美ら通信 第21号 2005年10月3日発行
目次】


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美ら日記(22) 
ヌーファ作業メモ(1)
 ヌーファへの新しい道には、アコー(ウスクガジュマル)が多い。まるでアコーを標識にしてできている道のようだが、実際に作るときもアコーを意識して作った。具志堅勇(エコネット・美/代表)のミージョロー(目算)設計によるもので、勇の趣がいきわたっている。
 道づくりのとき、アコーの根の何本かを切った。けっこう太いものもあった。たった一年たっただけなのだが、その切り口から線香花火のような細い根が張り出し、土をつかむ、別の木の根にからみ、石をつかんでいる。先が少し白い細いミミズの根が、積みあげられた石をつつみ、長いものではもう1メートル以上にもなっている。勇の経験と知恵(じんぶん)から出た先見は、ものの見事に現実の姿となってきた。
 「自然」をことばや知識の中に押しこんで語るときの自分は危ない。どんどん人工的な「自然」へと化していき、そうした「自然」で自然を見ることに慣れてしまう。細部とスキマのない「自然」となってしまってさびしくなる。
 先日、ヌーファの山に分け入ったら、偶然ジャングルの中に、石積み跡を見つけた。少なくとも50年はたっている石積みは、そのどこそこに樹の根によるほころびを見せてはいたが、まだピンと背すじをのばしてかまえていた。感じ入って、その石積みの下に寝そべり、じいっと見入った。だれがこしらえたものか。何のためのものなのか。どこに通じるのか。よく見るとサンゴもあり、作り手の姿が見えそうになる。そうか、この石積みが私たちの石積作業を見ていたのか。歩き手のいなくなった石積み道は、草木につつまれて、自然へと還っていくのか。あたりまえなナ、と思う。そう思うと力がぬけてきて、樹々の間だ間だの海がひときわきれいに見える。作業を放り出して、パンツ一枚で海にとびこみ、体を横にする。ああ、石積みが見ている。なんだか笑みがこみ上げてきて、照れてもぐってしまった。(コ)


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2005年子どもじんぶん学校 ガイド体験記(byすぐる)
 『子どもじんぶん学校』当日。僕たちスタッフは、嘉陽小学校の前で子どもたちのバスを待っている。スタッフ同士でワイワイしながら待っている。僕はドキドキ、ソワソワ。他のスタッフの前では平静さを装うけど、なんだか台風が来る前の気分。
 遠くにバスが見えた。緊張は最高潮。バスの中からたくさんの顔がこっちを見てる。知った顔、初めての顔。1年ぶりに会う子どもは、顔も体も雰囲気さえも変わってる。「大きくなったナー」なんて感心していると、「“だるま”(3年間の子どもじんぶん学校で付けられた僕のニックネーム)は、何も変わらないねー」なんて言われる。いいや、皆も確実に変わっているけど、俺だって、俺のお腹だって確実に大きくなっているんです。
 そんなふうに4泊5日の『子どもじんぶん学校』は始まる。トラックの荷台に乗りかえ、林道を走り約10分。荷台から降りた皆は、山道を早く降りて行きたい気持ちを抑えきれない。「この葉っぱ切ってよ、刺さって痛い!」「この橋、壊れない?」「この木はなに?」「変な名前の木!」・・・山道は何度も通っているはずなのに、子ども達と歩くとまた違った道が見えてくる。
 展望台を越えてじんぶん学校に到着。気がつくと、子どもたちはもう走り回ってる。手には棒だったり石だったり、紐だったり。今にも獣を追いかけて行きそうな勢い。明るい時間帯でも「タイマツの会」ってのを作って、木の先に火を着け楽しそうだ。「こいつら本当に都会から来たのかな?」僕の都会っ子のイメージは吹っ飛んでしまう。でも僕自身、小さいころ火が大好きで「火の番人〜!」なんて呼びながら遊んでいたのを思いだす。結果、左足に大ヤケドもしたっけな。
 今までの『子どもじんぶん学校』で何より衝撃だったのは、ヤモリのしっぽを口にしてペロペロなめている子どもを見たときだ!ビーフジャッキーでも食べてるのかな?って思っていたら、「これヤモリのシッポだよ。ちょっとしょっぱくって、うん、なかなか悪くないよ」。恐るべし子どもパワー。「興味のままに即実行」のそんなパワーを、僕は大きくなるにつれて、面倒くさがって、いつの間にか忘れていた。『子どもじんぶん学校』ではそれを思いだす。
 いつ頃からか、それまで僕の中で“子ども対スタッフ”という意識だったのが、“人間対人間”に変わっていた。年齢なんて関係なく、本当に、知恵と優しさを出し合える関係であることに気づいた。スタッフだからしっかりしなくてはと思ってドキドキしてた気持ちが、スーッと軽くなった。
 1年の中のたった4泊5日。子ども21人+スタッフ7人。子どもたちにも、スタッフの僕たちにも、ちょっとした気持ちの変化が起こる。目に見える変化。目に見えない変化。いつか、ここを思い出したときに起こる変化。変わらない変化。自分は一人で生きているんじゃないんだ。そう感じながら徐々に、自分にも、他人にも、すべての生きものに対して優しい気持ちになってくる。
 僕は思う、優しさはすべてに繋がると。

 じんぶん学校の大切なルールに「命を大切に」というものがある。一人一人が考える命の大切さ。結果、あの子はヤモリのしっぽを口にしたのかもしれないなぁ。


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2005年子どもじんぶん学校 お母さんからのお便り
 碧がじんぶん学校から帰って来て、早くも3日が経とうとしております。碧が空港の到着ロビーから出てきて最初に言った言葉は、「ぼくまだもうちょっと沖縄にいてもよかったんだけどな〜」でした。最年少での参加でしたが、それでも4泊5日を親元を離れて過ごせたというのが、碧にとって大きな自信になっていたようです。
 はしゃいで『じんぶん学校』の話をするというよりは、ちょっとずつ、ちょっとずつ持ちネタを披露するという感じでいろいろ話してくれました。海で虹を見た話や、深夜の怪談話や、草木染や、箸づくり、食事当番、天の川・・・。本当に、いろいろな体験をして帰ってきたんだな〜というのがよくわかりました。
 そんな中でも班のリーダに立候補し、みんなに助けられながらリーダーをやりとおしたというのには、親ながら感動するものがありました。『じんぶん学校』には初参加、しかも一番年少でありながらリーダーに立候補するというのは、なかなかできるものではないと思います。きっと碧も四苦八苦するところがたくさんあったでしょう。スタッフの方々、お友達、いろんな人たちの手助けがあってこそやりとげられたのだと思います。碧にもそれは伝わっていると思うし、だからこそリーダーをやれたのだと思います。碧に、「リーダーの仕事どうだった?」と聞いたら「とても楽しかった」と言ってました。碧にとっても、本当に貴重な体験になったと思います。
 熊本からは一人の参加でしたが、お友達もすぐにできたと言ってました。夜にはお友達と一緒に寝たよ〜なんて言ったり、ほんの数日の間ですが、本当に仲のよい友達だったようです。昔は人見知りが激しかった碧ですが、そういう話を聞くと親の方がびっくりしてしまうくらいです。
 福岡空港から熊本に帰る車の中で、碧が「早く来年の夏休みにならないかな〜。そしたらまたじんぶんに行けるのになぁ〜。」と言ってました。碧が来年もまた行きたいと言うか、もう行きたくないというか、わからない部分があったのですが、帰ってきた碧の様子を見ても一目瞭然、とても次回を楽しみにしてるのがありありと伝わってきました。
 今年、碧を『子どもじんぶん学校』に参加させることができて本当によかったです。親としてもドキドキ、子どももドキドキの今年の夏休みとなりました。でも、きっと碧の方が、冷静だったのかな?親の心配をよそに、子どもはしっかりと成長してるんだなぁ〜と思いました。また来年参加させることができたらいいなと思ってます。
 いろいろお世話になりました。本当に貴重な体験をさせていただきありがとうございました。
                             2005.8.27 熊本県・吉野碧(母)

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「山原のくらしと自然ものがたり」 文:あんな
ナイチャー的ウチナー?
 この夏のボランティアスタッフの最後の一人が、今日、地元へ帰っていきました。朝晩の風もだいぶ涼しくなって、今年の夏が終わったんだなぁとしみじみ感じてしまいます。どこか寂しいようで、どこかほっとするような、毎年感じる不思議な感覚です。
 今年の夏は、集約してみると、とにかくたくさんたくさん語り合った夏でした。美らスタッフたちと。ヌーファを訪れた本土の大学生たちと。ユニークでエネルギッシュなボランティアスタッフたちと・・・・・。話題はさまざまで、基地問題・政治・年金問題・環境問題・ウチナー口やウチナー文化・結婚・家庭環境や教育・いじめについてなどなど、浜辺で星空を眺めながら、かまどの前で火をおこしながら、お風呂につかりながら、話して話してちゃー話しぃー(話しまくり)しました。たわいもない、ケラケラ笑うばかりの話しもたくさんでしたが、「この話し、そっくりそのまま本かなにかになりそうだわ」と思えるような、内容がぎっしり詰まった“ヌーファでだからこそできる話し”が山ほどでした。そんな話しの締めくくりはいつも、<つづく>。一つの話題について結論が出ないうちに、というかなんとなく結論がでかけると別の話しが次々始まってしまうというのがウチナースタイルなんでしょうかねぇ。最近久しぶりにヌーファへ遊びに来てくれた会員さんともこのことがちょっとした話題になりましたが、もちろんこれもまた結論にたどり着く前に別の話しになってしまいました。「<つづき>を考えたい人は自分で後から考えたらいいわけさぁ」という感じなのかもしれません。アンナは時々、その<つづき>を持ち帰って一人でゆっくり考えてみることもありますよ。なかなか楽しい時間だったりします。
 さて、そんなこの夏ちゃー話しぃーした中からアンナがお持ち帰りした話題を少々。

 本土からやって来た若者が、ある時「オレ、沖縄に来てもぉ1週間になるけど、まだ一度も沖縄らしい沖縄に出会えてないなぁ」とぼそり。「沖縄らしい沖縄ってどんな沖縄ね?」と聞くと、「赤瓦の屋根の家が並んでて、どこの家も開けっぱなし。ハイビスカスやバナナが庭にあって、縁側ではおばぁたちがお茶を飲みながら“ゆんたく”してる。海風が家の中を吹き抜けて、夜になると方々からサンシンの音とにぎやかな歌声が聞こえてくる。泡盛かオリオンビールを片手にカチャーシー。みたいな」と返ってきました。「ふぅん。」「澄みきった空とサンゴ礁の広がる青い海。海沿いにはヤシの木が並んでて、すれちがう人たちはみんな陽気に“ハイサイ”って声をかけてくれる。ちんすこうをおすそ分けしてもらったり。そんな人たちの足元を見れば島ぞうり!みたいな」と。あっはぁ、それが沖縄らしい沖縄なのか。なのか???なんか違うさぁ!違和感というか、なんとも言えない気持ち悪さのようなものがこみあげてきてしまいました。その時たまたま島ぞうりを履いていた自分が恥ずかしくなってしまったのはなぜだったんでしょうかねぇ。その話しを聞いてから、本土の人たちの目に沖縄はどんな姿で映っているのかなぁと、時よりふと考えるようになりました。アンナが育った嘉陽では、赤瓦の家もわずかになってしまったし、海沿いに並んでるのはヤシの木ではなくてアダンやモクマオウ。毎晩サンシンひいてお酒飲んでしてるわけじゃないし、観光で来てる知らない人に気軽に“ハイサ〜イ”なんてできませんから〜っ!残念!。
 本土から沖縄に移住してくる人たちが年々増えている中で、この実際とはどこかちょっと違う「沖縄らしい沖縄」のことをよく耳にするようになりました。そういえばこの間ヌーファに来た本土の大学に通うウチナンチュの女の子が、「沖縄の人たちよ、なんだかナイチャー向けに“沖縄らしい沖縄”を演じてるところがある気がする。そのままでいいのによ。」と話していました。なるほど、なるほど。確かに沖縄の中に「ウチナー的ウチナー」と「ナイチャー的ウチナー」があって、さらに「ウチナンチュが作るナイチャー向けのウチナー(よそ行きのウチナー)」みたいなものまでできてしまって、なんだかとても複雑になっている印象を受けます。ナイチャーでもないしウチナンチュでもないニュートラルポジションにいるアンナだから感じてしまうことなんでしょうかねぇ。どうにも妙な気分になります。
 でも、これこそどんなに考えても結論はでてこなそう。人も時間も流れていくのですから、しばらくすればまた違ったとらえ方ができるようになるのかもしれません。とにかく、考えたい人はぜひこの<つづき>を考えてみてくださいねぇです。この話しをとおして、自分の中にある新たなウチナー的要素を見つけられたことと、突き詰めて考えないウチナースタイル(アンナが勝手にそう思っている)がアンナは好きで、それが自分にはよく合っているということがわかったことだけでも、この夏の大きな収穫になりました。
 あとのことはまた、よんな〜よんな〜で。


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その後の名護(十四)
 「ミニミニ小泉純一郎」
 9月20日(火)、岸本建男名護市長は、米軍普天間基地の名護市辺野古沖移設の<縮小案>に対して、「SACO(日米特別行動委員会)最終合意の海上案なら受入れの余地はある」と言明した。
 1年半にもわたる辺野古の「命を守る会」を中心とした体を張った反対運動(海上での阻止活動)と、国内・国際世論での環境破壊への警告によって、海上埋め立てによる米軍新基地建設は前にすすめられないでいる。「米軍の世界的戦略再編計画」によるSACOの見直しの風潮が現実味をおびてきていることも、米軍新基地建設の遅滞の原因ではあるが、地元での反対運動なしにおきえない事態である。
 SACOの最終合意で決定した基地移設の現行の規模を縮小して、陸側のリーフ内浅瀬(イノー)を埋め立てて米軍専用飛行場として建設する<縮小案>に対し、岸本市長がこの時期に「容認」の意思表示を行ったことのねらいを考えてみたい。
 実は、この「リーフ内縮小案」を提案したのは、沖縄県防衛協会北部支部である。この会の会長である仲泊弘次氏は、東開発という総合建設業の社長であった人で、岸本市長の長女は、3年ほど前に仲泊氏の息子と結婚した、そういう間柄である。もちろん、娘、息子のことを今回の「リーフ内縮小案容認」発言と結び付けることはできない。しかし、岸本市長容認発言のその日の夕刊(『沖縄タイムス』)で、沖縄県の花城順孝知事公室長は、「今回の再編協議で(海兵隊の)県外移転を求めている中で、個別の案〔仲泊会長が出した案/私注〕に対して岸本市長が容認する対応をとるというのは理解に苦しむ。」と発言している。翌日には、稲嶺知事も不快感を示している。額面どおりに受け取れば、岸本発言はかなり唐突であったことになる。仲泊氏はいう。「辺野古区の幹部と意見交換し、危険な普天間基地を早期に移設する一番いい案を提案した。サンゴへの影響も少なく、今後も広く賛同を得るのではないか。」と。ねらいは、「早期の移設」である。沖縄の建設業界がのきなみ低迷する中で、とにかく工事を早めたい、とする意向が現れている。<危険な普天間基地>を一刻も早く移設させることを全面に出して、「海上埋立て米軍新基地建設」をなにがなんでもやる、ということだ。市長の発言は、その<縮小案>を現実的政治プログラムの中に浮上させることをねらっている。仲泊氏と岸本市長のタッグが表面化してきた。県外移設を望む沖縄県民の世論に逆行する政治力学がまかり通ろうとしている。
 かつて、岸本市長は、普天間米軍基地移設に対して、「受入れ七条件」を出した。今回の「縮小案容認」と「受入れ七条件」との整合性について、市長は来年の市長選で民意を問えばよいと言った。まるで小型小泉純一郎である。嘉手納基地、普天間基地の騒音問題がひんぱんにおこり、トラブルも発生している中での政治家気取りである。国や県から出された案ならいくらかわかるが、「沖縄県防衛協会北部支部」という一民間の出した縮小案に「容認」はあるまい。「リーフ内のサンゴの影響も少なく」などという全く非科学的なこの案に、市民を代表する市長が容認発言をするほどにあせっている。自身の市長選を意識したこの発言が、ここしばらくマスコミをにぎわすであろう。こういった「小型小泉純一郎」がのさばるのも、今回の総選挙の余波なのか。「縮小案」にメリットなどなにもない。(コ)

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