美ら通信 第20号 2005年6月27日発行
目次】


HOMEPAGE資料室

美ら日記(21) 
いとおしさとじんぶん
  103年ぶりという大雨が、沖縄本島を一週間にわたって雨づけにした。ここまで降ればあきらめもつくし覚悟もできようというものだ。きれいさっぱり。しかし。
 水を抱かえきれなくなった山は大小いたる所土砂崩れ。国頭マージ(赤土)がむき出しになり、そこに容赦なしの雨。側溝から巨きな水柱となってふき出してくる。坂道は滝となり、えぐり取られた赤土をだかえこんで海へとつっ走る。海の中を赤土の塊は雲状になって流れていく。リーフの内海は無気味な赤土模様の動きでどんどん追い込まれていく。辺野古崎をのぞむ大浦湾は巨大なドロ海と化し、波うちぎわの浜にはその残がいが積もっていく。
 たった35年ほど前の沖縄の浜の白砂を見ることはほとんどできない。眼がどんどん慣れてきて、今の沖縄の砂浜が「白い砂浜」と思えてくるが、さすがにもうその錯覚は通用しない。嘉陽の浜を歩いていても、足の裏に赤土がべっとりと付く。「海の浄化能力」などという都合のいいことばもふっ飛んでしまった。サンゴの上に積もった赤土の粒子は、雲のように積もり、手ではらうと煙のように立ちのぼる。ヌーファの海とて例外ではない。
 6月19日雨の小休止のなか、ヌーファへと降りる山道(新しく作った方の道)に入った。ハラハラドキドキの一瞬一瞬。ノリ面のいくつかが小さく崩れていた。しかしこれは予想の範囲内。ところが第一S字カーブの道を支える側の土のうが全面崩壊!!4メートルにわたって崩れた残がいが斜面にけ散らされていた。ここは前にも一度崩れ、苦労して直した所だった。S字の直線は流水であちこちに溝が走り、そこを通った激流がS字の下の部分に集中した。ツメ跡がそのことをくっきりと示していた。斜面を流れる水の逃道をこしらえなっかったことのツケが全面崩壊を引き起こした。いとおしさがこみ上げてきた。次の工事のじんぶん(知恵)が、そのいとおしさのすぐわきから湧き出てきた。(コ)


HOMEPAGE資料室目次


「山原のくらしと自然のものがたり」  文:あんな
ウミガメのお話し
 今年もヌーファの浜にウミガメが産卵にやって来ています。「どれどれ、新しい足跡はないかな?」と、展望台から浜を眺めるのが楽しみな季節。そういえばこのコーナーでウミガメのお話しをしたことはなかったみたいですね。今回はそんな、アンナの大好きなウミガメのお話しをたっぷりお届けしましょうね。

 去年の台風総あたりを受けて、ヌーファの浜には砂がだいぶ戻ってきました。(3年ほど前までヌーファの沖に大型の砂取り船が毎日停泊して海底から大量の砂を採取していたため、浜の砂が沖へ引っぱられて、浜には重い石ばかりがゴロゴロ残ってしまっていたのでした。)去年に比べると、ウミガメのお母さんが卵を産むにはなかなかいい環境が整っています。「梅雨にしっかり雨が降った年は台風が少ない」ということをどこかで聞きましたが、そうだとすると今年は台風の心配もそれほどなさそうだし、かなり期待できそうです。

 この時期ヌーファに産卵に上がってくる種はアカウミガメ。もう少しして本格的な夏に入ると、次はアオウミガメが上がってきます。ヌーファで産卵するウミガメはこの2種類が主ですが、ごくまれにタイマイという種も上がってくることがあります。アカウミガメは本州、四国、九州以南の広い地域で産卵が確認されていますが、アオウミガメは屋久島以南でしか見ることができません。両方が上がってくるヌーファでは、その足跡でどっちのウミガメかを確認しているのですが、さて、どこが違うのかわかりますか?下の図をよ〜く見てみて下さい。

 アカウミガメが左右の手を交互にかいて前へ進むのに対して、アオウミガメは両方の手を同時にかいて歩く性質があるんです。アカウミガメは右左右左と体を左右にふって歩くので、足跡の間におしりをひきずった跡がクネクネと曲がって残ります。このクネクネのラインと、左右の足跡の高さが揃っているか、ずれているかで判断することができるというわけです、海の中で泳いでいる様子はほとんど変わらないのに、陸に上がるとまるで違う歩き方をするのだから不思議です。

 さて、この2種類のウミガメは食べるものにも違いがあります。アカウミガメは肉食で、貝やカニ・エビなどが主食。いつもこうした固いものを噛んでいるので、顎が頑丈でごっつく、顔も大きく太い首をしています。一方アオウミガメは草食で、海藻やジュゴンが食べる海草などが主食。アカウミガメに比べると顔はスマートで首も細く、体に対して小さな頭をしています。稚ガメのうちは甲羅が赤みをおびていて幅広なのがアカウミガメで、比較的縦長でグレーなのがアオウミガメと区別がつけやすいのですが、大きくなると甲羅の色や形にはほとんど差がなくなってしまうので、頭と首に注目してみるといいでしょう。

 ウミガメの卵は、砂の中で約70日ほど過ごします。砂の中は卵の中の赤ちゃんガメに最適な環境で、安定した温度と湿度が自然に保たれています。一生懸命海から歩いて浜を上がってきて、いい場所を選び深い穴を掘って産卵するお母さんも、あとはすべて自然の神様におまかせ。一回の産卵で100個前後の卵を産み落とすのですが、ずっと雨が降らなかったために砂が乾燥してしまったり、台風が次々来て卵もろとも水没してしまうこともあります。お天気に恵まれたとしてもうまく孵化できないものや、孵化してもうまく砂の上まではい上がれずに死んでしまうもの。また、海に向かう途中に海鳥に食べられてしまったり、途中で力尽きてしまうものもいます。ようやく海にたどり着いても泳ぎを練習する間もなく、待ち構えている大きな生きものから逃げ回らなきゃいけないのです。自分でちゃんと餌も捕まえなくてはいけません。100個の卵の中から、産卵できるほど大きく成長できるのはたった数頭というのですから、ウミガメのお母さんがあんなにもたくましく見えるわけです。

 実は、色々な研究が進んでいる今日でも、ウミガメの生態に関してはまだまだわからないことがたくさんあります。寿命が70年とも100年とも言われているウミガメですし、長い時間をかけて太平洋をグルグルと回遊しているわけですから、わからないことがたくさんなのも納得できます。甲羅に発信機を着けて、どんなルートを回遊しているのか、どのくらい深く潜るのかなど研究している学者の人たちもいるようですが、いくら研究と言ってもウミガメにしてみれば邪魔な装置を付けられていい気持ちはしないはず。「いいさぁ、私がどんなふうに生きていても。そんなに知りたいなら一緒にくらしてみるねぇ?」なんて言っているかもしれません。“知らないことがまだまだたくさん”というところが、ウミガメのまたもう一つの魅力なのでしょうね。



HOMEPAGE資料室目次


その後の名護(十三)
 『美ら通信』19号のこのコラムで記したことの“その後”を書きとめておく。辺野古東側の大浦湾周辺の大規模工事にまつわるものである。地図を参考にしながら読んでもらえるとありがたい。
 大浦湾に集結する3本の新道は、すべて橋梁とトンネルをともなうもので、従来の沖縄北部の新道づくりとは工法が著しく異なっている。工期も5年以上にわたり、現在、最後のひと仕事を残すのみとなっている。上位計画として「大浦湾周辺大規模開発」がない限り、日本のどこを探してもこんなインフラ整備をしているところはない。この道路づくりの目的は、名護市街地を中心とするインフラ整備をしているところはない。この道路づくりの目的は、名護市街地を中心とする西海岸から大浦湾への道路アクセスを整備することは明らかである。
 かつて、名護市は『名護東海岸整備計画』なるものを発表し、大浦湾再開発を含む東海岸地域開発策を図入りで出したことがある。過疎の東海岸沿いの10の集落の活性化をうたったもので、またいつもの絵にかいたモチと受けとめられていた。しかし、道路インフラ整備は着々と進み、それは辺野古沖米軍基地建設計画の地ならしのようなピッチで実行されてきた。無気味な大規模工事である。名護市東海岸の10の集落の「公民館」のほとんどが一気に建てかえられたのもここ6・7年前であった。
 大浦湾は戦前から日本帝国海軍によるかなり詳細な海図が残されている。リーフ内に水深20メートル以上の小海溝が弾薬庫にそって走っている。めずらしい地形で、大型船の運行も可能である。実は、沖縄の経済界から、大浦湾に米軍関係の海兵施設・訓練基地を集結させ、その見返りに大規模な海洋レジャー施設をつくる計画がまことしやかに叫ばれたことがあった。その一つの例がのった本が2000年1月に発刊された。『基地経済と沖縄』である。著者は、公認会計士で沖縄女子短期大学・同附属高校の理事長を勤めた宮國英勇氏である。沖縄電力社長を勤め沖縄経済同友会代表幹事の仲井真弘多氏が、推薦のことばとして目次の前にのせるというしろものである。
 宮國氏は、「まえがき」で、日本は沖縄を切り離すことによって独立を回復し、また、日米安保条約によって日本の米軍基地の99%を沖縄に課し、そのことによって軍事防衛的に保護され現在の経済大国になった。であるなら、沖縄の米軍基地提供の代償として、沖縄自立経済のための基金として10兆円の無利子借款をすべきと主張している。その後で、次のように記す。
「普天間海兵隊航空基地代替ヘリポートの建設候補地として挙がっているキャンプ・シュワブ(名護市辺野古区域)についても、昨年私が沖縄の米国総領事館の幹部や那覇防衛施設局に敵地として進言した経緯がある。ただその時の誘致の条件として、辺野古にある大浦湾に、カリフォルニアのサンディエゴにあるような世界的なヨット・ハーバーを造ってもらう」
 
他に誘致条件を3つ挙げて、基地見返り振興策予算として2兆円必要である、と明記している。「今沖縄に一千年に一度あるかないかの大事な秋である」のに、と焦る気持ちをそえている。
 1997年に書かれたこの文章には、沖縄経済界のホンネが語られている。今進行中の大浦湾集結の大規模道路工事と重ね合わせてみるとき、「無気味」ですまされないものがあると思うのだ。しかも、この種の論者のほとんどが、「琉球王国」、「琉球文化・伝統」に深い愛着を抱いていることを見逃してはならない。沖縄への愛着が、米軍基地のプレゼンスを逆手にとって、沖縄の自立的発展を克ちとる力へと転化している。「沖縄」を知るもう一つのチャートがここにある。在沖米軍基地問題の「現実的解決策」という名のもので繰返し語り継がれるであろうこの種の言説を、「物乞い政治」、「基地見返り振興策」として切り捨てることからは、頽廃がうまれるだけだろう。
 おそらく、今後何回か、米軍基地移設がらみの大浦湾周辺開発が出てくるにちがいない。現在進行形の大規模インフラ整備は、そのことを私たちに伝えている。その時、私たちはどのような対策をもってそれに抗するか、そのことを『エコネット・美』として、意識的・実践的に取り組む必要があると思う。山原東海岸の未来づくりに残された日々、汗を流し、<じんぶん>をゆっくりみがいていきたい。(コ)

HOMEPAGE資料室目次