美ら通信 第23号 2006年6月15日発行
目次】


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美ら日記(24) 
イノシシと世代交代
 先日、若いスタッフが中心となって、薪ボイラーの移動・設置がなされた。200キロの品物をイカダに乗せて運び浜を引き上げて設置するのだから大変。発注から設置まで全部若いスタッフだけでやり終えた。その姿を想像し、難儀さを思いながらも、私はなぜか嬉しかった。ヌーファの浜に若者たちの弾ける声が響きわたっただろうし、あの森も海もそれを聴き、見とどけたにちがいない。薪運び、林道の草刈り、山道の階段の修理など、最近はほとんど若いスタッフがやっている。エコネット・美も、確実に世代交代が進んでいる。それがやたら嬉しい。
 最近、ヌーファの山道の石垣がイノシシにやられるのが目立つ。先日、夕方作業からの帰り、イノシシの親子を見た。私には気づかず母親(?)のイノシシが猛烈に石垣の上の柔らかな土を堀りおこしていた。その後ろを、真似をしながら小ぶりの息子(?)のイノシシが鼻で土をひっくり返して、石の後ろの土を掘りかえしていた。壊されていく石垣を見ながら、私は座ってタバコをふかしていた。最後に大きな石を道にけ落とし、勝ち誇ったように息子にゆずった。ひとしきりミミズらを食べた息子は、母親を真似て小ぶりの石をけ散らせ、体を斜面にこすりつけて母親を追って行った。これも私には嬉しい光景だった。直す楽しみが増えたわけだ。何回でも積み直せばいい。そうこうしているうちにまた別の「じんぶん」(知恵)が出てくるだろう。あの山道はイノシシの道でもあると思うと楽しくなる。
 アコーの根におおいつくされ始めた石垣の美しさ。ヌーファの山道はどんどん森に溶けこみ、おだやかな命の路として姿をなしてきている。世代交代・バトンタッチは、ゆるやかにそして着実に進んでいる。そろそろ最後尾になってきているが、私もトボトボとついていきたい。賑やかな若者の歩幅の半分で、ニコニコしながらヌーファの森を独り歩いている。                              (コ)


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ゆう日記
 はじめまして。エコネット・美の若手No.1のゆう(小宮有)です。僕は神奈川県の出身で、初めて「じんぶん学校」に来たのが高校の修学旅行のとき。それから学校を卒業して、こっちに移って来たのが去年の5月。ちょうど一年がたちました。
 見た目はかなりイルグルー(色黒)で、ぱっと見ウチナンチュ。しゃべらなかったらまずわからないはず。この居心地の良さと、見た目からして、どっかで沖縄の何かがDNAに組み込まれてるのかも。
 で、一年たったということで、ちょっと振り返ってみよう。一年、速かったぁ・・・。
 一年ぶりに来たら「じんぶん学校」山道が新しくなってた。ほとんど完成してたから、最後のところを手伝ったんだけど、石積みができなくてひたすら石を運ぶ係りをしてた。土をけずって石を積んで。ホントにこれで道ができていくもんなんだなぁと思った。大雨で崩れた山道を修復する作業もあった。トイレを移動したり、ついこの前も、薪ボイラーを嘉陽からイカダに載せてヌーファまで運ぶ作業もあった。6馬力ならぬ6人力で、ロープを引っ張ったり、オールでこいだり。メチャクチャ重かったけど、メチャクチャ楽しかった。作業が楽しい。山道作るのも、最初から参加できればよかったな。
 2回目の参加になる「子どもじんぶん学校」は、見覚えのある子がいっぱいいた。
「久しぶり〜」
「またゆうと同じグループ?」
一年会わない間の成長が見えてうれしい。もちろん初めての子どももたくさんいて、またまた子どものすごさとか感性の豊かさとかに驚かされた。ホント、十人十色以上だよ。出会いもあれば、今回が最後、卒業の子もいてちょっと淋しかったり。
 子どもたちとの出会いも楽しいけど、ボラスタとの出会いも楽しい。1年ぶりにあう人もいるし、初めて会う人もいる。来る前からこっちもドキドキ。夏が終わると、そんなみんなも帰ってしまって、また淋しくなるけど。
 「子どもじんぶん学校」以外にも、一般ツアー・大学のゼミ合宿・高校の修学旅行体験ツアーと、色んな出会いがある。去年、ヌーファで出会ったある大学生に、「大学行ってるからどうかじゃなくて、考えるかどうか。考えるならいいの。」って言われた。ボラスタやお客さんたちと色々語るのは、とにかく楽しい。基地問題とか、遠いよその国の話しとか、どうでもいい話しとか・・・。なんで夜はあんなに話しが盛り上がるのかねぇ。
 最後に、今くらしてる嘉陽について。ウチナータイムっていうけど、嘉陽の朝は早い。朝6時半にチャイムがなるけど、みんなもう起きてたりする。俺は一度も聞いたことがないので“幻のチャイム”と勝手に呼んでいる。おじぃやおばぁたちは、みんな早起きして畑に行く。畑で作ったものを、おばぁたちからよく分けてもらうことがある。クワッチー(ごちそう)もよくもらう。最近は海で魚突いてくるけど、それも海からもらっているようなもんだ。もらってばっかなので今年は、Give and Takeを目標にしよう。
 今年は去年できなかった何かをやってみよう。ヌーファでも、海でも。もっと色々やりたいこともあるし。そんなことを考えながら、梅雨があけるのを待ってる。
 早く夏、来ないかなぁ〜。

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「山原のくらしと自然ものがたり」 文:あんな
海を渡った薪ボイラー
 6年前にヌーファにやって来た初代薪ボイラーがとうとう寿命でダメになってしまい、新しく買い替えることになりました。とは言うものの、前のボイラーを作ってくれた今帰仁の鉄工所のおじぃは亡くなってしまい、いったいどこをどうやってこの特殊なボイラー作りを引き受けてくれる鉄工所を探せばいいのやら・・・。しかたない、とにかくタウンページで北部にある鉄工所に片っ端から電話をかけてみることに。
「あのー、薪でお風呂のお湯を沸かすボイラーを作ってくれる所を探しているんですけど、そちらの鉄工所ではそういうものも扱っていらっしゃるんでしょうか」
「はぁ?薪で?どのくらいのお湯を沸かすわけですか?」
「250?分くらいを考えているんですけど」
「はぁ。それはうちではムリですね」
「そうですか。薪ボイラーを作ってくれるような鉄工所を他にご存知ではないですか」
「ちょっとわからないさぁ。色々探せばあるとは思うんだが、難しいんじゃないかなぁ」
と一件目。先行きがだいぶ不安になりつつかけた二件目は、あっさり
「うちはそういうのはやっていません」
「ですよね〜」。いったい今日は何人の鉄工屋さんと話すことになるんだか。次は気分を変えてカタカナの名前にかけてみようと三件目。
「薪のボイラーですね。ちょっと父ちゃんに聞いてみましょうね」
すると電話の奥でなにやらゴゾゴゾ。代わって出たのは優しい声のオジサンでした。
「だいぶ前に作ったことありますよ。円柱状の本体の中に、火が通って上がっていくための鉄パイプが何本も入っているようなのですけどね。図面も残っているはずですよ」
きたっ!まさにお願いしようと思っていたボイラーそのもの!
「まず来てから相談しましょうね」
「さっそく伺います!」
まさか三件目でヒットするとは思いもよらず、感激しながらさっそくスグルと一緒にダイコウ鉄工所へ向ったのでした。
 うちに帰ってダンナさんとそんな話しをしていたところ、「で、その工場はどこにあるの?」と聞くダンナさんに場所を説明していると、なんと「ダイコウ鉄工所?大嶺さんのところださぁ!」って。
「はっ?知ってるの?」
「知ってるよ。森のガラス館(ダンナさんの職場)の工事もお願いしたし、オレがヒージャー会(ヤギを食べる会)に時々行くのは大嶺さんが開いてる会なわけよ」
「へぇ〜っ!?」

 それからはとんとん調子に話しが進んで、わずか2度の相談でさっそく製作にとりかかってくれることに。細部についてはすっかりおまかせして、ゴールデンウイークがせまっていたこともあったので、ムリを言って大慌てで作ってもらったのでした。
 その間、ヌーファでは前のボイラーを解体したり、土台を作る作業が進行。あまりに全てがスムーズに行っていたので、いつのまにかもう新しいボイラーが使えるようになったかのルンルン気分。ボイラーが出来上がる前日になって、さてさて、あの200?にもなる代物をいったいどうやってヌーファに運ぼうか・・・。って、これが一番重大な作業なんじゃないの〜???即、緊急会議!
「おじぃの船に乗せて運ぶのはバランスが悪すぎるし危険。まず乗せるのがムリなんじゃないかなぁ」
「ん〜。なら、山から?」
「絶対ありえないのがそれ!誰か死ぬよ」
「わかった!なんとか嘉陽の浜まで下ろして、米軍ヘリに向って“HELP”って旗揚げるわけさ。こんなときに役に立たなきゃ、あのうるさいヘリは何のためにあるわけ?」
「はいはいはい」
「あっ!水陸両用車なら、鉄工所からヌーファまで楽勝だ。ハハハ」
「はいはいは〜い」
「なら、イカダは?浮力の確保が難しそうだけどなんとか工夫するとして、潮がひいてるうちにイノーの間を人が歩いたり泳いだりしながら引っ張っていくとか」
 結局、一番現実的だったイカダ案が採用されることになって、その日のうちに材木やジープのタイヤのチューブなどを大慌てで確保して準備にとりかかることになりました。即席で作ったイカダは頑丈でバツグンの安定感。

即席で作ったイカダは頑丈でバツグンの安定感。軽トラックで嘉陽まで運んできたボイラーを、鉄パイプをかませて押したり転がしたりしながら2時間近くかけて浜の下までおろしてようやく一息。とんでもない力仕事なのに、なぜか楽しくてしょうがないから不思議。はたしてボイラーを乗せたイカダはうまく浮かぶのか。海に落としてしまったら大金とそれまでの労力がパーになってしまうというのに、少しの不安もないのだからおかしいものです。おじぃたちに力を借りながら、イカダを下に滑り込ませるように、慎重にボイラーを乗せる。すると・・・
やっぱり浮かんだ!プカプカ!バンザーイ!

 その後は小二時間の海の旅。イカダの先につけたロープを引っ張りながら泳ぐ人2人。イカダの左右に乗って漕ぐ人2人。イカダを押しながら泳ぐ人2人。疲れたら交代。
 その日は大潮で、風も波もなく絶好のボイラー運び日和。泳ぎながらどうしても目に入ってくるウニやティラジャーを「またね」と見逃して、とにかくヌーファを目指します。途中、嘉陽から漁でリーフに渡る船が横をブーンと通り過ぎるとき、手をたたきながらワハハと笑って「頑張れよ〜」と言うおばぁたちの声。まったくおかしな光景だったでしょうね。大の大人が6人も、大事そうに海に浮かんだ鉄の塊をワッセワッセと運んでいるのですから。
 ヌーファに到着してからは、じゅっさんのじんぶんが光って、みんなで一気に浜を転がし上げて、あっという間に設置場所まで運びました。大嶺さんのところに電話をかけてからわずか2週間で配管まで完了。天気にも人にも恵まれて、本ト、ついてました。これでまたヌーファの大きなお風呂で温かいお湯にゆっくり浸かれます。大嶺さん、大切に使わせてもらいます。でも密かにちょっとだけ、5年か6年後にまたこの作業をやらなきゃいけなくなることを心の中で楽しみにしていたりします。


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その後の名護(十六)
 また、沖縄が、名護が、辺野古が、全国的メディアの対象となってきた。
 日米2プラス2の最終結論の「一部海上埋め立てV字型滑走路2本案」にまつわる報道である。バカバカしい報道だけど、ないよりはまだましか、という印象である。
 「2本のV字型滑走路」の報道に最初に接したとき、その「V」が私にはなぜか「楔(くさび)型」に見えた。いよいよ楔(くさび)を打ちこんできたか、という感じである。沖縄に、名護に、普天間に、辺野古に楔(くさび)を打ちこんできたわけだ。この楔(くさび)も、本土側から見ればV(ブイ)の字に見えるかもしれないし、日米両政府から見ればVICTORYのVに見えるのだろう。しかし、果してそううまくいくか。

連日の軍歌
 前回のこのコーナーで、市長選後の名護で右翼の街宣車が大ボリュームで巡回していることを書いた。実は5月30日現在もずうっとそれが続いている。朝から晩まで無言でひたすら軍歌を流し続けている白い大型ワゴン車(尚琉会)の報道など本土ではなされていないだろう。
地元沖縄でも全くない。「無視」が一番の回答と決めこんでいるようである。流される軍歌の多くを私は空んじて唄うことができる。小さい頃のすり込みが体にしみ込んでいるのがよくわかる。名護警察署に取り締るように電話をしたが、ボリュームを少し小さくするよう頼んでみます、との返事だった。期限切れになると再申請をしているので取締りようがない、とあっさりしたものだった。
 黙殺が一番という見方もあるが、子どもや若者への洗脳的効果は黙殺できない。眼に見えぬ地ならしが、いつの日か、まがまがしい形で現われ出ないとは言えない。沖縄には、そういうものの現出の下地があるように私には思えてしょうがない。小さい楔(くさび)が名護のまちに気づかぬうちに打ちこまれているように感じている。

わが陣地を愛せ
 1997年のSACOの最終合意をもとに、閣議決定されたはずの辺野古沖「海上埋めたて代替基地建設」は、辺野古のおじぃおばぁとその連帯者たちによってものの見事にはじきとばされた。その苦闘に楔(くさび)を打ち込む今回の「V字型滑走路案」は、今の日本政府の象徴的決議である。騒音被害を抑えるために、侵入路と発進路を風の向きに合わせて2本にする。しかもキャンプ・シュワブの陸上部を一部使用し、海上埋め立てを少なくする、というシロモノだ。
 政治は妥協の産物ではあるが、つじつま合わせのその場しのぎではない。騒音は、果して人間だけのものか。山原の森の生き物たちにとって、今回のV字滑走路案は、実に切ないものだ。その切ないものたちといっしょにエコネット・美はある。
 私はヌーファのじんぶん学校を、勝手に「陣地」と思っているが、そんな狭い枠で山原の自然は切りとれない。今までのことばとその配列ではとらえきれないものを体で感じ学んでゆく。そしてそれを記録する。そういう何世代にもわたる経験の記録こそ、「陣地」の中身となっていく。その記録をどう生かすかは、ヌーファを訪れる人々にまかせればいい。訪れる人が固有に育ててきた経験と、私たちの記録がどう交わるのか、その遠大なドラマを夢みる。あと少し、わが陣地を愛し続ける汗を流したい。それが私なりの「V字型滑走路」に対する「ア〜ア、イヤだ」である。

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