美ら通信 第18号 2005年1月10日発行
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 美ら日記(19) 
山原の鳥と星
  今年の冬、山原の星はひときわ美しい。波音を聞きながら見上げると、巨きな樹の枝に星たちがぶらさがっているように見える。星座というかたまりではなく、その巨きな樹の枝が、重さにたえかねてまたたいているように思え、時にその枝がゆれ動くことがある。樹の幹は四方から出て、その巨きな樹々を束ねたもうひとまわり巨きな樹があるのが知れる。星から音楽がふりそそがれていると言った古人がいたそうだが、山原の冬の星空を見ていると、納得できる。その音をきいて、虫たちや鳥たちが鳴いているのかもしれない。人間が鳴かずに泣くのは、「ことば」というものを手に入れた罪なのだろう。人間の耳にとどくのは虫や鳥の無数の鳴き声のほんの一部であり、その他は再び夜空をわたって星たちの元へと届いていく。
 昼間山道で出会ったあのなんとも妙な小鳥を思い出した。山セキレイの一種だろうか、羽根の内側がうす黄緑色で、止まると尾をゆらしてチッ、チッと鳴く。どういうわけか車の前を先導するように低く飛び、コーナーで一瞬見えなくなる。そこに着くとまるで車の下から飛び立ったようでブレーキを踏んでしまう。数メートル先で山道のまん中で尾をゆらして手まねきをする。近づくとまた車を先導するように10メートルほど低く飛ぶ。そういうことを5、6回 くり返して林の中へと消えていく。陽ざしをいっぱいにあびたこの小鳥が今年もヌーファの山に来た。空にはつがいのサシバが悠然と舞っている。ピー、ピーと、ヌーファの山々がエリを正すような端正な鳴き声だ。森に座すと、今まで聞こえなかった鳥たちの鳴き声・声・声。この声もまた天空にのぼり、星たちに届くのだろう。夜には、そのお礼とばかりに星たちが音楽をふりそそぐ。そんな舞台の様子が、山原の冬の昼夜に見える気がする。魚たちは海底でその音をまくらに今日も眠っている。(コ)


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昨年もこんなにたくさんの方々がヌーファを訪れてくれました!
 合計1635人

参加者の出身地(多い順)
神奈川県・長野県・東京都・埼玉県・沖縄県・千葉県・広島県・京都府・愛知県・岐阜県・北海道・岡山県・兵庫県・群馬県・宮城県・栃木県・徳島県

個人で参加した方々は計143人。
その中で山道を上り下りした最高齢の方は、ご家族で参加した80歳のおばぁちゃんと83歳のおじぃちゃんのご夫婦でした。

修学旅行でヌーファを訪れた学校は全部で42校。参加した生徒は計1300人。
生徒も先生も思い思いにヌーファでの遊びやくらしを楽しんでくれました。

大学のゼミやその他の団体で参加してくれた方は計129人。
ユースフォーラムに参加するために来日した韓国の学生たちもヌーファに来てくれました。日本語が上手なコーディネーターの学生が通訳をしてくれ、それでも間に合わない部分は片言の英語や通じたり通じなかったりする韓国語やウチナーグチで!なんておもしろいツアーになりました。インターナショナルな風が吹いた、また新しいヌーファでの夜でした。

「子どもじんぶん学校」に参加してくれた子どもたちは計63人。
大変な競争率の中参加した子どもたちは、ヌーファで特別な5日間を過ごしました。昨年は、第1号の卒業生を送りだした記念すべき年でもあったのです。


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「山原のくらしと自然ものがたり」 文:あんな
出張ヌーファお話し人
  少し前のお話しになりますが、10月の下旬に名古屋の中学校に招かれて、美(ちゅら)のこと、ヌーファのこと、辺野古のことなど色々とお話しをする機会をいただきました。修学旅行で沖縄を訪れる予定の中学3年生を対象にした講演ということでした。偶然にも、なんとその学校はばぁば(アンナ母)とばぁばのお姉さんの母校。名古屋にはアンナのおばぁちゃんもいることですし、大喜びで「私でよければぜひ!」と。修学旅行シーズンの合間をぬうようにして久しぶりの名古屋へと向ったのでした。
 その中学校は女子校で、案内してもらった体育館に入ると230人の女の子たちの視線が一気にこちらへ。「あぎじゃびよ〜」。緊張のあまり一瞬何を話しに来たのか忘れかけてしまいましたが、「大丈夫!アンナの後ろにはヌーファがついてるさぁ!」。
 海まで30歩の嘉陽の家に、東京から家族で越して来たこと。お風呂の蛇口からおたじゃまくしが出てくるわ、寝てるとカニに足をはさまれるわの動物園状態のボロ家で鍛えられたこと。同級生が8人の複式学級でパラダイスのような小学校生活をおくったこと。学校が終わるとバケツいっぱいのもずくを捕ってきておばぁに笑われたことなどなど、子どものころのお話しを少々。ケラケラと笑って聞いてくれている生徒もいれば、「いったいこの人は何者なんだ?」と、口を開けてこちらを見ている生徒も。その後、用意したスライドを使って本題に入りました。前半は沖縄の基地問題の現状や、住民投票からボーリング調査開始までの辺野古の米軍海上基地建設問題の流れを。後半はヌーファの生きものたちの紹介を中心に、エコネット・美の活動や「じんぶん学校」についてお話ししました。最後はヌーファに託された「命」のお話しでしめくくり。中学3年生には眠たくなるような難しい話しもあったはずですが、みんなとってもいい顔をしてヘタなアンナの話しをちゃんと最後まで聞いてくれたのでした。
 あっという間の1時間で、まだまだ話したりないこともたくさんありましたが、ぜひそれはいつかヌーファで! それより何より、このチャンスから一番学ばせてもらったのはこの私。ヌーファの言葉を代弁する意気込みで行ったわけですが、まだまだ、とてもとても、代弁するには至らない自分であることを実感させられて、また新たな課題を見つけることができました。そして、アンナがなぜヌーファを案内するようになったのか、なぜこんなにも辺野古の海に基地をつくることがイヤでイヤでしょうがないのか、この問題の背景にあるものを自分のこれまでと重ねて再び思い返せたことも大きな収穫になりました。たまにはこうしてヌーファを離れて、外から見つめてみることも大切なのかもしれませんね。

 さて、名古屋から戻ってしばらく経った頃、お世話になった中学校からうれしいお便りが届きました。中には、生徒たちが書いてくれた全員の感想文。しかもみんな直筆の!感激して一気に読んでしまいました。思った以上の反応に再び感激しながら、また今の中学生が作文の中に絵文字を入れてしまうことにビックリしたりしながらうれしく読みました。そのいくつかをぜひここで紹介したいと思います。

「天然記念物であるジュゴンや生きている珊瑚が生息している海を埋め立てて、海の上に2700メートルにもなる滑走路がある基地を作ろうとするのにはもちろん私も反対です。しかも、住民投票の結果も関係なく、市長さんの考えによって決まってしまったという実態に驚かされました。住民の気持ちを尊重してなぜ進められなかったのか、腹立たしく思いました。ジュゴンたちにとっては、自分の家が壊されるのと同じことなのに、もしも自分の家が壊されたらどんな気持ちになるか理解できないのでしょうか。」

「住民投票のやり方は・・・ホントに汚いと思った!!お金のために基地作るの賛成トカありえないから!それにもしお金もらったとしても基地があるために事故があって市全体が吹っ飛ばされたりしたら、お金の意味なくなるし・・・。大人は汚いなって思った。」

「基地を作ろうとしているのを止められるなら止めたい。止めてほしい。ヘリコプターとかによる騒音は、ホントいい迷惑だと思う。真剣な話ししてるときにブブブブーンブーとかいって大きい音がきたら、一気にムードが壊れるじゃんっっ!!」

「なぜ基地がなくてはならないんだろう。日米安保があるから?それが何だろう。本当に有事の時に助けてくれるのかもわかんないし、もっと大切なものがあるんじゃないだろうか。」

「自分の家のすぐ横の国道で、軍服姿の米兵が歩いていたり、戦争映画に出てくるようなカモフラ車が走っていたりするなんて、沖縄は日本なのに日本じゃないような気がしました。」

「政府は何のためにあるのか、沖縄のことを考えるとよくわからなくなる。」

「最後に聞いた“この地球にくらす全ての生きものの命はみんなどこかでつながっている。一つの大きな命なんだ”という言葉が印象的でした。生きているものの命は一つしかないのだから、お互いがお互いを大切にしあって生きていけるようになればいいです。」
「やっと自分自身の中で危機感がわいてきました。そして、沖縄についても興味をもつようになってきました。これからは陰ながらですが、エコネット・美を応援していきたいと思いました。ガンバレ!エコネット・美!」
 はい!今年もますます頑張りま〜す!!


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その後の名護(十一)
1.疲労の色濃い辺野古での座り込み
 ミーニシ(北風)の吹く頃になった沖縄。大陸からの寒い季節風も、東シナ海を流れる黒潮本流に和らげられて沖縄西海岸にとどく頃になった。冬の沖縄東海岸は今年も穏やかな海となるのだろうか。
 辺野古沖での米軍海上新基地建設のためのボーリング調査が強行され続けている。環境アセス対象外という強弁のもと、国際的自然環境保護団体の警告にもかかわらず一気に実行に移された。大型調査船と護衛船が辺野古沖の大浦湾に現れたのは9月9日であった。12月22日、今年度分の調査が終了したとの報道があった。建設に対する抗議のための船とカヌーはほぼ連日にわたって出ている。海人(ウミンチュー)の中にも、海上ヘリ基地建設反対の賛同者が出てきた。12月21日の、名護市民投票7周年記念の抗議集会には、25隻の船が出て新基地の規模を海上に現した。陸上では、抗議のデモが300人近くの人々の参加をもってなされた。疲労の色の濃いなかでの大きな盛り上がりだった。人数的な意味での盛り上がりというより、よくぞここまで続けてこられたという意味での盛り上がりであった。9月の上旬からの疲労は並たいていのものではなかった。

2.市民運動と仕事
 私事を記す。
 名護市民投票7周年記念の日の12月21日は、私の妻の退院の日と重なった。手術を終えほぼ1ケ月にわたった入院生活が終わった日であった。退院の手続きと後しまつをして、妻を家にとどけ私は職場である夜の授業に飛んでいった。授業の間に、名護の十字路あたりを歩くデモのシュプレッヒコールが聞こえてきた。名護市役所にむかって進む抗議のデモのうごめきを、私は予備校の3階の廊下で体で感じた。人間の形をしたうごめきの波がずっと体に残った。この7年間が一瞬に見えた気がした。
 見えたもののすべてを振り払って、私は教室にもどり、叩きつけるように授業をした。やり切れなさをエネルギーにした授業は、きっと貧しいものだったにちがいない。授業を終え教室を出るとき一人の男子生徒が、“すごい授業だった。先生、ガンバレ。”と言ってきた。一瞬立ちどまったが、何かを見られるのがイヤで逃げ去った。いったい、何に対してガンバレなのか。生徒にも、追いつめられている私の予備校が見えていることに、私も気づいている。隠しようもなく追いつめられている。そのことが、米軍ヘリ基地建設反対を私が言い続けてきたことと深くかかわっていることを、生徒はどんな思いで見ているのか。私が、自分の予備校で偏向教育(ヘリ基地建設反対を生徒にあおっている)をしているという無署名のチラシをまかれたことなどを、父兄から聞いて生徒は知っているのだろう。
 この翌日、私に声をかけた生徒が私のところに来て言った。
「金が払えないから冬季講習は受けられない。自分で今までの復習をしておく。」
「冬季講習に出たいか?」
「・・・・・・。出たい。」
「オレも金はない。金がない者どうしは友だちだ。大学に入ってからお前が少しずつ返せばいい。講習を受けていい。」
「授業料の未納分もあるし・・・・・・。いま菊でメチャクチャ忙しくて、オットーもオッカーもキリキリしてる。これで少しもうかったら払えるかもって、オットーが言ってた。」
「オットーはどうでもいい。お前が自分で払えばいい。かんたんだ。」
「じゃ、受けたい。」
「オットーには、自習室に勉強しに行くって言っとけばいい。お前も菊の方手伝え。」
「今は朝5時から一緒にやってる。」
「ジョートーだ。」
「先生は、だいじょうぶか。」
「いらんお世話だ。ナンクルナイサ(なんとかなる)。」

 この7年間、私は何回も受験生に支え(?)られた。卒業生にも、父兄にも。そして職員に何回も何回も支えられた。7周年のデモの声を聞いたとき、私は一緒に歩けない自分のうしろと前に、幾層にもいる私と似た名護市民の姿を思った。長期戦で疲れ果てたり、仕事の関係で黙さざるをえなかったりしている人たちの姿を。私も、その中の一人となっていることに、重く立ちどまった。この予備校をつぶさないでやっていけるのか、自信があるわけではない。むしろ、不安が日々大きくなり、支払いを延ばしてもらうためのやりとりにへとへとになってきている。それでも、今日も一日10時間以上になっている授業を続けている。とことんやりぬく気持ちは消えない。米軍海上新基地建設に「ノー」と言い続けながら、私の職場である予備校にしがみついて生きていきたい。まだ見たこともない同じ境遇の名護市民を想像しながら、「ナンクルナイサ」と声に出していく。市民運動と仕事をバラバラなものとせずに、なんとかやっていけないか、とあがき続けたい。そのあがきの間から自分の体で感じとれるものを集めていき、実践の中に再び投げ入れていく。先例のないことが多いため、とまどいと失敗がつきまとうのだがやり続けていく。こうした姿もまた、「その後の名護」としてきちんと刻んでおくことが必要だと思う。

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新年あけましておめでとうございます
 たくさんの人たちがヌーファを訪れてくれますことに、深く感謝いたします。
私たちの「命」を優しく包んでくれるヌーファの海、山、川、そして生きものたち、本当にありがとう。また新しい出会いを求めて、2005年もエコネット・美はじっくり、どっしりと歩いていきます。


今年のテーマは<観察>と<記録>。初心を憶いおこして、ヌーファでできる活動の内容をもっともっと深めていきたいと思っています。
今年もどうぞよろしくお願いします。
2005年 正月
                              エコネット・美スタッフ一同

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