという意味をもっている。久間防衛相は、5月30日、今回の海上自衛隊の出動について自衛隊法に基づく根拠は必要ないと公言した。その必要なしの根拠は、今回の海自の出動は「権力的行為ではない」というものであった。裏返せば、必要とあらば権力的行為としての海上自衛隊の出動を認める、ということである。米政府に対して、日本政府も米軍が求めている新基地建設に本気で取りくんでいる姿をはっきりさせ、日米軍事同盟の堅持を明示した、と言ってもよい。政治とりわけ軍事がらみの政治はリアルな茶番であることは歴史が語っている。その茶番が民衆の死をまきぞえにし、後からその茶番の真相が明らかになる。20世紀のこの茶番の悪循環は21世紀にも持ちこまれている。10年を経た名護での闘いを、茶番に終わらせないために何をなしうるのか。それはなにも名護市民、沖縄県民、日本国民に限られたことではない。そのためにも、英語バージョンで今回の文の金城祐治さんの部分を示しておきたいと思っている。         (コ)

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「すぐるの釣り日記」
 最近僕は、改めて釣りにはまっている。地元の友達(圭太)と暇を見つけては釣り場に通う。幼稚園の頃からの幼なじみで、釣りはもちろん、良い事も悪いことも、今では摸合(※)までも一緒にやっている。
 だから、二人の釣りはどことなく似てて、道具に凝る事もなく、真剣に大物を狙っている風でもなく、何かが釣れたらラッキーみたいな感じだ。そんな僕たちの口癖は「いつか大きいの釣りたいな〜」である。どこからどう見てもそんな意気込みは感じれない。でも二人とも釣りが大好きだ。釣りに行く日はまず近くの釣具店に直行。二人でダラダラ考えながら道具を買い揃える。餌は毎回サンマの切り身だ。最近圭太が耳寄りな情報を仕入れてきた。今の時代サンマでは魚は釣れないらしい。中学生でもエビ等ちょっと高価な餌を使っているらしいと。そこで僕らも負けじとエビを購入。でも、「一応サンマも買っておこう」ってことになる。一応。
 そうして釣り場に到着。圭太は雰囲気や気分を大切にする。気持ちよく釣りをするために、まず小さな小さなクーラーボックスからビールを取り出す。僕にはお茶が渡される。カンパーイ。圭太いわく、小さな小さなクーラーボックスには釣れた魚を入れるそうだ。多分大物が釣れるとは思ってないらしい。僕も同感。
 そうこうしてやっと一投目。餌は、鳴り物入りエビちゃんだ。30分経っても竿には何の反応もなし、しかし気にしない。なぜなら僕たちの頭の中では魚がエビの周辺をウヨウヨ。でも、1時間も反応がないと徐々に不安だ・・・。餌のエビはついてるか?大きすぎ?小さすぎ?腐ってない?本当にエビで釣れるのか?そんな不安の中でもまたしばらく膠着状態が続く。僕はもう餌をサンマに変えたくてたまらない。時代にそぐわなくても「サンマ命」だ。我慢できない。僕は餌をサンマに変更。続いて圭太もサンマに変更。なんだかほっと安心。そんな気持ちをサンマも魚も知ってか、チョコチョコ竿にもあたりが。しばらくして圭太の竿が大きく曲がった。しばらくのバトルの末、穴にもぐられ釣り上げることはできなかったが、圭太はもちろん僕も満足。サンマは間違ってないことを確信!二人ともかなり満足気で帰路へ。
 ココ最近の釣果は圭太が、うなぎ、やまとびー(フエダイの仲間)、ガチュン(メアジ)、等々。僕はガチュンのみ。軍配は圭太。また、来週も二人で、小さな小さなクーラーボックスにビールと、餌はもちろんサンマを持って釣り場に通うことになるだろう。いつかの大物を釣りに。

 ※摸合=沖縄独特の金銭的相互扶助システムのこと。助け合いの精神=ユイマール精神の典型ともいえる。

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