美ら通信 第17号 2004年9月28日発行
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 美ら日記(18) 
嵐とトンボ
 今年は台風が実によく来る。9月4日にやってきた台風18号は、ヤンバルを直撃した。名護は924ヘクトパスカルという新記録にみまわれ、暴風が2日近く続いた。『じんぶん学校』に入っていた名古屋のワークキャンプの若者たちは、18号台風のあおりをまともに受けた。これも沖縄経験というには少し気の毒な思いがした。
 5日の未明、妻におこされた。テレビの前に坐って、“あと2時間で名護も暴風圏に入るって。”と呟く妻。ねぼけていたが風の音にびっくり。タバコをすってとりあえず若者たちを連れに行くことにした。外に出ると思ったより風雨が強く少し体が緊張した。林道に樹が倒れていた。2回ほど樹を取りのぞくために車を出たが、笑ってしまうほど風に遊ばれた。いよいよ山の階段を下りる段になったら風がますます強くなり、普段は見晴しのいいコーナーでは樹を両手でつかみながら、顔の下からふきつける雨をまともに受けた。まっ暗なのだが白波は見えた。何かしら「責任」ということばが頭にびっしりとあった。皆を起こして、帰路につく時、どういうわけか風も弱くなっていた。ヌーファの山と海の神様が救ってくれた。
 その日の4時頃だっただろうか、台風の目に入って1時間ほどぴたりと風がやんだ。嘉陽の人たちも思い思いに外に出てきて、もうすぐやってくる返し風を予感しながらつかの間の休みをとった。道路には浜の砂が打ちあげられ、樹々の枝には見事な砂のまとわり。樹砂などということばがあるのだろうか。妙な静けさの空に、トンボの群れ。空という空におびただしいトンボがぶつかりそうに飛んでいた。いったいどこにいたというのか。倒れたキビの上にも、へし折れた樹々の上にも止まることがもったいないとばかりに飛び続けるトンボ。やがてトンボは見る見る姿を消して、けーし風(返し風)の前ぶれが、にび色の海面を渡ってやって来た。(コ)


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てっちーのボラスタ体験記!
 石臼での大豆挽きはすぐに飽き、アダン細工も途中で面倒になってやめてしまい、染物のしぼりも適当に済まし、ハンモックもブランコもさして面白いとも感じず、スタッフの人ともろくに会話もせず・・・。一生懸命やったのは、貝拾いと、夜うじゃうじゃ出てくるヤドカリをただひたすら見ていることと、一緒に行った仲間と話をすることだけでした。大学の沖縄学習旅行のプログラムの一部にじんぶん学校で一泊、美らでの体験が組まれており、おととし、2002年の夏と昨年と、二年連続でヌーファへ行き、どのように過ごしたかというと上記のような感じでした。しかも、他の参加者が旅の中で一番印象に残ったのがヌーファで過ごしたことだと、多くの人が言う中、可もなく不可もなくという程度にしか感じていませんでした。
 しかし、そんな人間が、約一ヶ月沖縄で美らのスタッフとして生活し、今では、コンクリートジャングルの中での毎日を辛く感じ、美らの事を考えない日はなく、一日でも早く再び沖縄に行き、美らで働きたいと思うようになってしまったのです。それほどまでに、子供じんぶんの参加者、お客さんとしてヌーファに来た方達、沖縄の山原の自然、美らに関わっている人たちは、素敵であり、魅力的なものだったのです。
 一泊だけしかしないのと違い、何日もいると、自然はいろいろな表情を見せてくれ、鳥のさえずりを聞いたり、マングースの姿を見たり、見たことのない色の昆虫や魚を見ることが出来ました。お客さんは様々な出会いや情報を与えてくれました。そして何より、美らのスタッフ達には、自分に欠けており、数年来求め続けている謙虚さと、他者や他の物を認めることの出来る能力を備えた人たちばかりであると強く感じました。
 沖縄についてすぐ、あるスタッフに、つらくて一週間くらいで帰ってしまうボラスタもいるという話を聞き、正直自分もそうなってしまいそうで不安だったのですが、杞憂でした。むしろ、あっと言う間に夏休みが終わってしまい、今まで送ってきた学生生活の中でこんなに夏休みが短く感じられたのは初めてのことでした。決して楽しいことばかりではありませんでしたが、それほど充実した時間を過ごすことが出来ました。
 今年の夏、美らのスタッフとしてすごしたことは、とてもいい体験であり、これからの活動や生活の原点であり、一生の思い出となるものでした。
 一ヶ月沖縄で生活し、日焼けをして肌は少し黒くなり、体重も少しへって、たくましそうになったけれども、結局、アダン細工も、大豆挽きもやり遂げることはありませんでした。次回、美らに行く時はもっと頑張るぞ!!(金子哲也)



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「山原のくらしと自然ものがたり」文:あんな
にわとりと子どもたち
 夏休み恒例のビックイベント、「子どもじんぶん学校」が、今年も無事終了しました。今年で5年目となったこの企画は、年々全国の子どもたちへと輪が広がって、申込み開始からわずか1時間で定員いっぱいになってしまうほどの人気ぶり。少しでもたくさんの子どもたちに参加させてあげたいと、今年は1クール増やして3クール体制で実施しました。21人×3クール、全部で63人の子どもたちが、今年も夏のヌーファの山・海で心と体をいっぱい使って、思いっきり遊んで働いて、みんないい顔をして帰っていきましたよ。今、美らの事務所にはそんなちびっこたちから、「来年は妹をつれて行くから待っててね〜」、「来年はゴーヤはもぉいいよ」、「パンツと水中メガネ忘れちゃった」、「ズボンを洗濯したらポケットの中からヌーファの砂がたくさんでてきたよ!」なんて、可愛いお手紙がたくさん届いているところです。3クールにフル出場したアンナとスグルとモリは「さすがにヘトヘトだやぁ」と言いながら、そんなうれしいお便りを読んでは、気がつけば早くも来年の話しをしていたりします。

 さて、今年は初の試みとして、1回以上参加したことのあるベテランさんばかりを集めた特別クールを実施しました。ヌーファでの生活に慣れている子どもたちにもうちょっとディープな体験をしてもらおうということで、1日はヌーファを出て平滝(ヒラタチ:シャチョーに教えてもらったやんばるの森の中にある秘密の場所)へ探検に行ったりと、少々ハードなプログラムを組んでみました。でもさすがに「子どもじんぶん」で鍛えられていただけあって、みんな少々のナンギなんてなんのその。「ホームシックって何?」の意気込み。食事作りもお風呂沸かしも、子どもたちで協力しながらどんどん進めてくれちゃって、なんだかアンナたちは「お世話になります」という感じでした。

 そんな第2クールには、冒険の他にもう一つの大きな目標がありました。それは、「にわとり(排鶏)をつぶして(殺して)食べる」ということ。子どもたちに「命の重さ」や「命のつながりの大切さ」を見つめてほしいという強い思いがあったからです。

 やんばるに育ったアンナたちにとっては、例えばお祝い事のときにヤギをつぶして食べるだとか、卵をとるために鶏を飼って産まなくなったらつぶすというのは、ごくごく日常的なことで、それは特別なときにだけ食べられるご馳走でした。幼い頃から目にしてきたせいか、知らぬ間に自然なこととして受入れていたのかもしれません。ですが、都会にくらす今の子どもたちがはたしてそれを受けとめられるだろうか?ショックが強すぎるんじゃないか?お母さんたちに「うちの子にはそんな経験はさせたくない。ひどすぎる。」なんて怒られるんじゃないか?など、スタッフの間でも色々と心配はありました。それでもやっぱりヌーファだからこそ伝えられることがある!やってみよう!ということで、最後の晩のカレー用の鶏肉をみんなでさばくことになったのでした。

 ただ「残酷だった」で終わらせるわけにはいかないと、その日はたっぷり時間をかけてみんなで「命」のお話しを。
「ねぇみんな、アンナたちが生きていくためには何が必要なのかな?」
「トイレ!」、「お母さん!」「おうちかなぁ」、「空気とか水とか!」、「ご飯!」
「そうだよね。アンナたちはそういう色んなものがないと生きていけない。絶対に自分一人ではダメなんだ。中には空気みたいに目に見えないものもあって、“このおかげで今自分が生きている”なんていつもは考えないんだよね。どうだろう、なんだか知らない間に自分が生きているのが当たり前になっちゃってるところないかなぁ?」

 それまでヌーファを山ザルのように駆け回っていた子どもたちが、急にだまってシーンと。それから「命」のお話しはどんどんふくらんでいきます。
「そうやって、この地球にくらす生きものたちはみんな、お互いがお互いを必要としていて支えあっているんだね。その一つ一つの命が、地球にくらす生きものみんなにとって大切なんだ。だから“自分さえよければいい”っていうのはダメ。だってみんなつながっているんだもん。」
「だから戦争をするなんてバカだよ!」
「イジメもそうじゃない?」
「子ども虐待だって」
「そうか、なるほど。じゃぁ、むやみに山を切り開いて大きな道路を造ったり、たくさんの生きものたちがくらしている海を埋め立てたりするのはどう思う?」
「それも絶対ダメだよ。そんなことしたら人間もいつか死んじゃう」

 それからそれから、お話しは植物のこと、魚やウミガメのこと、ヤドカリのこと・・・。「食物連鎖」なんて難しい言葉も、子どもたちの口から自然に出てきたのでした。にわとりをつぶすことから、環境破壊の問題、戦争、イジメや虐待などの問題までを話すことになるとは思ってもみませんでした。が、そんな全ての問題が「命」を軸につながっていることを子どもたちなりに感じてくれたようで、胸が熱くなる思いがしました。

 逆さに吊るされた3羽のにわとりが血を流したとき、子どもたちは手を合わせ「ごめんね。でもありがとう」と。ナイフを持った子に他の子どもたちは「頑張ったな!」と、その勇気を褒めあいました。中には死んだにわとりを見て「ボクは悪いことをした。にわとりさんはボクのことを恨んでいるかもしれない」と涙した子どももいましたが、「その涙は、心がとってもキレイで優しい証拠なんだよ。その気持ちを大事にしなきゃいけないんだ。にわとりさんは決して恨んだりしてないよ。だから残さず全部食べてあげよう」と言うと、うつむいていた顔を上げてみんなと一緒ににわとりの羽を抜き始めました。

 夜、ひときわおいしくできたカレーを前に「にわとりさん、命をわけてくれてありがとう!おいしく食べてにわとりさんの分も元気に生きていきます!」と、空を見ながら「いただきます」。すると、「パパイヤさんありがとう!」「ニンジンさんもありがとう!」「タマネギさんも」と。こんなにうれしい食卓があったでしょうか。ヌーファの浜から、穏やかな風が流れてくるように思えました。21の小さな心に灯った優しい光を、ヌーファの神様がほほ笑みながらそっと包んでくれているようでした。どうかいつまでもその光がみんなの心に灯り続けますように。そしてまたいつでもヌーファに戻っておいで!


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その後の名護(十)
 9月9日、防衛施設局は辺野古沖米軍新基地建設のためのボーリング調査をついに強行した。一週間前の9月3日、これまた突然の「久志地区住民への(ボーリング調査)説明会」がまるで最後通告のようになされた。しかも施設局発行の「許可証」を持参した200人に限定して。久志地区は4000人弱の人口で、しかも今まで何十回と説明会の開催の要求をことごとく退けられてきた。施設局職員約60人が警備するという異常な状態の下であった。ビデオカメラをまわし続けた。

 8月13日、宜野湾市・沖縄国際大学校内への米軍ヘリ墜落事故。その軍用のヘリコプターは、普天間米軍基地所属であった。このことを、普天間米軍基地の辺野古沖移設の早期実現のチャンスととらえた防衛施設庁の思惑。それを黙認しバックアップする沖縄県と名護市。この構図はなにも今にはじまったことではない。この8年間ずっと変わらぬ絵模様であった。名護市議会は9月9日の市議会で、「ボーリング調査中止」の抗議決議と意見書を、11対17で否決した。「危険な普天間の米軍基地の早期移設」イコール「辺野古沖新基地建設実行」に結び付けることは眼に見えていた。

 9月9日、辺野古から50キロも離れた佐敷町馬天港から、12時頃、2隻の調査船と警戒船(監視船)が出た。2時頃辺野古沖に到着。一方施設局が準備した取材船2隻が、辺野古から海上で1キロの汀間漁港から出た。抗議の小型船が2隻とカヌー17隻(11人)が必死の抗議の声をあげた。この日の海はけっこう荒れていてカヌーの人たちの疲れは想像を絶する。辺野古の漁港、キャンプシュワブでの二つの入口、さらに汀間漁港でそれぞれがんばっていた400人の人々。地元、中南部、本土からのひとりひとりの人であった。やがて150日にわたる座り込みがもたらした確かな声がそこにあった。仕事の関係上来られない人たちの思いを、海が受けとめてくれた、と思って寄せてくるむなしさをまたひとつ奥底にしまった。それは悲観ではない。長い長い「基地ノー」の沖縄の歴史のひとこまをつむいで継ぐ記憶の一歩であった。明日の一歩を中に含んだ、生々しくくやしさに満ち満ちた一歩でもあったと思う。

 9月12日(日)、3万人の人々が宜野湾市の米軍ヘリ墜落事故抗議市民集会に集まってきた。米軍ヘリ墜落とその後の米軍の事故処理での日本側の排除(日米地位協定をタテにした)への抗議の声が結集した。伊波洋一宜野湾市長のガマク(腰)のすわった抗議の声にホッとしながら、これほどに危険な普天間基地は一日でも早く辺野古沖に移設すべき、と論理をすりかえる知事や名護市長の策動に不安を感じていた人も多くいた。二重、三重の綾をくぐらない限り見えてこない「沖縄米軍基地問題」の深さ、暗さにひざを抱えて考え込んでいた人々もまた多くいたにちがいない。辺野古との接点をはずし、米軍への怒りを一過性のもの、ガス抜きとして定着させようとする知事の魂胆。政府と県が決めた事を粛々と進めるのが我が仕事と無策に座る名護市長。そしてその奥に、まるで線香花火のように「沖縄問題」を点として発信し続ける本土のマスコミ。今日もNHKでは、「ちゅらさん・パート3」と題して「沖縄」をがんじがらめにパターン化している。さびしさの袋の中に、怒りと暴力がまたくくられ、見知らぬ手から手へと越境していく様を刻み込んでおきたい。(コ)


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ヌーファ・山道改修作業のご報告!
 シャチョーとじぃじのコンビが、ヌーファに新しい山道を作っています。お年寄りや小さな子どもでも楽に歩ける山道を作りたいというのは、二人のかねてからの願いでした。じんぶん学校施設への通路としてではなく、山道をゆっくりと楽しんでほしい。周りの景色を味わいながら、山と海とのつながりやそこにくらす生きものたちをじっくり見てもらいたい。長年温めてきたそんな構想がとうとう動きだしたのです。
 新しい道の全長はおよそ300メートル。全体が階段のないゆったりとしたスロープになる予定。道幅の平均は1メートル半で、平均傾斜はだいたい9度。山腹を横切るかっこうで右手に海を眺めながら、安心してのんびり歩けるようになっています。道の途中には、貝殻やサンゴがたくさんある場所もあって、昔の人のくらしの跡が見られます。ヌーファの植物のほとんどに出会える、ステキな、穏やかな山道です。
 9月のはじめから作業にとりかかったシャチョーとじぃじ。朝早くから夕方ギリギリまで、例のようにほとんど何も話さずもくもくと汗を流しています。1回の作業で飲む水は3リットルずつ。現在、最難関場所の作業を進めています。コンビの息はピッタリ。4回の作業で、すでにその3分の1ができあがりました。土をならしていると、じぃじの足にキノボリトカゲがスルスル。昼間はアカショウビンの甲高い声に励まされて、夕方はコウモリたちに「そろそろ終わりにしたら?」と羽ばたく音で合図をもらうなんて、のどかであたたかな作業風景です。
 完成したらご報告しましょうね。新しいヌーファの山道へめんそーれ!


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