美ら通信 第24号 2006年9月30日発行
【目次】


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美ら日記(25) 
水の話
 拠点をもったエコツアーを続けていく上で重要なのは、「水」と「トイレ処理」の二つだ。エコネット・美の場合、特にこの二つはことの他重要だ。忘れないうちに、まず「水」の方について記しておく。
 「じんぶん学校」を始めた18年前は、水は川に行ってバケツで運んでタンクに入れていた。川までは浜辺の道しかなかったため、ゾウリではね上がる砂がバケツに入って、しかも揺れるたびに水がこぼれ、着く頃には半分ほどになっていた。だから大事に水を使った。水運びに時間がとられ、活動がかなり制限されたものになっていた。よく水をじっと見ていたことがあった。飽きることがなかった。しばらくしてシャワー用に塩ビのパイプで浜に水をひいた。1年後にシャワーの近くに食器洗いや調理のための水場を併設した。屋根も何もない裸の施設だった。センター小屋の横にある簡易の台所には水道は引かなかった。水道を引くことで何かが大きく変わることを直感していた。便利と引き換えに失うものを直感していたのか。
 10年前、エコネット・美として活動を再開したとき、本格的に滝の上部から水道を引くことになった。一度修正をして現在の黒いパイプの水道が引かれた。安堵とともに、大きな変化を受けとめることになった。水が引かれることによって台所は一変し、水洗トイレ、露天ブロ、と水の利用度はひろがっていった。それにともない、浄化槽の問題がおきてきた。現在、バカでかい浄化槽が、トイレ用と台所用として設置されている。
 便利とひき換えに苦労も多い。その折り合いをどこにするのかを決めることは難しい。その線引きのあたりに、エコネット・美の未来がつくられていくのだろう。原理主義者にはなりたくないが、線引きをするその判断をどう育てていくかは大切だろう。それは、人間という怪しげな存在にどう制限を加えていくかということと重なっている。                                        (コ)


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まりこのボラスタ体験記
私とヌーファとの出会いは大学4年生のとき、10代の子どもたち30人と3泊4日でヌーファの浜で行われた子ども劇場全国センター主催の「リーダーへの旅」に参加したことでした。
 じんぶん学校という場所では『何もしなくてもいい』ことにびっくり!小さい頃から学校や習い事では目標もやることも決まっていて、そんな私が企画した国際交流プログラムはタイムスケジュールがびっしり・・・。ヌーファでの「何もしない自由」は目からウロコでした。深くて大きい自然の中にすっぽり包まれた4日間、子どもたちと初めて同じ目線に立てた気がして「今この私からはじめよう」と思えたのでした。
 それから5年、周り道や寄り道をしながら歩いてきて、あの大自然の中で子どもたちとまた一緒に過ごしたいなと、思い切ってボラスタとしての参加を決めました。体力には自信はないしマキワリや火起こしもできない私がボラスタなんてできるのか?子どもたちと丸々5日間過ごせるのか?沖縄に来てはみたものの毎日不安だらけ。「子どもじんぶん学校」のチーフだったすぐるが「人の目を気にせずそれぞれの姿勢で子どもに関わっていこう」と言ってくれた時にはほっとしました。それぞれが考えて、行動する。それをお互いに尊重する。暗黙のうちにそういう雰囲気を感じました。
 ツアーの手伝いが始まると、みんながてきぱき動く中で次に何をしたらいいかわからず、ぼーっと立っていたり気がつくと疲れて座ってることも・・・。それでも自分なりに楽しんだし、みんなの暖かいフォローでなんとか2ヶ月乗り切りました。
 何度も往復したヌーファへの山道。その山道から見える海。やんばるの森を抜ける静かなドライブ。嘉陽の海で遭遇した亀との時間。星を見ながら子どもたちと寝そべった浜辺。足は毎日蚊にさされて掻き傷だらけ。中途半端なサンダル焼けやTシャツ焼け。夜道でくさーい側溝に片足はまったり、売店のアイスに飽きてケーキが恋しくなったこともあったなぁ・・・。絵にしたらきれいなような特別な時間だけではなく、何気ない日々の生活がキラキラとよみがえるから不思議です。(スタッフの「じんぶん家」での共同生活も・・・ね)
 二ヶ月という時間は人や場所について知るには短かったのかもしれない。それでも大好きな場所で、それを大切に思う人たちと一緒に過ごせてよかった。東京に帰ってから、部屋を海の写真で飾りました。離れていても気持ちの上ではつながっているように。海のことも、基地のことももっと知っていきたい。沖縄で感じたこと、得たものを周りに返していきたい。
 私は今新しい環境(保育園)で毎日過ごしています。始まって3週間。日々新しい発見があって楽しい半面、目の前のひとつひとつのことに迷ってばかりです。でも沖縄での日々のように今この時間も、一緒に過ごしている人たちも、いつか振り返ったらとても大切なかけがえのないものになるはず。だから今を大事にしようと思います。
 ヌーファの自然、美らスタッフ、嘉陽の人たち、ツアーのお客さん、子どもたち。みんなありがとう。
                              宮元 万梨子(みやもと まりこ)


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てつまのガイド体験記!(子どもじんぶん学校)
 はじめましての鉄馬です。この度ちゅらの方々に誘ってもらい、第2クールでスタッフとしてヌーファ入りさせていただきました。ヌーファに過去数回入ったことはあるものの、スタッフとして入るのは初めて。それだけならまだしも、子どもじんぶん、しかもベテランの子どもたちばっかりといきない5日間!?もう何年もの間柄の子たちだっていうじゃない、自分なんかが力になれるようなことがあるんだろうか?いや、それ以上に自分の入り込める隙間があるのか?最初はビビッてばっか・・・。いや、ここで負けてはだめなんです。鉄馬は勝負にでるんです。虎穴に入らずんば、「子師」を得ずとでも言いましょうか!
 少し遅れての現地入りしたところ、勇気を振りしぼって「どうも〜〜」って雰囲気を探って入ったのもほんの一瞬だけ。5分とたたないうちに水をかけられまくって、全身ぐっしゃぐしゃ。第2クールの洗礼をあびるハメになりました(笑)。なにくそ、おかえし・・・。てな具合で、最初の不安はどこへやら。なんだか、昔当たり前に知っていた、人と打ち解けあう感覚を長い間忘れていた気がした。
 そんな出逢いからバイバイまでの5日間はあっという間じゃったねぇ。ケンカもあった。イヤなことしちゃった、されちゃった。でも仲直りして、一緒にご飯食べて、雨が降ってもびっしゃになりながら笑って・・・いろんなことがあった。それぞれ、同じ5日間でも普段の生活とは比べものにならないほど濃く加速したやりとりを交わしたと思う。
 今回、第2クールのみんなと5日間過ごして思ったのが、ここでは自然以外には自分や一緒にフィールド入りしている仲間たち、つまし「人間」といやおうにも向き合うことができる。というか、向き合わざるを得ない(!)ということ。だってそれ以外に何もないしね。
 ヌーファの魅力の一つは、いうまでもなく豊かな自然にある。けど、こんなふうに人と、そして命と向き合って「やり取り」ができるのがもう一つのヌーファの大きな魅力。シンプルにド正面から真っ向勝負!!そして、人は大きくなっていくのかもしれん・・・。こんなことを思いつつ、一番刺激と元気をいただいたのは勝手ながら自分だと思っていたりいなかったり。。。
 みんな一年経てば、鉄馬の知らないところで全然ちがう速度の中ビックリするくらいの変化をきっと遂げているんじゃろう。なんだかちょっぴし寂しい気もするけど、こっちも負けじと一緒に心を育てていければ嬉しい限り。
 また会えたらいいな。
                                 池田 鉄馬(いけだ てつま)

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お母さんたちからのお便り
 昨夜、無事羽田空港に着きました。
 3人ともやや疲れた顔で出てきたものの、そろって「来年も行きたい」との意思をもって帰ってきました。そのことがすべてを物語っているかなと思い、親としては来年も行かせてあげられるようサポートしなければという気持ちになります。
 昨夜もいっぱい話しを聞かせてくれましたが、じんぶんでは「楽しい!」だけでなく、「怖かった」「がんばった」「大変だった」「すごい!」などなどいろんな感情がわきおこる毎日であることがよくわかります。それを語る表情も、手や足に残してきた小さな傷も、すべてが親としていとおしく思います。
 そんなじんぶんでの5日間。年にたったの5日間ですが、子どもたちの心の中の宝物なのです。これからも一年一年それが増えたり、彩り豊かになることが楽しみです。本当にお世話になり、ありがとうございました。
 東京にいても沖縄の美しい自然を守るためにできることを考えていきたいと思います。                                東京都・神尾友彬(母)


 洋は初めて行った小3の時から自分なりの「じんぶん学校日記」を手作りアルバムにして、新学期に学校のお友達に披露してきました。今回はさらにスケールアップして、学校の文化祭で発表する予定です。中高一貫で、いろいろな県から保護者が見学に来ますから、下手なものはできないと張り切っています。「子どもじんぶん学校」の楽しくたくましい雰囲気をうまく伝えられると良いのですが。文化祭は家族で見に行く予定ですので、どうだったかお便りしますね。
 今年の夏は、翔が中3で卒業、怜が小3でデビューして、兄弟たちにとってもとても感慨深いものがあるようです。毎日、スタッフのこと、友達のこと、楽しかった思い出を語り合っています。ケンカもよくするけど、この時ばかりは微笑ましいものです。小4の幹は「高校生=じんぶん卒業」だと思っていて、「オレ、高校行かない。ずっとじんぶん行く。」と言っています。子どもたちをこんなに夢中にさせるじんぶん学校。いつか私も体験したいです。(体がついていけるでしょうか?)
 スタッフの皆様、どうか体に気をつけて、ご活躍をお祈りしています。本当に、ありがとうございました。                  那覇市・松浦翔、洋、幹、怜(母)

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その後の名護(十七)
 沖縄県内統一地方選挙が9月10日一斉に行われた。『沖縄タイムス』の一面には、「女性躍進21人当選」と大文字がおどった。
 名護市市議会議員選挙結果についてみてみる。
 年4回しか発行しないエコネット・美の通信に、しかも「その後の名護」で市議選の結果を論じてもムダの気もする。書かせる要因になったことを記して、読んでくれる人の判断を待ちたい。
 私の知る限り、今回の名護市議会選挙で、米軍普天間基地の辺野古沖移設(海上埋め立て新基地建設)を政策としてはっきりさせたのは6名である。新基地建設の地元・旧久志村からの立候補は3名で、基地建設反対をはっきり表明した東恩納琢磨が1票差で落選した。特徴的なことは、旧久志村で二見以北十区から2人立候補したことだ。ひとりは東恩納琢磨でもう一人は区長会が推した志良堂清則である。志良堂と東恩納の得票差は97票であった。従来は、この二見以北十区からは当選しても一人でギリギリ当選が多かったわけだからまさに東恩納は善戦したとみることができる。
 半年ほど前の名護市長選で一応野党色として立候補した我喜屋陣営は惨敗した。その結果が、与党系19名、野党系8名となって現われた。前の名護市議会で、与党系でありながら海上埋立てによる新基地建設に反対した我喜屋陣営は、兄弟の我喜屋宗重をふくめまことに惨敗したわけである。ものの見事に現在の島袋名護市長派が勝利したということになる。
 トップ当選を果たした岸本洋平は、前名護市長の故岸本建男の長男である。どういうわけか新聞の取材に対して岸本洋平は、「地元を大切にしたい」との理由で、報道各社による記事や写真の掲載を固辞したという。具体的な政策や政治姿勢は示さない若き新政治家が誕生したということになる。万歳三唱やカチャーシーはやってガッツポーズまできめたのだが、「オレ流」を貫いたということか。
 市長選の第3の男、大城敬人は6位当選を果し、前回次点に泣いた共産党の具志堅徹は5位当選であった。またヘリ基地反対協の事務局長の仲村善光は8位当選、ヘリ基地反対協の元代表で名護のひとつの顔であった宮城康博は393票の最下位に沈んだ。

 ここまで書いていてやはりむなしさが身体にひろがる。液状化してきた名護の米軍基地移設問題は、ますますドロ沼の液状化が浸透し、トップ当選の岸本洋平にいたっては、基地問題には一切ふれなかった。これらの人々が、名護市議会議員として基地問題を審議し決定していくのだから液状化どころではない。

 9月14日、名護市教育委員会は、普天間飛行場代替施設の建設に向けて、キャンプシュワブ内にある埋蔵文化財の現地踏査を試みた。反対派住民の阻止行動のため中止に追いこまれたが、名護市市議選の結果をうけて、とにかく基地移設を一歩でも進めようとする姿勢を明確にしてきた。教育委員会の委員長は、前助役の稲嶺進である。
 米軍新基地建設の水先案内として、文化財問題をとりあげたこの手法は、日本政府が使ってきた「からめ手」の手管であり、目あたらしいことではない。沖縄の本土化は、その手法の本土化であって、ますます沖縄を標準化していくことになる。沖縄的といえるものは、「米軍基地だけは沖縄に」ということであって、その実現のための手法は決して沖縄的ではない。
 液状化の底の方で、何かが少しずつかたまっていくのか、何を少しずつ押しすすめ実行してきたのか、エコネット・美はその点でも「記録」をしっかりととどめておかなくてはなるまい。永い時間のスパーンで、名護にある未来形のオールタナティヴとして、液状化の中でその存在をたしかなものとしていくことだろう。むなしさを、次世代にひとつのエネルギーとして手渡してゆく汗をしっかりと流すことだ。     (コ)


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