美ら通信 第15号 2004年2月23日発行
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 美ら日記(16) 
ヌーファでの「手」
  手づくりのシャワー室が、ヌーファのじんぶん学校にあるといい。今ある合成樹皮の既製のシャワー室を板べいで囲ったものは、どうもあの自然には似つかわしくない。似つかわしくない、とはわかっていても、それに代わるものをつくる「じんぶん」(知恵)と「情熱」がなければあきらめるしかない。それが5年続いた。
 山原チョッキン虫は今日もヌーファの山の中。最近はヌーファの山の谷が気に入り、うっそうと繁る草木にうもれながらじいっと、ぼおっと谷間の風景に見とれる。見上げて、そして見下ろして、谷間のひんやりとする雰囲気にひたる。朽ち果てて土に帰ろうとする倒木。その土への帰還を促す無数の小動物。山原チョッキン虫に見えるのはそのほんの一部。枯れてもすっと立っている古木も表皮から順に帰っていく。
 いつの日か、じんぶん学校も土に帰っていく時がくる。そのためにも、帰ることのできる施設であるといい。とここまで書いてふと思いかえす。17年前、ヌーファに入ってまもない頃、ジャングルをかきわけて突然出くわしたあの猪垣(猪よけの石垣)。100年近くの年をへて、一部は根に壊されながらもまだ石垣の姿を保ったあの光景。ユウナの樹々の奥にすくっと連なったあの猪垣。あの時の感動がまだある。ドキドキそしておそるおそるじいっと見たあのジャングルの中の遺跡。容赦のない樹々の成長は、猪垣をおおい、少しずつ壊してもとにもどしていこうとする。
 具志堅勇(社長)の手で、ついに手づくり石積みシャワー室が2つできた。卓(スグル)とチョッキン虫が石を運んだ。石の恵みをもたらしてくれるヌーファの森にふさわしいシャワー室。あそこの自然にふさわしい姿でできた。「じんぶん」と「情熱」が、手を介してこしらえあげたもの。すばらしい出来ばえだ。帰りぎわ、去りがたい気分になってしまった。卓もあの具志堅勇の手つきを見ていただろう。30才の年のへだたりをこえて、一つの知恵と情熱が伝わった瞬間だったにちがいない。いつの日か、卓もまたあのぶ厚い手で、何かをつくることだろう。具志堅勇も、石積みをしながら、遠い日の誰かをたどっていたのか。チョッキーン。(コ)


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すぐるのヌーファ日記
  はじめまして、卓(スグル)です。
 去年の4月じぃじと出会い、いきなり「山に入らないか?」。その瞬間、俺の頭の中には「山って何?俺はどこに連れて行かれる?それより何よりこのオジサン誰?」そんな疑問を抱えたまま連れられて来たのがヌーファの里、じんぶん学校でした。
 「なんかここ、大人の秘密基地みたいさー。いいとこみっけ!」。そう思いながら約1年ここにに居座っています。薪集め、薪割り、火起こし、ご飯炊き・・・。ヒヨッコの僕には大変なことだらけですが、それでも毎日楽しくやっています。
 僕が住んでいるのは宜野座村。ヌーファから車で40分程の小さな村です。野球の盛んな地域で、最近では阪神がキャンプに来たり宜野座高校が甲子園へ行ったりと、村は野球で大いに盛り上がっています。僕も小さい頃から野球、野球、野球、の野球少年でした。
 今ではお相撲さんの様な体型を活かし(?)ヌーファで活動中です。木にだって登ります。トタンの上にだって(見てる方が怖いかも・・・)。しかし、まだまだ野球で鍛えた肩は衰えを知らず、水面に向って石を投げると、ダツが体の半分以上を水面から上に出してまっすぐ僕のところへ向ってきます。そんな魚の行動に興奮。オマエもいつかは釣ってやるぞ!!
 釣りが好きで、ヌーファでは修学旅行生と一緒に釣りを楽しんでいます。僕が釣りに行くと、オバー達はおからのコロッケを揚げたあともカマドからあぶら鍋をおろさず、いつまでも僕らの帰りを待っていてくれるのです。とっても有難いことですが、釣れないときは台所へ向かう足が重いです。近頃は足の重いことが多くて・・・。でも、そんな時は海で見た魚の話をします。「えー、おばー。今日はデージ(とっても)大きな魚がいたさー。イカもいたよー」。でもオバーは「釣ってこないとわからんよ」と。はー、辛い。
 「おい魚たち、釣りは協力が必要なんだぞ。俺は餌をやる、お前たちはそれに食いつく。わかってるのか?」そのうち魚たちも僕に協力してくれることでしょう。
 よし、明日もヌーファで作業してこよーっと。



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その後の名護(八)
 名護の東海岸は大型公共工事が急ピッチで進んでいる。1つは、辺野古の国立高専の本体と学生寮等工事。ものすごい威圧感のある本校舎は、今年の4月開校に向けてすさまじい進ちょく状況である。もう一つは、大浦湾周辺の架橋工事および西海岸へのバイパス工事である。
このバイパス工事は、橋2つ、トンネル2つの建設を含む大型工事で、名護市街地にぬける道と、一昨年完成した羽地大川ダムの道へとつながるものである。西海岸から一気に大浦湾にぬけるルートが、2つできることになる。さらに辺野古に通じる国道331号線の大幅改修で大浦湾上の橋がほぼ完成し、続くトンネル掘削が始まろうとしている。大浦湾は山原東海岸の一大結節点として考えられていることが少しずつ明らかになってきた。
 その大浦湾に、前回もふれたが、普天間米軍代替基地建設のための作業ヤードが建設されることとなった。海上埋め立て面積31ヘクタールとされる広大なもので、海上基地建設がいかにすごい工事であるかを伝えてよこす。辺野古側から見ればすぐ裏側にあたる大浦湾が今後の米軍基地建設の工事現場の中心となることは明白である。その大浦湾へのアクセスを多数確保しておくためにも、今進行している道路工事は完成を急がなくてはならないわけだ。一見通年の公共工事に見える大浦湾周辺道路改修建設工事はどう見てもキナくさいものである。もちろん、それらの工事そのものの環境への影響は大きく、特に名護へのバイパス工事は見るも無残なほど自然を痛めつけている。
 国立沖縄工業高等専門学校の工事はほぼ80%が完成している。辺野古の海を見下ろす高台は前の風景を思い出せないほど変わってしまった。これみよがしの建造物を見ていると、この設計者の「建築物と人間」の関係イメージがすけて見えるようだ。
 ところで、この国立高専の「案内書」ができている。表紙をめくると、田中耕一氏の横顔の大きな写真が出ていて、田中氏のノーベル化学賞の受賞対象となった技術「タンパク質の大きさを分析するための方法(質量分析法)」のアウトラインが紹介されてある。その田中氏の写真のまなざしの先には、「開拓精神あふれる/技術者をめざすキミへ。」という太文字があり、その下に、「ノーベル賞受賞者となった田中耕一さんのような、失敗を恐れず独創的な開発を行える技術者を沖縄高専でめざしませんか?」とある。さらに続けて、スカイパーフェクトTV「サイエンスのこ・れ・か・ら」で田中氏が話したものの一部抜粋が再構成されて載せてある。小見出しは2つ「“減点”主義からの脱離」、そして「“加点”主義のすすめ」とある。ページをめくっていくと、9階建ての男子寮/女子寮がそびえ立ち、それぞれが辺野古のバイパス国道329号線を架橋する「ブリッジ」で本館に結ばれている。校舎群の裏山側は、一様に森となっていて、その奥の実弾射撃訓練場はもちろん記されていない。正面玄関の前に広がる辺野古の海は一切載っていないし、寮からすぐななめ下に見える辺野古社交街(米軍バー)も載ってはいない。地図には、マルチメディア館は載ってはいるが「辺野古」という文字はどこにも見あたらない。
 この「案内書」の田中耕一氏の紹介と、脱辺野古の一貫性は、この高専がいかに現在の日本本土側の発想にもとづいて作られているかを端的に示している。国立高専の目と鼻の先は、米軍海上基地建設の現場なのである。(コ)


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「山原のくらしと自然ものがたり」 文:あんな
かぼちゃ泥棒
 嘉陽にかぼちゃ泥棒が最初に出没したのは今年はじめ。被害にあったのは嘉陽にくらすおじぃで、嘉陽の北隣の集落、天仁屋に大きなかぼちゃ畑をもつ農家でした。盗まれたかぼちゃは数百箇。このニュースは瞬く間に嘉陽全体に広まって、農業でくらしを支えているおじぃやおばぁたちは「とうとう嘉陽にもやって来たか」と不安で眠れない日々を送っていました。
 「とうとう」というのは、実はこの事件の少し前から、東海岸では嘉陽の近所の集落、安部、三原、汀間でも同じようなかぼちゃ盗難事件が連続して起こっていたのです。やんばるの東海岸のおじぃやおばぁだけで頑張っている畑で次々と、一晩のうちに出荷直前のかぼちゃがごっそり盗まれるというこれまでにない大事件。インゲンなどこの時期収穫を迎える作物が他にもあったにもかかわらず、不思議なことにかぼちゃだけを狙った盗難事件でした。おそらく、収穫作業に手間がかかるインゲンなどに比べ、かぼちゃは手っ取り早く盗むことができるということもあったに違いありません。本当に、体の力が全部ぬけてしまうようなショッキングな出来事でした。
 去年、テレビで本土のサクランボやリンゴ、米などが盗まれるという事件のニュースが連日のように流れていたとき、「なんてひどいことをする人たちがいるんだろうねぇ。もうどうしょうもないんだろうねぇ。はぁ、かわいそうさぁ。」と、まさかその時はやんばるで同じことが起きるとは思いもせずに、ただただ、テレビに映る本土農家の痛々しい様子を見て同情していたおばぁたちでした。それが、ここやんばるで、三原で、嘉陽で・・・。なんという悲しい出来事でしょうか。いったいどんな人が、なぜ・・・。

 2月16日(月)。その日は埼玉の高校の修学旅行体験ツアーがあって、ゆきおばぁとはっちゃんおばぁは朝からヌーファに手伝いに入っていました。嘉陽でアンナたちスタッフが生徒たちのバスを待っていると、次郎おじぃ(はっちゃんおばぁの旦那さん)と一雄おじぃ(次郎おじぃのお兄さんでゆきおばぁの旦那さん)が軽トラックで手を振りながらそれぞれ畑にでかけていきました。ポカポカと久々にいいお天気。「海も静かだし、暖かいし、今日の高校生たちはよかったさぁ。おいしいご飯作って待ってるから、たくさん遊びなさいねぇ。」と久しぶりの修学旅行生たちをあたたかく向かえ入れてくれるおばぁたち。その日の生徒たちは、シャワー室を改装するための石運びや薪割りを積極的に手伝ってくれたり、魚が釣れて豪華なおやつが食べられたりと、「3泊の修学旅行、ずっとここにいれたらよかったなぁ。」と言ってくれたほど、とても楽しいツアーができました。
 ツアーが終わって嘉陽に戻り、「今日の子たちはみんなさっぱりしてていい子で、楽しかった。」などとしばらくみんなでゆきおばぁの家の前で話していると、遠くからはっちゃんおばぁが大きな声で何か叫んでいます。嘉陽に戻るなり野良着に着替えて畑仕事に向かったはっちゃんおばぁが、何やら慌てて畑から飛んで帰ってきたのです。「なんね?大きな声で。」とゆきおばぁ。「ぇえ!ゆんたく(おしゃべり)してる場合じゃないよ、ゆきねぇさん!かぼちゃが大変なってるって!!」「はぁ?どこの畑よ?」「ゆきねぇさんのかぼちゃ畑よ!!盗まれたって!!」
 一瞬、凍りそうな冷たい空気が流れ、ゆきおばぁは畑に走っていきました。畑では一雄おじぃが一人、肩を落として残ったかぼちゃを収穫しているところでした。1週間後に収穫をひかえていた約100個のかぼちゃが忽然と姿を消し、荒らされ変わり果ててしまった畑を見て、ゆきおばぁはあまりのショックとやり場のない怒りに言葉を失ってしまったそうです。せめて残ったかぼちゃは盗まれる前に出荷しようと、少し早いけどその日のうちに収穫してしまうことにしたのでした。長い時間と手間をかけて育ててきた大事な農作物、かぼちゃ。心待ちにしていたうれしい収穫作業をこんな状況で迎えることになるとは誰も想像していなかったはずです。その時の二人の様子を思い浮かべると、なんともやるせない気持ちでいっぱいになります。
 最初に発見したのは、おばぁたちを見送ったあと手入れのために畑に向かった一雄おじぃ。すぐに警察を呼んで事情を説明し調査してもらったそうですが、手掛かりになりそうなのは慌てた犯人が落としていったかぼちゃについた指紋くらいなのだそうで、警察はそのかぼちゃ一つを証拠として持ち帰ったということです。かぼちゃ畑に通じる農道の入口には、続出する東海岸でのかぼちゃ盗難事件以降、おじぃがチェーンをつけて車が入れないようにしてあったため、山手から入ったのだろうとおじぃは話しています。であれば、盗む作業には時間がかかったはずですし、複数犯の可能性が高いのかもしれません。かぼちゃはハサミなどを使わずねじってもぎ取られていたとのこと。警察の話しでは売られているかぼちゃの切り口を見れば盗まれたものかどうかがわかるということですが、本当かなー。それにそこで盗まれたものだとわかったところでゆきおばぁと一雄おじぃのかぼちゃはもう戻ってきません。なんということでしょうか。
 ツアー後、その収穫作業を手伝ったスグルは、「ゆきおばぁも一雄おじぃも、作業が終わる頃には笑っていたよ。たぶんもう笑うしかないって感じだったんだはず。」と。スグルは手伝ったお礼にとかぼちゃをもらって帰ったそうですが、きっと複雑な心境だったでしょう。同じかぼちゃを近くで育てているはっちゃんおばぁと次郎おじぃも、慌ててその日のうちに収穫したということでした。
 今日もゆきおばぁと一雄おじぃは、朝早くから二人で畑に出かけていきました。盗まれたって、かぼちゃが出荷できなくたって、ただ淡々と、コツコツと、これまでと同じように働くだけなんだという二人の前向きな姿勢に、何かとても大切なことを学んだような気がします。ゆきおばぁからもらった(出荷できなかった不合品の)かぼちゃをきのうの晩もたくさん食べて、お腹の中から元気になりました。泥棒め!と腹を立てているよりも、かぼちゃから元気をもらって頑張るぞ!の方が、ゆきおばぁと一雄おじぃが作ったかぼちゃをおいしく食べられるのだと思います。


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