美ら通信 第14号 2003年12月27日発行
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 美ら日記(15) 
ヤンバル・チョッキン虫
 チョッキン、チョッキン、チョッキーン。今回から「美ら日記」は、山原チョッキン虫の眼から見た沖縄山原東海岸ヌーファの姿の報告となります。ご期待ください。
 自然はいい!自然のすばらしさ。自然の治癒力。自然のやさしさ。自然の豊かさ。自然の奥ゆかさ。あぁ、こんなに期待されて窮屈だろうな、自然くん。
 キューン。ピッキューン。キーッ。来たな。また来たかサシバ。あいさつがわりにもっと大きな輪を描けよ。ちっと元気がなくなったじゃないか。風のつかまえ方も去年のヤツより下手くそだ。もっとカラスをけ散らしてその羽根が白くならないうちにうんと食え。連れ合いはいつものヤツか。オイラは、お前があのガジュマルの枝にいる小鳥を襲うあの形が一番好きだ。どうだいオイラの手バサミが見えるかい。イボタクサギなんかこれにかかっちゃイチコロだ。なんならその爪と一戦まじあわせてもいいんだゼ。ピッキューン。キーッ、か。チョッキン。チョッキン。チョッキン。チョッキーン、ではどうだ。
 お前がいないときは、あんまり空を見ることもない。樹の上の天幕って感じで、なんなら無くたってかまわん。そう思う。あんまり青すぎた幕になると、このハサミで割いて、その奥に行ってみてぇ気になる。お前、空の奥には行ったことがねぇだろう。オイラをその肩にのせてみな。そしたらこのチョッキンいっぱつで天の奥にも行けようってなもんだ。連れ合いをつれてきてもいい。天の奥に行ったらまず幕を縫いあわせて帰ることは忘れるんだ。
 だけど忘れるじゃない、オイラがじゃまだなんて思うんじゃねぇ。そんなことしてみろ、もう二度とヌーファにもどれねぇ。もどれなかったら暑い夏もここにいなきゃならねぇってこと。仲間と合流してあの大陸(ふるさと)にも帰れなくなる。お前が少しでも楽なように、オイラも服もパンツも全部脱いで、それでそのフカフカの羽根に。だけどチョッキンは手放さねぇ。いっしょに唄うか。ピッキューン・チョッキン、ピッキューン・チョッキン。(コ)


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修学旅行シーズンを終えて 文:あんな
 シリーズでお届けしている「やんばるのくらしと自然ものがたり」はちょっとお休みさせていただいて、今回は「じんぶん学校」ツアーの報告をひとつ。
 全国の高校生や中学生たちが修学旅行で「じんぶん学校」を訪れてくれています。毎年9月下旬から12月が修学旅行のシーズンで、日帰り体験をする若いお客さんたちでヌーファは連日にぎやかになっています。
 あっという間の短い時間ですが、修学旅行ツアーのときでも「じんぶん学校」ではいつものように細かいスケジュールは決めずに、のんびりとそれぞれがやりたいことにかかわるというスタイルでやっています。一日中海につかっている子や(12月でも本土の高校生たちはじゃんじゃん海に飛び込んでいるんです)、ひたすら薪割りに没頭する子、ハンモックでお昼寝をする先生といった具合に、体も心も自然のリズムにおまかせという一日。自然に害になるようなことでなければ何をしてもオーケー。もちろん何もしないという過ごし方もおおいに結構。潮騒と鳥の声を聴きながらぼーっと海を眺めるというのも、きっと貴重な体験になるのでしょう。貸し切り状態の浜辺や海を端から端までいっぱい使って、ヌーファをまるごと感じてもらえたらいい。そしてちょっとだけ『じんぶん』をつけてもらえたらもっといい。そんな思いから、毎年続けて旅行修学旅行生たちを受け入れています。「やっと“沖縄”って感じだぜ!」とよろこんでくれる高校生、中学生たち。おもいおもいにヌーファの自然やその中でののんびりしたくらしに触れて、それぞれ心になにかを受け取って帰ってくれているようです。
 そんな高校生たちはヌーファにいる間、とにかく「やべー」を連発します。展望台から海を眺めても「やべー!」。石臼で豆腐を作っても「やっべー!」。泳いでる魚を見つけても「まじやべー!」。おばぁたちが作るじゅーしー(沖縄風炊き込みご飯)を食べても「ぅわ、やっべー!」。って、しまいにこっちも、「どんなね?滝はやべーね?」と。一番「やべー」が出てきそうな帰りの登り山道では聞こえないんだから不思議です。ホントにやばいときにはなんて言うんでしょうかねぇ。でも、本土の若い人たちにとってヌーファが「やべー」があふれる場所であることは、うれしいものですね。
 考えてみると、今一緒にスタッフをしているカンちゃん(神奈川県出身の神田慎也)も3年前にはそんな修学旅行生の一人でした。いまだに「やべー!」を連発しているカンちゃん。ヌーファに魅せられて沖縄の大学に入って、週末にはやんばるへ来て一緒に汗を流しています。「だって楽しいじゃん!」だそうです。
 ときには人の人生までも変えてしまう魅力をもったヌーファ。ここを訪れたたくさんの若い人たちが、未来の「やべー」海や山をつくっていく担い手となってくれることを願いつつ、明日は京都の中学生たちをヌーファへ案内してきます。


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正月クヮッチー
 沖縄では、正月クワッチー(ごちそう)といっても 「おせち料理」 のように特に正月だけの料理ではありません。
 沖縄ではクワッチーは、大きく分けて祝儀、不祝儀の2種類です。その違いも重箱の真ん中に赤いカマボコが入るか、白いカマボコが入るかの違いと、子芋をたくさん付けるので子孫繁栄の縁起物として使われる田芋(ターンム)が不祝儀の重箱には入っていないことぐらいでしょうか。その他、どちらかというと特に新しい法事のクワッチーは、薄味になっています。
 重箱の詰め方がおせち料理とは違います。重箱は8寸、7寸、6寸とありますが、いずれにしてもその1辺の3分の1の長さにすべての料理の長さをそろえます。料理は7品を入れるか 、増やしたければ9品とします。
 「カステラカマボコ」「豚肉(三枚肉)」「赤いカマボコ」(この3品は重箱に詰める位置が決まっている)
 この3品を入れたら、あとは色どりを見て入れる。といっても茶系か昆布の黒になるのですが。よく重箱に入っているものは次のような料理です。
 「田芋のから揚げ」「魚の天ぷら」「揚げ豆腐」「結び昆布」「ごぼうの煮付け」「コンニャクか大根の煮付け」
 カステラカマボコは、普通のカマボコと違い白身魚のすり身に卵をたっぷりと混ぜ合わせて型に流して蒸したものです。色は卵の黄色です。ふわふわとした触感と甘い感じがちょうどカステラのようなことから名が付いたものだそうです。
 田芋は、里芋と違い、水田で栽培された芋です。大きさは大人の握りこぶし以上あります。里芋より少しホクホクしています。蒸したものの皮をむいて、周りを切り落として重箱に2段ぐらい重ねて入れられる厚さの棒状に切ります。私は切り落とした部分はもったいないので、水と砂糖やみりんと少量の塩で木ベラで混ぜながら煮て、最後にショウガの絞り汁を入れて「ターンムでんがく」と呼ばれるものを作ります。これもお祝いの料理(甘くてデザート風)としてよく出されます。
 揚げ豆腐は、田芋と同じぐらいの大きさの棒状に切って、塩を振ってしばらくおきます。きれいに水気をふき取って190℃ほどの油できつね色に揚げます。最初に塩をしないで、揚げたてを塩の入った湯にくぐらせる人もいます。島豆腐が手に入らない場合は、木綿豆腐に重しをして少し水分を出して試してみてはいかがでしょう。その場合そっと扱わないと壊れてしまいますので気を付けて。
 魚の天ぷらは、メカジキが一般的ですが、嘉陽では、その頃の漁であがったものを何でも使います。これも他のものと同様に棒状に切って塩をして少しおきます。水気をふきとってから小麦粉を付け、衣にくぐらせて揚げます。衣には少し塩味を付け、本土のものよりドロンとしていますから、出来上がりは衣にボリュームがあります。もっとふっくらさせるために衣にベーキングパウダーを入れるおばぁもいます。重箱に入れるときに他の物より長ければ、端を切って同じ長さにして入れます。
 今年も頑張って作ることにします。(ばぁば)


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その後の名護(七)
 県議会十二月定例会が始まった。
 普天間米軍基地の辺野古沖移設を現実化する「環境アセスメント」の主体をめぐっての知事見解が出た。こうである。
 「現時点で結論は出ていないが、国が主体になるべきだ。(実施は)方法書の作成など一連の手続きを経て実施されるが、時期は明らかではない。」
 軍民共用空港という玉虫色の落とし所がうみだした当然の結論である。アセスを強行するにも「事業主体」が明確にされない限り方法書の作成は論理的にできないだけのことである。
 同時多発テロ以降、沖縄の米軍の動きは活発で、現にイラクへの増兵は沖縄の第3海兵師団から派遣される。即戦力としての軍事訓練が沖縄で行われている。キャンプ・ハンセン(金武)の戦闘訓練地域「レンジ4」では、都市型戦闘訓練施設の建設(実際は増設)が強行されようとしている。対テロの特殊部隊の戦闘訓練の施設で、今までも何回も問題になっていたいわくつきの施設である。県議会と同日に開催された浦添市議会の臨時本会議でも全会一致で反対の意見書を可決した。沖縄にとって、同時多発テロ、アフガン追放、イラクの戦争は海のむこうの現実ではない。まるで見よと言わんばかりの「都市型戦闘訓練場」は、広大なキャンプ・ハンセンの道路に近いところにあること。キャンプ・シュワブの水陸両用艇の上陸訓練の激化も国道から見えること。現実というより風景といえるようである。
 「日常風景としての軍事」。
 沖縄の海浜の姿も著しく変わった。何もかも変わった。米軍基地だけが昔のおもかげと50年の時の歩みを確実に伝えて変わらない。「日常風景としての軍事」だけが変わらない。その風景は、人の心が写しだしているものであり、そこ以外にその風景のおさまる場所はない。なぜ日本の現代精神史のなかで、沖縄のこの不変の風景と精神との関連が克明に分析されていないのであろうか。戦後の日本の精神史のなかで、これほど確実で分厚い研究対象はありえないだろう。おそらく「戦後沖縄の精神史」を記すときの<方法論>がまだ育っていないのではないか。
 アフガンやイラクの「軍事と精神」を語る人たちの中に、沖縄のそれを語れる方法論があるとはとても思えない。では沖縄の側にあるのか。おそらくある。私はそう思っている。それは、沖縄に生きる人間そのものの中にある。縁のないジグゾーパズルを人間で埋め込む作業といっていい。無限変形のその一つ一つの人間のピースをスキマだらけのままに埋め込み、その空きピース群の様をなぞっていくことではないだろうか。このスキマに、風がとおり海水がとおり唄がとおり舞いがとおる。そしてユーモアにつつまれた剣がすっととおる。
 沖縄に「ハジカサーする」ということばがある。恥かしがる、というほどの意味。恥かしいと感じる心は、吃音の方向と饒舌の方向に飛び散る。沖縄で、止まらない饒舌をよく眼にするが、それはすぐに止まらない吃音に重なる。同じ人のなかでおこる同じ根をもつ二つのものである。名護の中で私はよくこれを眼にする。この二つのものを、からくもつないでいるものは何なのか。「キツオン」と「ジョウゼツ」では足りない。その2つを同時にふくむ方法論と、その方法論をどこまでも越境させる意思と、恥じらいをたっぷりふくんだユーモアだと、思うのだが。(コ)


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