美ら通信 第25号 2006年12月25日発行
【目次】


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美ら日記(26)
ヌーファ備忘録(1)
 ヌーファ「じんぶんの里」の一番古い施設(センター小屋)の引越しが始まる予定である。備忘録を記しておく。
 18年前、5月、嘉陽の人たち30人ほどと海辺沿いに歩いて今のヌーファに着いた。朝から雨が降っていた。いったい何処から分け入ったらいいか誰もわからなかった。おおきなクワーギ(桑の樹)が目印とのことで、とにかく数ヶ所から分散して入った。アダンとユウナ、スーキ、イボタクサギなどの密集するジャングルは1メートル先も見えなかった。ほどなくクワーギが見つかったが、話に聞いていた昔の住居らしき所は跡形もなかった。区長さんの一言でとりあえずクワーギの横あたり7メートル四方を切り拓くことになった。一列に並んで切り出される樹や枝を浜辺に出した。雨ガッパの30名ほどが黙々と作業をした。
 老人たちの記憶も樹木にけしとばされ、目印のクワーギもツル状の草木におおいかぶされるようにして幹ごと曲がっていた。
 夕方近くになって、なんとなく広っぱのような形ができてきた。切り株や根っこがいたる所に残っている、一区切りの妙な広がりがジャングルの中にできた。ハブの多い所として有名なヌーファは、人の手をはらいのけるように立ちはだかった。切り株を抜く作業はあきれるほどで、10人がかりで2時間ぐらいでようやく1株を始末するのがせいいっぱいだった。若い人がその後の1ヶ月でようやく切り拓いたのが、今のセンター小屋の部分である。その横や後ろはとても分け入ろうとする気もおきなかった。現在の浜辺への通路は、その当時の作業道である。
 根っこを抜き、いくらか平らにしたのはその後2ヶ月くらいたってからだった。風通しのほとんどない天然サウナの広場がとにもかくにも姿を現した。一本目の電柱が立ったのは、その年の夏の昼だった。今もその電柱はセンター小屋の真ん中にある。なつかしい忘れがたい姿で電柱がヌーファの広っぱに立った。妙にシャッキとした電柱が1本、広場にとにかく立った。じんぶん学校の始まりの姿である。 (マ)


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海は広いな〜、大きいな〜  文:森
●調査の話し●
 国や行政がやる調査とは別に、民間がやっている調査が色々ある。今回は11月の後半にやったジュゴンの調査のお話。 
 この調査は今後のジュゴン保護に向けて、沖縄のジュゴンの生活実態を知ろうってことで、ボートに曵いてもらいながらシュノーケリングでジュゴンが海草(うみくさ)を食べた「食み跡」を探すっていうもの。これは「マンタ法」って呼ばれるやり方なんだけど、何を隠そうマンタ法をやるのはみんな今回が初!ってなわけで、今回は海外からそれに詳しい学者に来て頂いて、まずはみんなのスキルアップをはかるための練習&予備調査。オレはいちおう船長兼マンタ隊でこれに参加してきました。
 調査ってのは、みんなで「食み跡あったね〜。良かった良かった」って言っているだけではもちろんダメで、いつどこでから始まり、どんな種類の海草を食べてたのか?そこはどのくらい海草が生えてるのか?で、いつどこでから始まり、どんな種類の海草を食べてたのか?そこはどのくらい海草が生えてるのか?ってことをデータできちんと出して、誰が見ても分かるようにしなきゃいけないからさ。そんなことを教えてもらったり、細かいやり方をみんなで「ここはこうしたらいい」とか「こんなやり方どうよ?」とか話し合いながら、4日間東海岸と西海岸の3ヶ所でやってみたわけ。まぁ、今はまだ色々試してる段階だけど、今後もっと練習をして、来年からは年4回定期的に調査をやる予定。
詳しくはこちらのホームページを!
「北限のジュゴンを見守る会」
http://sea-dugong.org/

●海を楽しむということ●
 海に入るとき、ついつい魚とかサンゴとかに目がいっちゃうんだけど、もぉちょいラクにしてみると、もっと色んな楽しみ方ができると思うんだよね。
 例えばオレが好きなのは泡、水面でパシャパシャやって包まれてみたり、水中から水面に向かって泡を出すと、光に向かってユラユラしながら登っていくのとかスゴイきれいなの。他にも、例えば音。オレらは生活の中で目を使いすぎてるからね、たまには閉じてみる。水中では様々な音が聞こえるのよ。自分の出した泡が登っていく音。海底のサンゴのかけらの転がる音。砂の音。心臓の音・・・。別に疲れるほど泳がなくても波間に漂うだけでこんなに気持ちいい。雨が降ったとき、水面に落ちる水滴をよ〜く見てみると、それだけでも幸せになれんだ。
 最後に、オレのとっておきは、月の出た夜水深5〜6mの海底に横たわって月を眺めること。「あぁ〜、もぉこのままでいいかも・・・」って思うんだけど、だんだん苦しくなるから仰向けのまま少しずつ浮かんでく。水面に出たときのあの静けさ。ちょっとだけ泣きそうになるよ。

●タコの話し●
 タコとはよく目が合う。他の魚とかとも目が合うこともあるのだけど、そんな実感はないのよ。でもタコとだけは目が合った瞬間にお互いが目が合ったことを認識するんだよね。
 図鑑によるとタコは知覚の多くを目に頼っているらしいので、この感じもあながち間違いじゃないと思う。さらにタコは感情表現もすごい豊かで、目つきや足の動き、色彩なんかで色々やってくれるんだよね。
 だいたい目が合ったときは、こっちが捕まえようって体勢に入ると、タコは「うわ、来たよ、、、マジだりぃ」みたいな顔しながら穴に入ってくわけ。で、オレが穴に手を突っ込んだりすると「うぜぇなぁ。触んなよ、、、」ってな感じで威嚇してきたり。時には漏斗(よく絵とかでは口になってる所、本当は水を出すところ)から水を勢いよく出して「ってゆーか、しつこいんですけど」みたいな目で見てくるの。
 前にタコのつがいを見つけたときなんだけど、オスは穴の奥の方にいて、オレは前のメスをまず捕まえようとしたのね。で、よしいけるって時になって、タコももう無理と分かったんだはず。それまで岩にからめてた足を1本スーッとオスの方に伸ばしてくわけ。そしたらオスも1本足を出して、まるで手をにぎってるみたいにからめるわけさ。普段食べるために生きものを殺すのはしょうがないと思ってるけど、それでもこのタコたちの行動を見たときはドキッとしたね。
 北の海には3mを超えるでかいタコもいるし、ミミックオクトパスっていういろんなものに擬態するタコ(まだ2回しか見たことない)もいるし、タコはホントすごい!

●サンゴの話し●
 まだまだサンゴはオレ自身勉強中だから学術的なことはあんまり言えないんだけど、確実に言えるのはこの2年ぐらい間違いなくヌーファのサンゴは増えてるってこと。やっぱり一番大きいことは水温なんじゃないかな。エルニーニョでたくさんのサンゴが死んだときに比べて、今はサンゴにとって住みやすいんだろうね。
 最初はユビエダハマサンゴっていうヌーファでは黄色いサンゴが、「じんぶん学校」の施設から浜に出るところからそのまま真っ直ぐ沖に行ったところにどんどん増えてきてさ、こいつは成長も早いしとっても目立ってたから「おぉすごいなー」って見てたわけ。そしたらだんだんそこの北東側とかにも直径3〜4cmくらいの小っちゃいサンゴがポツポツでてきてさ、たまにリーフエッジ(急に深くなるところ)まで行ったりすると、行くたびに色んな種類の小っちゃいサンゴが増えてて、もぉ楽しくてしょうがないのよ。
 これからサンゴたちが成長していくためには多くの問題があると思う。世界的な水温の上昇、赤土の流出、生活排水、オニヒトデなどなど。でももし、もしもそれらの難問が少しずつ解決されていったなら、40年後、50年後、このサンゴたちが成長してヌーファはホントに足の踏み場もないくらいのサンゴに覆いつくされるんだろうなぁ・・・。

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「山原のくらしと自然ものがたり」  文:あんな
お母さんってスゴイ!
 来年1月に出産予定日をひかえた初めての赤ちゃんが、現在アンナのお腹の中ですくすく育っております。最初のうちはニョロニョロと動いていたのが、だんだんモゾモゾと。今では体操かダンスでもしてるのかと思うほどボコンボコンと日に日に大きく動くようになっていて、どうやら赤ちゃん、お腹の中の世界を満喫してくれているようです。「命ってスゴイ!」と、グニョグニョ動くお腹を見るたびに感激。もしかしたらこの通信がみなさんに届く頃には、小さなカワイコチャンが誕生しているのかもしれません。
 赤ちゃんがこうして元気に育ってくれているのは何よりなのですが、臨月に突入した妊婦のお腹はさすがにドーンと前に突き出して、ただでさえスローで有名なアンナは今ではノロノロのドテドテ。少しばかり前までは、ゆっくり歩けばまだまだヌーファへだって入れるし、防寒対策さえすれば海だって!と思っていたのですが(周りには7ヶ月あたりから論外と言われ続けていたのですが)、今はやっぱりダメだとようやく自覚するようになってあきらめがつきました。だって、まるで妊婦さんのように(まだイマイチ自分がそれだとは自覚できないところもあって・・・)両腕を大きく振りながら、突き出たお腹をさらに前へ突き出して、なんだかとっても威張って歩いてるんですもの。ヌーファはしばらくおあずけですが、今度山道を降りていくときには背中かお腹に、どこかアンナに似た小さな赤ちゃんをくっつけているはずです。まずはヌーファの山、海の、お世話になっているたくさんの命へ「これからよろしく。どうぞ仲間に入れてやってください」とご挨拶をしに行かなくっちゃ。

 さて、自分が母親になる立場になってみて、最近ますます世の中の“お母さん”という存在に興味を持つようになりました。ちょっと意識してまわりを見渡すと、いたるところにお母さん。妊婦や子どもの手をひいて歩いているお母さんだけじゃなくて、おばぁだってひいおばぁだってもちろんお母さん。誰もがみんなお母さんのお腹からこの世に誕生したわけで、すべての命が存在するもとが、“お母さん”なのですから、この世の中がお母さんでいっぱいなのも当然なのかもしれません。“お母さんからはじまった世界”と言っても嘘ではないでしょう。10ヶ月もの間自分の身体の中に別の命を宿して守り育て、命をけずるような思いをしながら力をふりしぼって新しい命を産み出したお母さんたち。その存在はやっぱりとてつもなく偉大です。なのになのに、出産体験談を「すごいでしょ。頑張ったでしょ」と威張って語りだすお母さんに出会ったことはないし、もっとお母さんたち胸を張っていいのになぁと思うこともしばしば。そのへんがますますアンナに「お母さんってスゴイ!」と思わせる所以なのかもしれません。
 初めての出産でわからないことだらけですからさすがのアンナにも少々の不安があることもあって、色んなお母さんに妊娠中や出産のときの話を聞かせてもらっています。同じお母さんでも一人目と二人目のときでは全然様子が違っていたり、とにかく千差万別。必ず最後は「私だってちゃんと乗り越えられたんだから心配することなんてない。絶対アンナも大丈夫!」としめくくられるこれらの話は、他から得られる情報よりも何よりも信頼できるありがたいもの。なるほどなるほどと、何度もうなずいてしまうほどためになる話ばかりです。中でも驚愕してしまったのが、5人の娘のお母さん、ゆきおばぁのお話。これはアンナの中だけに留めておくのはもったいない!ということで、ちょっとだけみなさんにも聞いてもらいましょうねぇ。

 アンナのお腹もまだそれほど大きくない頃、修学旅行生のじんぶんツアーを終えてゆきおばぁとはっちゃんおばぁとアンナの3人でヌーファの山道を登っていたときのこと。
 「8ヶ月か9ヶ月の頃だったんじゃないかなぁ。2番目か3番目がお腹に入っていたときよ、ちょうどこんな山の中を薪をかついで歩いていたわけさ」
とゆきおばぁが話しだしました。
「はぁっ?山?薪?だいぶお腹大きくなってる頃でしょ?大丈夫なの?いったいいつまで働いてたの?」
とびっくりして聞き返すと、
「はるさー(農家)に産休というのはないさぁ。人手が足りないのに、産む前までは、体が動かせるうちはいつまででも働くよ。薪も集めよったし、畑もやりよった。」
「・ ・ ・ ・ ・ ・。」
「そしたらね、集めた薪を背中にかついで、そろそろ帰ろうと思って歩きだしたら、目の前に大〜きなハブがこうして横になってこっちを見ているわけよ。」
「あいな〜、と〜と〜と〜(笑)」
とはっちゃんおばぁ。
「ハハハ。当時は山の中にはたくさんハブがいよったからね。で、おばぁは(当時はアンナと同じくらいのまだまだ若いお母さんのわけですが)、とっさに背中の薪もはんなぎて(放り投げて)、一番近くにあった何の木だったかによじ登って逃げたわけよ。もぉ命がないと思ってちゃーあわてぃー(大慌て)。ようやく助かったと思って、ホッとしたら、今度はこのおばぁが登った枝の上にもう一つのハブがいてこっち見てるわけさー!」
「はぁ〜と〜、ゆき姉さんでーじなった!(大変なことになった!)(笑)」
大きなお腹をかかえながら必死に木によじ登って、なんとかハブから逃げられたと思ったら今度は上から別のハブ。これはさすがのゆきおばぁも絶対絶命の大ピンチと思い、半分かたまりながらおばぁの話のつづきを聞くと、
「もぉ今度こそ命ない。お腹の子も気になりはしたけどハブが上からおばぁの頭のすぐそこまでせまっていたからね、とにかく逃げるしかなくてその枝からピョンと下に飛び降りたわけよ。3メーターぐらいあったんじゃないかねぇ」
「うわ〜、やっぱり飛んだんだ!」
「い〜ん。もうそうするしかないさぁ。尻もちをついたはずだけど、あとは道具もみんなおいたまま家までちゃーひんぎー(一目散)。命があってよかったさぁ。お腹もなんともないようだったから、家についてからまた畑に行ったよ。ハッハッハッ。」
「ぅわぉっ・ ・ ・」
きっと産まれてきた赤ちゃんは、元気で丈夫な子だったでしょうね。強くたくましいお母さんの代表、ゆきおばぁです。

 ん・ ・ ・。と、ここまで書いてふと、“お父さん”のことをすっかり忘れてた!全国のお父さん!お父さんたちはちっともスゴクないと言ってるんじゃないですよ。お父さんたちだって、もちろん!もちろん!ねぇ。頑張ってるんだと思うし、エライんだはず。うん!でも、ほんのちょっとだけ、アンナにはお母さんの方がお父さんよりもパワフルな命を持っているように見えて、やっぱりお母さんってスゴイんだなぁと思えてしまうんです。“お母さん”のあこがれつつ、気がつくとお腹をなでている今日この頃です。

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その後の名護(十八)
 11月19日(日)、沖縄県知事選挙が行われた。約3万7千票の大差で自民・公明推薦の仲井真弘多氏が民主・社民などの推した糸数慶子氏を敗った。
 自民党からの分派である地域政党「そうぞう」との政策内容調整に手間どったことや、一貫して普天間米軍基地の辺野古沖移設に反対してきた元読谷村長。山内徳信氏との調整に失敗したことなどが敗因として地元新聞にとり上げられた。あげくは、「労組の苦悩」と題された11月25日付の『沖縄タイムス』の連載での敗因分析にはこうある。糸数氏支持の労組政策推進会議の幹部の話として。「若い人たちは生活重視で、平和を訴えてもピンとこない。平和主義や基地反対をメーンに訴えてきたが、見直さないといけないかもしれない。組合運動は冬の時代に入っている。運動の再構築が必要だが、どうしていいか分からない。出口が見えない。」
 アーア、ヤンなっちゃた♪、アーア、驚いた♪、とまぜ返したいが、言っている本人がジョークでないと思っているのだから手に負えない。同日の「大弦小弦」に『世界の日本人ジョーク集』(早坂隆著、中公新書の中から、「日本国民の安全を守る三大政党とは?の答えは、3位民主党、2位自民党、1位共和党」を取り上げているが、この方が笑える分だけ健康である。ブッシュ大統領の共和党こそ日本国民の安全を守っている、というのは沖縄に住む人間にとって、ジョークとしてピンとくる。この「日本国民」に沖縄県民が入るのか入らないのか、今回の知事選はそういう選挙であったといえなくもない。本土日本の国民の安全を守っているのは共和党である、という図式は皮肉以上の現実味をもって沖縄に住む人々にある笑いとしてはっきりとわかる。そこでは、その安全を保障する米軍が沖縄にあり続け、今後もあり続けるという確信が前提となっている。押しつけとあきらめの無意識の蓄積がその笑いの根もとにある。
 仲井真氏の当選の翌日、「北部振興策の継続」の大文字が新聞のトップをかざった、普天間米軍基地の辺野古沖移設がねばり強い抵抗のもとで頓挫してから立ち消えになった「見返り振興資金」の復活を、政府が直ちに発表した。沖縄の米軍基地は、単なる軍事基地としてあるのではなく、そのプレゼンスのすぐ横に「振興資金」という現ナマがセットになっているのは沖縄にとっての常識である。前に揚げた労組幹部のいう「若い人たちの生活重視」は、このセット感覚が生みだした健康な「あきらめ」のことである。オギャーといった時からある米軍基地はひとつの風景であり、コンビニとなんら変わらぬものなのだ。つまり、沖縄の今が「平和」なのだ。米軍による事故や事件も、どんなものにもつきもののアクシデントにすぎない。憤りは一過性のものであり、それ以上のものではない。基地と共存する平和が、今の沖縄にはある、という感覚にとらわれているのは何も沖縄の若者に限ったことではない。「基地反対」を「振興策反対」と言えないのだ。だから、今年5月の閣議決定で「廃止」とされた北部振興策の復活は、米軍普天間基地の名護市キャンプ・シュワブ沿岸移設をめぐる政府と地元の協議継続、という条件付きであることを堂々と言ってくるわけである。当初の決定が2009年度までだから残り3年度分もちょうだい、と言いのける島袋名護市長の方に若者たちの現実はあり、平和の礎もあるのだ。今回の知事選は、それを沖縄県民全体として追認したということにすぎない。振興策は、基地との見返り条件ではなく、県民としての当然の予算措置である、というのがある程度タテマエ的であっても、その辺りに沖縄県民の過半数以上の常識があるということである。金よ降れ降れ〜♪心が悩むな〜で♪。沖縄は平和なのだ。名護も平和なのだ。年間100億円の金がふりそそぐまことに平和な島なのだ。組合運動も平和なのだ。共和党がちゃんと守ってくれるのだ。
 V字型滑走路も、やがて上空からみれば、ピースのP字型に見えるだろう。堕ちるところまで堕ちてゆく自由と権利もあろうというものだ。1946年、廃墟のなかでうごめく命にむかって、坂口安吾のたまわったことばが、60年たって沖縄に立ちのぼってきたにすぎない。                                   (コ)


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