美ら通信 号外 2000年6月8日発行
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美ら・日記(6) 「山原・わらびぃ一泊体験」
 昨日6月2日、地元久志小学校(全校生徒数三十四名)の児童・先生全四十一名が「自然体験学習」としてヌーファの里・じんぶん学校にやってきた。昨年に続いてであるが今回は一泊体験。
 地元の小学生といっても、地元の海・山の自然について知っているわけではない。海に出る経験からいえば、海沿いの本土の子供たちより少ないかもしれない。酷暑と台風がその主因なのだろうが、それ以上にテレビ、ファミコンが沖縄の子供たちを家にとじこめている。
 そんななか九人の先生(校長先生以下全員)と三十二名の児童が食事づくり、染め物、火おこし、海の散策、トーフづくり、ホタル見物など、実にのびのびと楽しんでいってくれた。もちろんこの体験学習は学校の授業の一貫として組まれているもので、それだけに、掃除・片づけなど今までじんぶん学校に入ってきたどの団体よりもきちんとしていった。帰りは、ゴミ袋をもって山を登っていった。
 ランプ生活やマキの火おこしなど、沖縄の山原の子供たちにとっても初体験。情報市場経済の原理は、日本を一糸みだれぬ画一化へと確実に導いてきている。この亜熱帯の島沖縄のさまざまな「異質性」が、「画一化」にひそむ恐ろしい病根を息ながく照らしだしてゆけるか、大人たちの懐の広さと豊かさと覚悟が問われている。お金はこれぐらいあればいいネ、と子供と本気で話せる大人。それがスタートなのだろう。


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海と星の見えるユーフルヤー
◆少しナンギを◆

 私は蘭の栽培を生業としている。農業。沖縄でいうハルサーである。蘭を23000本、ハウス4棟で育て出荷している。もちろん一人ハルサーで、息子3人が継ぐことは期待していない。
 昨年はエコネット・美の山仕事などでハウスに行けない事が多かった。おかげで減収。かあちゃんには頭があがらない。エコネット・美の社長といっても無収入だから農業の減収は即家計にひびく。子供がそれぞれ仕事で一人前(?)になっているからなんとかやれている。
 沖縄の山原に生まれ、育ち、家庭を守って、振り返ってみれば55年がたっている。沖縄戦で父を亡くしているので、父の顔は知らない。山原の避難壕でうまれたらしい。敗戦後の沖縄のすべてを生きてきたことになる。末っ子で母の苦労を見てきた。見るに見かねて一緒に働いた事が今に生きている。その母も亡くなって7年になる。
 山原での戦後の話をすれば終わらなくなるから止めておく。ただ最近自分の体に残っている信念のようなものを感ずる。55年間どこかで体が覚えたのだろう。それは、「少しナンギしてみる」ということだ。ナンギなぞしたくない。したくはないけど、少しナンギしないとダメな気がする。そのダメな気持ちを体が感じている。「体の意地」なのかもしれない。ナンギしてみないとわからない、ということもあるけど、義務感だけのナンギは感心しない。少しナンギしてみる、と思った時のキッカケが大事だろう。なんのためのナンギかを漠然としたものでもいいからつかんだら、少しナンギしてみる。エコネット・美での私の2年間はそういうナンギを続けた2年間だったと思っている。だから続けられた。
 えらい固い話になってしまった。文を書くというと沖縄人(ウチナンチュー)はこうなってしまう。困った。じぃじにタッチ。


◆とにかくフロ◆

 会員の原さんがヌーファでぼそっとひと言。「ここにフロでもあれば」。「あれば?」。「お客さん来ますよ」。「お客さんが来る?!作りましょう。」
 話というものは簡単で、口でフロを作っているうちはよかった。私がフロの事を言っても横を向いていた勇社長も、原さんが言ったのは効いた。人柄というものは恐ろしい。
 “フロだ、フロだ、ヌーファに露天ブロ。海が見え、天の川の見えるフロだ!”と作る前から露天ブロに入った気分の私。まさか社長があんな恐ろしいことを考えていたとは。フロをサンゴで作る、と聞いた時、私はまだロマンティックな気分で、なるほどここは沖縄、サンゴでフロだなんて憎いネ、と。フロの予定地のアダンを取り移植して周囲の土台を掘り終わる頃、何やら勇の怪しい動き。200mほど離れたアダンのジャングルの下をゴソゴソ。道をつくっている。ハー?。私とヤース(城間康人)の二人して「ハー?」「ハー?」。そのうちアダンの下に半ばうまっているでかいサンゴの塊を掘りおこしが始ったではないか!それからというもの、来る日も来る日もサンゴ、サンゴ、サンゴ。掘っては一輪車で運ぶ。それをとにかくひたすら続ける。勇がそのサンゴを独りで積み上げる。99.9%勇ひとりで積み上げることになろうとは!サンゴとその間ににつめる石の数10000個以上でした。ハイ。その作業の間じゅうほとんどラーメンライス。勇は社長ですからメシ作りはしません。ハイ。ここらへんまで書くと泣けてきてペンの先が見えません。ハイ。
 そんなこんなで43日間におよぶフロ作りは完成。フロは作ってもどうやってわかす?勇ひと言「マキボイラー」。決まりですね。特注をして200kgのボイラーができ、船で運び設置し配管して、シャワーもつけ、とにかく完成!
 よーしフロに入るゾと思っていたやさきにお客様。お客様は神様です。さっそく初めての湯わかし。湯ぶねから湯けむり。いい光景でした。福岡からの梶田様親子3人があの苦闘と涙の結晶の露天ブロの初めての体験者でした。梶田さ〜んおめでとうございま〜す!ボイラーの横で私とヤースが泣いていたことを知ってます?くやし涙でしたヨ。もっとも、勇がフロに入ったのは、それから1ヶ月後のことでした。ハイ。
 そんなこんなで、とにかく立つとアダン葉の陰から海が見え、横になると星の見える露天ブロ(ユーフルヤー)ができたのです。
 どうぞ、皆さん、皆さん、おフロに入りに沖縄山原ヌーファの里に来て下さい。
 そんなユーフルヤーの前空を米軍ヘリコプターが今も飛んでいます。そしてもっと多くのものが。体の奥から「ノー」と言いたいものをサンゴの石積みにこめました。


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