美ら通信 第26号 2007年3月19日発行
【目次】


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美ら日記(27)
ヌーファ備忘録(2)
 センター小屋の解体その全てを若いスタッフのみでなしとげたと新しいセンター小屋が完成若いスタッフと年寄2人でした。自分たちの手でなしとげる喜びにあふれた若いスタッフの姿を見るのは実に楽しい。その喜びが安着になり、時を経てまた別の「じんぶん」になっていく。特に新しいセンター小屋づくりで、社長の具志堅勇のあの厳しい指導(?)は、きっと彼らの体にしみ込んだことだろう。
 こう書いてくると、18年前の旧センター小屋づくりの時を思い出す。全く何もわからない40男の私は、言われたことをとにかくただただ黙々とやっていた。やりながら、くり広げられるさまざまな「じんぶん」を横目で見ていた。その中でも樹の切り方は眼をみはった。自然体験場で、こんなにも切ってしまっていいのかと何回も思った。今にして思うと、おじぃ、おばぁは、ずっと先が見えていたのだ。亜熱帯の樹の生命力のすごさを知っている者のみに見える将来の森の姿が、見えていたのだ。この、先を見る力なくしては、自然にかかわる「じんぶん」は出てこない。若いスタッフがどれだけ未来を見る力があるのか、それを楽しみに待っていたい。
 もう一つは、大工(セーク)仕事の段どりのことである。大工仕事の合理性は、この「段どり」がすべてと言っていい。その段どりを支えるのが「道具」と「技術」。技術の方はキャリアとのかかわりがあるが、道具の方は、大工仕事の命である。具志堅勇の道具がそろっていない時のあのイラダチは今回もあらわれた。そのイラダチは「じんぶん」の伝承というものの難しさを示している。
 あらためて18年前の呆然としていた私自身の姿を思い出す。「じんぶん学校」という名は、まさにエコネット・美の拠点の名前だと感じいった。新しい時代の中に行かせるこの地区の「じんぶん」を、ここヌーファでどれだけ引き継ぎ、そして新たな「じんぶん」が重ねられていくのか、それを想像していくことは実に楽しい。若いスタッフの皆さん本当にご苦労さまでした。                      (マ)

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ユウの作業日記
 「じんぶん学校」が始まって、最初に建てられた施設、センター小屋を建て直すことになった。柱の一部がくさっていたり、老朽化が進んでいる等の理由で、以前からあった話だった。
 スタッフになって約2年の自分にも、センター小屋には色々な思い出がある。ツアーの時は、よく夜ここで寝たし、雨が降った時、テーブルを中に運んで食事をしたり、サッカーもしたし、夜、ランプの灯りでおしゃべりもした。『じんぶん最高』、『またくるね』、『○○の服がくさい』なんて来た人の落書きが柱にいっぱい書いてある。じんぶん学校の歴史を背負ってきたセンター小屋。感慨深いって人、多いんじゃないかな〜。
 長年、お世話になったセンター小屋だけに、次に造るのもカッコイイものを!!ってゆーことで、みんなで場所の下見&話し合い。「高床にくっつけちゃおう!」、「暗くなる」、「海が見えたら最高だね」、「こっちからあっちへ遊歩道を・・・」、「首里城みたいなの」と建設的に話し合い、場所は候補地がそんなにあるわけでもないのですんなり決定。設計図はあとで考えることにして、とりあえず古いセンター小屋の解体を開始。こんなにデカイの、バラせるのか〜?
 まずはセンター小屋の建て増しした部分から解体。わずか2,3日で終了。こりゃーいけるわ、と残りの半分に取りかかる。屋根のトタンを外していく。バールでトタン釘を抜いていくんだけど、あれ!けっこう大変。なんで?理由はトタンを打ちつけてる骨組みの素材。建て増し部分は杉、こっちはアピトン。アピトンは堅いし重い。フルパワーで釘を抜く。たいてい釘の頭だけ取れてしまう。スタッフの一人が勢い余ってバールで自分のおでこを負傷、血ゴーゴーする(たくさん出血する)アクシデントもあった。
 屋根がなくなったら、次は骨組みの解体。梁と骨組みはボルトとナットで固定されている。20年近く前のだから、当然ボルトもナットも錆びまくっている。地面から3メートルぐらいの所でなかなか動いてくれないボルトを外すorねじ切る。それが無理なら金ノコで切る。作業が進むにつれ、足場がなくなっていく。たまに落ちかけた。(誰かは落ちた。)この辺で、骨組みやら梁やらを外して下に落とす係と、下で釘やら何やをはずす係とに分業化した。上で作業すると、昼飯以外ほとんど地上に降りなかった。
 手伝ってくれた人もいたおかげで、どうやって外すんじゃい?と思っていた、巨大な電柱の梁も、人がすっぽり入るぐらいの穴に埋まっていた柱も全て外れて地面に並んだ。小屋があった場所は妙にひらけた空間になった。建物がなくなったらやけにせまく見えた。長い間ごくろうさま。ちょっとさみしいなと思いつつ、この広場はサッカーするのに上等だな、とも思った。
 解体した木材の中で、まだ使えそうなやつは引越し先まで担いだ。重いのと痛いので、ちょっとした御輿担ぎ気分♪風呂に入る時、右肩が赤くなっていた。
 具志堅シャチョーご自慢の首里城の屋根のような設計図もできたので、いよいよ新センター小屋の建設にとりかかった。まずは柱を立てる準備。地面は平らではないので、四隅に打った杭に印をつけて水平をとるんだけど、そのやり方がとてもおもしろい。水をいっぱいに張ったバケツにチューブの片方の先を沈めて中の空気を抜く。すると、バケツの水の高さとチューブの水の高さが常に同じになるわけさぁ〜!これが「じんぶん」水平器!皆さん知ってるみたいだったけど、自分的にはこれが一番感心した。先人の知恵って、『じんぶん』ってすごい!!あとは、それをもとに縦横に糸を張りまくって柱立てて、足場作って、柱に梁をガチッと固定して。完成してから見ると、梁の高さはそんなに大した事ないけど、電柱を上げて穴あけて固定して、ってした時は、えらいデカイ物をすごい高さに上げた気がした。人力は強い。人が住むものだから当たり前か。
 屋根をのせる骨組みを作っていくと、ずい分家らしくなった。骨組みの作業の時も、材料を足場にしていたから、作業が進むにつれてだんだん乗れる所がせまくなっていった。解体の時もこんなだったな〜と思いつつ、踏んじゃいけない板を踏んで落ちそうになる。それでも作業中ずっと思っていたのが、高い所ってキモチいい。もちろん怖いって思うし、周りの人はもっと怖かったと思うけど、晴れた日の屋根の上は最高だった。
 テーマは、ずばりカッコ良さです。そう言ってもいいようなステキな骨組みにトタンがかぶさり、新センター小屋は一応、完成を迎えた。一応というのは、ニーズに応じて何かを取り付けたりするであろう、ということ。前のセンター小屋(卒業生)を見送って、新センター小屋(新入生)を迎える気分。長い間ありがとね〜。これから末永くよろしくね〜。                                    (有)

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「山原のくらしと自然ものがたり」  文:あんな
アンナの子育て奮闘記@ 
 前号の「美ら通信」をみなさんにお届けして間もなく、1月8日に無事元気な女の子が誕生しました。4日、5日の満月の大潮のあたりで産まれてくるのかなぁと勝手に思い(サンゴやヤドカリのように満月に産卵する生きものは多いですから)、心の準備をしながらダンナ様と嘉陽の集落の周りをグルグル歩いたりしていたのですが、それから少し遅れてちょこっと月がかけた頃になりました。臨月に入ってからたくさん歩いたせいもあってか、病院に到着してわずか2時間半のスピード出産。「さぁ、長丁場になるはずだけど頑張って乗りきるぞ〜!」と思っているうちにひょいっと産まれてくれて、初産にしてはだいぶ楽なお産になりました。ひつこいほど何度もやっていたイメージトレーニングのかいがあったかも!おかげで、応援に駆けつけるはずだったばぁばも間に合わなかったほどでした。(実は先生でさえ間に合わなくて、助産士さんにとりあげてもらったなんていう裏話もあったりします。。。)
 しかし、しかし、やっぱりスゴイ!先輩お母さんたちから色んな話しを聞いていましたが、出産の本当の凄さ(多くの意味で)は体験してみなくちゃわからないものですね。産まれてすぐに赤ちゃんをお腹の上にのせてもらって対面したのですが、その小さな額に触れた瞬間にあまりに多くの感情が一度にどっとこみ上げてきて、涙が出るのもはるかにとおり越してしまって、初めて赤ちゃんに見せた顔はきっとむちゃくちゃになっていたことでしょう。アンナにとってはとても簡単に言葉では言い表わせないくらい、今まで経験した他の何よりも感動的で、神秘的で、すばらしい瞬間でした。とてつもなく大きな命の循環を、全身で振るえるほどに感じた瞬間でした。そして何より、同じようにしてアンナをこの世に産み落としてくれた母へ、感謝の気持ちに満ちあふれた瞬間でした。
 さて、アンナのもとに産まれてきてくれた赤ちゃんは、3068グラムの真っ白な、ヒョロっと縦長の女の子。名前は産まれる前から決めていて、「葉音(はのん)」になりました。産院はベビールームに並んだ赤ちゃんたちの中で、ひときわ激しく泣きじゃくっていたほど元気な子。血はウチナンチュとナイチャーのミックスですが、産まれた時点で髪の毛のはえ方から顔のパーツの隅々までとにかくお父ちゃんそっくり!お父ちゃん本人に言わせても、「気持ち悪いくらい似てる」のだそう。おかげでどこか小さなオヤジ(コヤジ!?)のようにも見えたりする、男の子のような女の子です。
 そんなのんちゃん(葉音)が誕生してあっという間に2ヶ月が過ぎました。あ〜でもない、こ〜でもないと探り探りの子育てをしているうちに、のんちゃんの方はどんどん体もしっかりしてきて、産まれたときのあの細くてもろい感じはすっかりなくなりました。赤ちゃんってこんなにすごいスピードで大きくなるものなんですね。おっぱいしか飲んでいないっていうのに、まったく感心しながら毎日その成長ぶりをみています。最初はねんねとおっぱいの繰り返しだったが、近頃は起きてる時間がずっと長くなって、ついつい一緒に遊んでいると他のことが全然できなくなってしまうほど。ついこの前までなんだか虫のようだったのが、最近は泣き方や表情にもバリエーションがでてきてえらく人間らしくなりました。日に日に知恵がついているらしく、腕に抱かれて「あ〜ん あ〜ん」と泣きながら、ときどきチラッと上を見てこちらがマジメにあやしているのかチェックしていたりします。最近は、お天気の日には浜や嘉陽の集落をお散歩したりしているのですが、一歩お家の外へ出ると「今だ〜っ!情報収集!」とばかりに目をキョロキョロして、なにやらしきりに口を動かしてブツブツ独り言。すべての感覚器官をフル活動させて、生きるために必要な情報をものすごい勢いで体に取り入れているのでしょうね。お風呂係のお父ちゃんも、最近は湯船の中で手足をブンブン振り回すのんちゃんを片手で抱えるのに一苦労。たくさんもらったお下がりの洋服も、すでに着られなくなってしまったサイズがでてきていたり。。。このペースで大きくなられてはあっという間に「赤ちゃん」を卒業してしまいそう!とあわてて写真を撮りまくる毎日です。
 さて、新米のアンナお母ちゃんの方はといえば、まだまだ何をするのも要領が悪くてモッタモタ。お父ちゃんが全面協力してくれているので助かっていますが、ときどき「お〜い、しっかりしてくれよお母ちゃん」とのんちゃんの方に言われている気がして自分でも笑ってしまいます。ある日は、寝かしつけようと抱いてあやしていると、アンナの足に温かいものがポタポタ。布オムツのカバーがジャストフィットしていなかったようで、おしっこがもれちゃったもよう。「ありゃりゃまた失敗」と、眠くてぐずるのんちゃんをあわてて着替えさせて「さっぱりしたネ〜」と声をかけようとすると、今度は口からさっき飲んだおっぱいをダラ〜。「あ〜、ゴメンゴメン。ちょっとおしりを上げすぎちゃったネ〜」なんて言ってる間に本格的に泣き出すのんちゃん。またまたあわてて着替えさせると、泣いて力が入ったせいで今度はとんでもない量のウンチ!本人は気持ち悪いのと眠いのが重なって完全にご立腹の様子で、足をバタバタ大騒ぎ。「ちょ、ちょっと待って〜!」の間に案の定マットまでフルチェンジしなきゃいけない事態に・・・ぅわぉ!ここまでくるとさすがに笑うしかなくて、泣きじゃくるのんちゃんを抱きしめて「ハハハ〜。やりたい放題でちゅネ〜。新米なんでこのくらいで勘弁してくださ〜い」とかとか。
 そんなハプニングも含めて、我が家は加わった小さな赤ちゃんのおかげでえらくにぎやかになりました。ふと気がつくとアンナもお父ちゃんものんちゃんをはさんで笑っています。みんなを笑顔にしてしまう赤ちゃんのこのパワーって、スゴイですね。小さくて、可愛くって、赤ちゃんってホントにずっと見ていたくなってしまうほど愛しいものです。赤ちゃんがもっているこの魅力は、人間だけじゃなくて動物の赤ちゃんのどれもが、弱くて小さな自分の身を守るために生まれながら授かったものだとも聞いたことがありますが、なんてステキなパワーなんでしょうかね。「癒される」という言葉はやたらとブームになっていて好きじゃないですが、そういうパワーをのんちゃんからもらえる毎日に、ほっと幸せを感じています。
 とは言うものの、三人での暮らしにはだいぶ慣れてきましたが、どうもまだ自分が母親になったことが自覚できていないところがあるアンナ。「お母さん」も「ママ」も「お母ちゃん」もどれもまだしっくりこない感じがしていますが、でもまぁ、「親は子に育てられる」とよく聞きますから、焦らずのんびりアンナペースで日々成長するのんちゃんの様子を一番近くで見守っていきたいと思っています。そうしてるうちにきっと、気がつけばどれかがしっくりくるようになっているのでしょうね。これから親として、自分がどんなふうに変わって成長していくのか楽しみです。
 さぁ、のんちゃんと一緒にヌーファへ行けるのも間もなく!これまでのヌーファに入った最年少は生後3ヶ月のじゅっさん家のゆーきーですから、めざせ記録更新!なんて。

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その後の名護(十九)
 「米軍普天間基地のキャンプ・シュワブ沿岸部への代替施設建設」。これは実質的には、「辺野古沿岸リーフ埋立て(一部陸上)による、米軍普天間基地のリニュアル・強化建設」である。
 普天間代替のこのリニュアル・強化基地建設に関する現在の進ちょく状況を示しておく。
 防衛施設庁は、環境アセスメント方法書の県への送付に先立ち、「公共用財産使用協議書」を3月中旬にも提出し、同意申請する方向で調整に入っている、と報じられている。(『沖縄タイムス、3月8日、朝刊』)この「協議書」は、本格的環境アセスに先立ち、辺野古沿岸のサンゴの産卵や藻場の調査などの海域の現況調査に着手するためのものである。一気に環境アセスメントを実施することを和らげるため、アセス前に「事前調査」で地ならししておくものと考えてよい。アセスメントの場合は、その調査の方法書を公告縦覧しなくてはならないが、この「協議書」の基づく事前調査にはその義務はない。3月の下旬には、この事前調査の業者入札が行われることになっている。その後の環境アセスメントの手続きは、4月5日告示の参議院沖縄補選をにらめっこしながらの政治動向によって決定していくシナリオである。
 3月8日の『沖縄タイムス』朝刊に、「従軍慰安婦再調査へ」の太見出し文字がおどった。その下に、沖縄県の2004年度推計の記事が載った。
 沖縄の米軍基地収入2006億円。その柱は、(1)軍用地料(2)軍雇用者所得(基地従業員への給与等)(3)米軍等への財・サービスの提供(米軍機関や軍人等からの需要)である。このうち(3)の総額は、約729億円でそのうちの7割は米軍施設設備や米軍直轄工事で、すべて「思いやり予算」で日本政府が支払っている。問題は、この米軍関係工事の約77%が本土業者の受注になっていることである。工事の難易度による工事遂行能力のこともあるのだろうが、沖縄米軍基地の工事の大半が本土業者によって吸い上げられていることは、もっと注視されていいことではないだろうか。迷惑は沖縄側に、利益は本土側に、という構造はすみずみまで及んでいる例として注目しておきたい。
 私は、米軍関係の海での工事に関する契約書づくりの翻訳の仕事をしたことがあった。土建業者からの依頼で結構いい金になった。「もっと日本語訳できる人がいるといいんだけど。」と言っていた依頼者の顔を思い出すことができる。77%もの仕事をもっていかれて、迷惑だけを甘受するのもまことに腹だたしい。もっと、どんどん沖縄側で吸いとって、反米軍基地の運動資金にでも使えないものか、と思ってしまう。なめられてたまるか、である。
 前にも2回ほどこの欄で書いたが、大浦湾(辺野古沖の東部海岸)へのアクセス道路がいよいよ完成間近かとなってきた。トンネル、橋りょう部がほぼ完成し、1部開通部もできて、今年度中の開通が見こまれる。辺野古沖工事への対応ということを考えると、実にタイミングのいい開通である。二見地区以北十区の公民館はすべて新しく建設され、基地移設周辺の地ならしも、ほぼ完了してきた。
 10年以上にもおよぶ基地移設ノーの動きも、くたびれ果ててきた。沖縄口(ウチナーグチ)でいうところの、「ニリてきた」である。8千人におよぶ米軍雇用者に支払われる年間費用・508億円、軍用地料・770億円、どれをとっても、「米軍」は沖縄の深部にくい込んでいる。その深部からトゲを抜きとることは難しい。だからこそ、小さな持続的な動きを、夢をのせてロングスパーンでやり続けることだろう。楽しくやっていくことだ。                                     (コ)

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