美ら通信 第19号 2005年3月26日発行
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 美ら日記(20) 
ウージたおし
 2月27日(日)、となりのユキおばぁのキビ刈り作業。昨年夏場の台風で痛めつけられたサトウキビは、一つとして立っているものがない。根こそぎ倒れ、その倒れた所にも根を張ったキビをナタで倒し、12、3本を束にしてくびって道路近くまでかついで運ぶ。となり部落の天仁屋では農地の区画整理がなされ、植えつけから刈り取りまですべて機械がする。嘉陽は土地所有者の利害関係で昔のまま。おまけに元来がターブッカー(田んぼ)であったため、ぬかるみがひどく運ぶといっても大仕事である。ユキおばぁの旦那の一雄おじぃがひとりで運ぶ。70もすぎると3メートル近い折れたキビを運ぶのは慣れているといっても容易ではない。
 前々日の夜、いつものように一雄おじぃは定期的な病院通いのため車の同乗を頼んできた。病院に行くのが半分、昔の名護街をぶらぶらして何かを食べるのが半分。一雄おじぃの唯一の息抜きの日だ。手さげ袋にズック姿、車で降りる場所も15年変わらない。嘉陽の中ではピックアップを運転しているのだが、わけあって名護に出るときは私か妻が連れていく。その日はいつもにも増してハイテンションの一雄おじぃだった。
「センセイ、明日はヒマか。」
「何もない。」
「ウージ(キビ)3月5日までに出さんといかんわけさ。」
「いいよ。」
「たのめるか。・・・、助かったさ。昼はお母さんが用意する。サカナ汁だ、うまいヨー。」
「いいよ、オレはテレビ見ながら自分で食うから大丈夫。」
「アゲ、もう用意してるさ。」
「ハー?」
 朝8時から夕方6時まで、キビにうもれてなんとも言えない一日。『さとうきび畑』ののどかなメロディーなど消し飛んで、顔じゅうキビの葉のひっかきキズ。「ザワワ」どころか「ゾゾゾー」である。それでも毎年やってもなぜか楽しいのが不思議。山すその小さな畑に黙々と働くおじぃとおばぁ。夕方はビールとウニの天ぷらが待っている。(コ)


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「すぐる日記」
  2月下旬、寒い沖縄の冬から抜け出して南半球ニュージーランドに行って来ました。半年前からの計画で(俺、俺の彼女、母、母の妹、その息子)なんとも不思議なとりあわせの5人の、退職旅行、卒業旅行。それぞれがいろんな思いを持っての、てぃーよーひさよー(みぶりてぶり)旅行でした。
 母ちゃんは1ヶ月も前から荷物準備。入れたり出したり、毎晩大忙し。結果、人が一人入りそうな母ちゃんのカバンはパンク寸前。いったい何が入っているんだか。
 出発当日、那覇空港までの車の中では「すぐるー、ニュージーランドまでは何時間ねー?今は寒い?むこうは英語か?泊まる所はあるか?」の繰り返し。母ちゃん達の興奮はおさまらず、つられて俺もだんだんハイテンションになって、空港に着く頃にはかなりぐったり。これからなのに・・・。飛行機に乗って席に座ったら、急に母ちゃんたちの表情が不安げに。よく見てみると母ちゃんの隣の席には日本語の通じないアジア人。母ちゃんにとってはアジア人もニュージーランド人も、もちろんアメリカ人も、日本語を話せない人はみんな「アメリカー」。ちょっとおもしろかったのでほかっておいたら、到着するなり「日本語の話せるスチュワーデスが居なかったから水も飲めなかったさー。となりのアメリカーはハーイって言ってきよったさー。」と、愚痴のはずなのにどこか嬉しげ。そしてバスに乗って目的地のオークランド市街地へ。30分足らずのバス移動中も外は外国、真新しい景色ばかり。母ちゃん達の想像力を多いにかき立ててくれたでしょう。そんなこんな珍道中が始まりました。
 翌日からはレンタカーを借りて、温泉地のロトルア、大きな湖のタウポ、ワイナリーが続くネイピアと約1週間の旅を楽しんできました。トレッキングをしたり、先住民マオリのショーを見たり、羊は見たり食べたり。マオリショーは何回見ても涙が出てきます。戦う前に相手を威嚇する踊り(ハカ)は凄い迫力。魂を感じるってこおゆうことかなって。一方母ちゃん達はガーデニングに興味深々。帰ってきてからの写真はバラと紫陽花とバラと紫陽花と・・・。初めは、俺の背中から離れなかった母ちゃんも旅の中頃には「2時間自由行動しようねー。おみやげ買わないとさーね」。カフェにも入ったようで、いとこの話しによると、はずかしいぐらいの身振り手振りだったとか。でも、飲みたい物食べたい物ちゃんと注文できたみたい。さすがです。
 そんな旅だったのですが、いまだにわからないのは母ちゃんのカバンの中身。よく考えてみると二日に1回は洗濯して、二日に1回は同じ服着てたし・・・???。ミステリーです。
 帰ってからは毎晩旅の話しでもちきり。「空が青かった。牧場が広かった。アメリカーがいっぱいだった。またどこか行きたい。連れてって・・・。」よし、わかった!またいつか行こうね。いつかねー。(玉代勢 卓)


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「山原のくらしと自然ものがたり」文:あんな
ウチナー結婚披露宴
  先日、中学の友達の結婚披露宴に行ってきました。久志中学校のアンナの同級生38人のうちの一人。1クラスしかなかったので、クラス変えもなく3年間同じ教室で学んだ友達でした。久しぶりに会った同級生たちと思い出話しに花が咲き、楽しかった中学生時代を懐かしくふり返りました。卒業してから、気づけば12年が経っていたんですね。そりゃ、みんながオヤジに見えるのも無理はありません。
 さて、本土の方たちは沖縄の結婚披露宴のことを、どのくらい知っているでしょうか。アンナは、本土の結婚披露宴のことを話しに聞いた程度しか知りませんが、沖縄のものはそれとはだいぶ違っていて、かなりの、かなりのビックイベントなんです。今回は本土の人にとってはユニークなウチナー結婚披露宴のお話しをしましょうね。

 今回アンナが出席した友達の結婚披露宴には、総勢370人の人たちが招待されていました。ちなみに、これまでアンナが出席した中で最大最長だったのは、出席者430人で3時間半というものでした。会場には12人ほどが座れる円卓がずら〜っと並べられていて、とにかく人がわんさか。ひな壇の近くに家族や親戚が座って、真ん中あたりは職場関係者、一番うしろが友達などなどという感じで席が決まっているというのも、本土のスタイルとは違っているようですね。例えば嘉陽のように小さな集落の中から誰かが結婚するといえば、嘉陽の人たちは全員招待されるのが普通ですし、親戚はもちろん、小・中・高の同級生に、職場の人たちを新郎新婦それぞれが招待すれば、それくらいの規模になるというわけなんです。
 席に付いた出席者たちは、新郎新婦が登場する本番のだいぶ前から食べて飲んでの宴会を始めます。披露宴が始まる前から「すみませ〜ん、しま〜(泡盛のこと)1本お願いしま〜す!」なんて声が聞こえてくるのもごくごく普通のこと。みんながおおいに楽しんで主役の二人を祝福するというのがウチナー流の大切なポイントなのです。まぁ、中には誰の披露宴にやって来たのかわからなくなってしまうほど楽しんでしまう方もいるようですが。
 アンナがこれまで出席したほとんどの披露宴では、司会は地元のアナウンサーやプロの芸人などでした。式場には、ひな壇の対面側か左右どちらか(あるいは両側)にドンチョウの付いた舞台があります。ちょうど学校の体育館などにあるような舞台です。新郎新婦が入場して二人のなり染めなどを司会者が紹介したあと、舞台ではまず最初に「かぎあでぃ風」という琉舞が始まります。お祝いの席にはかかせない縁起のいい踊りで、ほとんどの場合新郎新婦の姉妹や近い親戚の人がこれを踊るわけですが、ゆっくりリズムのしっとりとした曲調で、この曲を聞くと「いよいよ披露宴が始まるんだなぁ」という気分になってきます。そうそう、ひな壇からはるか遠くに座っている人たちには主役や挨拶をする人たちの様子は見えないんじゃないかと思われるかもしれませんが、そこはさすが沖縄の式場ですからご心配はいりません。ちゃんと何箇所かにスクリーンやモニターがあって、どこに座っている人にも様子がわかるようになっています。
 円卓においしそうなお料理がたくさん並ぶ頃(すでにどんどん飲んでいるわけですが)、乾杯の音頭です。そのあとは(誰も聞いてはいないのですが)、色々な方の挨拶をはさみながら舞台での余興のオンパレード。琉舞や空手の演舞、サンシン(三味線)演奏などの沖縄的なものはもちろんのこと、演劇にダンス、その他笑いをとるために思考をこらした団体芸などなど、大芸能大会といった舞台が続きます。ひな壇の両サイドに舞台がある式場では、右の舞台での余興が終わったら今度は左の幕が上がって次の余興がすぐに始まるという具合。どのグループも自分たちの余興が一番楽しかったと言ってもらえるように、競って新しいネタを披露します。(でもアンナの経験からするとだいたいは自分たちが楽しければオッケーという感じで、最終的には自己満足のパターン)。そのために1ヶ月も前から練習することもあって、中には余興のための衣装や小道具を自前で何パターンかそろえている人もアンナの周りには何人かいるほどです。まぁ、練習を理由に飲み会がしたかったとも受けとることができるわけですが・・・・・・。
 最後はみんなが舞台に上がって、新郎新婦も一緒になってカチャーシーを踊って締めくくり。そしてだいたいその後に新郎新婦から両親へ感謝の言葉と花束の贈呈などがあって、感動屋のアンナは必ず涙がポロっとしてしまうステキな場面がやってきます。孫の晴れ姿を見て涙するおばぁの顔がモニターに映ったりすると、どうしても涙腺がゆるんでしまうんですよね。そんな笑いあり、涙ありの数時間。出席した人たちみんなが楽しめて、すばらしい披露宴になるようにと出席者の多くが盛り上げ役になるというのがウチナー結婚披露宴なのです。最後はテーブルやひな壇に飾られた花をみんなでどんどん持ち帰ってしまうというのも沖縄流かもしれません。
 でも、そんなにたくさんの人を招待するということは、沖縄の人はしょっちゅう披露宴に呼ばれてご祝儀代が大変なのではと思われるかもしれませんが、そこもご安心ください。式場にもよりますが、友達の場合はホテルでもだいたい1万円と決まっています。なんて、役に立つ豆知識も少々。
 「そんな結婚披露宴してみたいなぁ」と思ったあなた!ぜひお相手探しは沖縄で!!


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その後の名護(十二)
 ニッポン放送、フジテレビとライブドアの攻防戦(?)に本土側のマスコミが乗っとられていた頃、沖縄のマスコミ(特に新聞)は、在沖米軍再編にからむ情報を流し続けた。『沖縄タイムス』から、そのヘッドラインを記す。
2月24日
「海兵隊移転を集中論議」
「辺野古見直しを協議」
2月27日
「普天間移設・米『辺野古』固執せず」
2月28日
「普天間代替・移設先再検討へ」
「辺野古見直しの流れ」
3月2日
「辺野古見直し否定せず」(防衛施設局長官)
3月11日
「県外移設がベスト」(稲嶺知事)


  さらに、小泉首相が“辺野古は無理なようだな。”と発言したらしいという報道が重なった。普天間米軍基地の辺野古沖移設(海上埋め立て米軍新基地建設)がかなり難しくなってきたニュアンスが広がっている。日本政府の高官・官僚の発言が、辺野古沖移設見直しにかたむいていることが報道され続けている。町村外相、大野防衛庁長官、山崎拓首相補佐官、額賀自民党安全保障調査会会長らの発言と、稲嶺沖縄県知事の「(米軍基地の)県外移設がベスト」論などがその中身といっていい。
 これらの発言の前提は、全てアメリカのグローバル軍事戦略見直しにもとづく「在日米軍再編の可能性」にある。在日米軍再編をチャンスととらえ、建設までに15年もかかる「辺野古沖米軍基地建設」をより現実的に 解決するための方策が模索されているわけだ。日米軍事同盟を堅持しながら、いかに米政府ののぞむ再編計画を具体化するかにポイントがかかっているにすぎない。「SACO合意」という、正式な日米両政府間軍事合意事項をいかに実質として現実化するのか、「辺野古沖移設見直し」はその過程の副産物であるのだろう。
 しかし、この再編計画にもとづく「辺野古沖移設見直し」のうしろに、300日以上にもわたる現地辺野古での反対運動を無視することはとうていできない。「SACO合意」(辺野古沖米軍基地建設)の破綻ははっきりしてきたといえる。
 しかし、とここでもう一言加えなければならない。つまり、辺野古沖移設が見直されることと、米軍の再編強化が世界的に進むこととが表裏一体として進行している、ということである。沖縄での反戦・反基地運動の原点は、沖縄から米軍が出ていけばいいということではなく、軍事による平和解決はありえないとする非軍事的平和希求にあった。世界の現実的動向からすれば、「理想主義」と言われるその希求こそが、60年にわたる沖縄の反戦平和の礎にあった。沖縄戦の風化によって、もし辺野古ではなく他の所に行けばよいということになるのなら、それは違う。米軍の再編協議を利用して、とにかく辺野古に米軍新基地を建設させないことを勝ちとることと、米軍の世界戦略強化に異議をとなえ続けることが同時にも求められている。現に、イラクで活動する沖縄の第31海兵遠征部(31MEU)の兵員約2200人と普天間飛行場所属ヘリ約20機は、4月中にも沖縄に帰還するのである。現実を切り拓く闘いと、それにからみつくもう一つの巨きな現実を同時にとり込むこと、沖縄的運動の普遍性を思いおこしておきたい。(コ)


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ヌーファ・山道改修作業完了のご報告!
 昨年9月から始まった新しい山道作りが、3月半ばにようやく完了しました。ガジュマルの休憩所から下の部分の道(17号の通信で「全長300メートル」とお伝えした道)を作り変えるというのが当初の予定でしたが、今年はやりきれないだろうと話していたガジュマルから松の休憩所までの上の部分も作ってしまいました。手すり用のロープをはったりといった細かな作業は残っているものの、これで山道作りの大きな作業は終了(のはず)です。
 松の休憩所からガジュマルまでの山道作りは、とにかくひたすら土のう袋を運んでは積む、これまでにない重労働。最も鋭い傾斜部分では、大雨が続いていたせいで(構造に強度が足りなかったこともあって)積んでは崩され、積んでは崩され、なんと4日間かけて4度の積み直しをした所もありました。使った土のう袋は全部で2000袋弱。こんな大規模作業になるとは、きっと誰も、棟梁(シャチョー)ですら、想像していませんでした。
 これでもう、山道を登っても息が切れたりすることはなくなったので、みなさんに安心して歩いてもらうことができます。足元に気をとられることなく、周りの景色をのんびり眺めながらゆっくり歩いてもらえるといいなぁと思っています。
 ガジュマルから下の古い道は前のまま通れるようになっているので、夏場の泊りのツアーでは夜のホタル探検も楽しくなりそうですよ。

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