帝国学園の学生寮の個室には、小さなユニットバスがついている。
それとは別に学生寮の1階部分に大浴場がある。
ユニットバスで済ます寮生もいるが、結局のところユニットバスの掃除自体が面倒な寮生も多い。
大浴場は気兼ねなく入れ、かつ自分たちで掃除しなくてもいいので愛用している寮生も多い。
俺もその1人だ。
2年次から途中編入して以来、大浴場はよく使う。
大浴場の脱衣所。
鬼道クンと辺見が並んで服を脱いでいる。
佐久間はいち早く浴場に入ったらしく、ゴミ箱にテーピングのテープが雑に丸められて捨てられていた。
「鬼道さんがゴーグルを外すの、久しぶりに見た」
辺見が鬼道クンの横でまじまじと鬼道クンの素顔をみている。
鬼道クンは気にせずにジャージを脱ぐ。
「ああ、最近ではお前たちとは合同試合でしか会わないからな」
特段、寂しげな口調ではなく。
さっぱりと話す声を聴きながら大浴場の扉を開けた。
大浴場といっても中坊が10人は入れない大きさだが、フツーの家の風呂よりは当然デカイ。
「え、なに佐久間、今日、鬼道クン、寮に泊まるわけ?」
大浴場の洗い場ブース。俺は佐久間の座る洗い場から、1つ間を開けた洗い場の椅子に座る。
佐久間がこちらを見ずに頭を洗ってる。
”ああ、そうだ”髪の泡をシャワーで流しながら返事がくる。
「寮母の許可は出ているからな」
「ふぅん」
手元の温度調整を確認、シャワー湯温の温度を確認する。
ガラガラと大浴場の扉が開く音。
数人の話し声が聞こえた。
俺は湯を出して髪を流す。セットして持ち上がっていた髪型が水気の重さで垂れた。
「佐久間、早いな」
後ろで鬼道クンの声がした。
すでに湯船につかっている佐久間に対し、鬼道クンが話しかけてる。
”髪が長いからな、ドライヤーに時間かかるんだ”、”それは俺もだ”とか。
この帝国学園に、普段はいない鬼道の声が風呂場にのんびりと響く。
世界大会の頃みたいな雰囲気の佐久間と鬼道の話し声。
コロコロと鈴音のように笑う変声期の佐久間の掠れた声、鬼道クンの独特の柔らかいゆっくりとした相槌が続く。
シャワーの温度は適温。さっさと頭も体も洗って出ていこう。
耳を澄ましていると、話しているのは聴き慣れたやつらの声だった。
辺見、源田、寺門、佐久間、鬼道クンって、これサッカー部のメンバーじゃねーか。
なんで風呂まで一緒なのこれ。
・・・理由はわかってる。
帝国のサッカー部のやつら、みんな鬼道クンのことが好きで敬愛してて、一緒に居たいんだって。
残念ながら俺にとっては「鬼道クンがいた頃の帝国学園」なんて知らない。
そんな小さな再会の雰囲気は適当におつきあいするに限る。
アイロニーを伴ってさっさと退場だ。
平たくいうと、お前らの”仲良しごっこ”に耐えきれない。
途中参加の俺はしょうもなく、ここに居するも用は無しということで。
頭を備え付けのシャンプーで泡いっぱいにして目を瞑る。
無心に髪を洗う。
この髪型に長い洗髪時間はいらない。
ワイワイしていた声がスッと静かになった。
!!
はぁ?!
な?!
なに!?
今、誰かが!
誰かが、俺の下半身のセンターをタッチしてったんだけど?!
何だよ!
どいつだよ!
苛ちがMAXなんだけどッッ?!
「誰だよ!!」
大声を出して怒気まじりで振り返る。
が。
あーーーー・・・。
目ぇあけても。
・・・泡で全然みえねぇ。
だれかがパチャパチャと湯船の水面を鳴らす音。
「ん〜?だぁれかなぁ〜?」
佐久間の機嫌良さそうな声、辺見の笑い声が大浴場に響く。
続いて源田の小さな咳払いが続く。いや、源田、お前もすでに湯船にいたんかい。
「てめぇら待ってろよ!」
セクハラかよ!体のプライベートなパーツを触りやがって!
風呂桶にたまった湯。シャンプー泡の頭をそれでズバッと流す。
再度、後ろを振り返ると、湯船にはサッカー部員フルスタメン5人が揃っていた。
「辺見、寺門!お前ら、体洗ったのかよ!」
「不動、問題ない。洗った洗った」
寺門が適当に笑ってる。
「で、誰だよ、今、俺の体の変なところタッチしてったの!」
頭を洗ってる視界不良の時に、何でイジってくんの?
性格が悪すぎねぇ?
どいつだ、その性格悪い奴は。
「んん〜〜〜不動・・・、人体に変なところなんてないぞ?」
鬼道クンがゴーグルのない赤い目で自信満々で笑ってる。
「ですよね〜!鬼道さん」
「流石だ!鬼道!」
鬼道の右に辺見、鬼道の左に佐久間。
なんだこの太鼓持ち2人組。
「不動、誰が触れて行ったのか。推理して解くんだな」
鬼道クンがそれでは”1人ずつ証言していこう”と口の片端を上げた。
「っ、そういうことかよ」
鬼道くんがこういうゲームが好きなのは知っている。
多分、雷門ではこの手のゲームをしても、他のメンツが付き合ってくれねぇんじゃねぇの?
まぁ、確かに雷門メンバーはこういうゲームに興味ないと思うけど。
「さて、不動。ここにいるのは俺、佐久間、辺見、寺門、源田の5人。この中の”たった1人”が不動明王の”明王”をタッチしていった」
「やめて、鬼道クン。不動明王の明王っていうのやめて。逆に下品」
頭をかかえる俺に、源田が”そうだぞ、鬼道。ちゃんと正しくチ・・・”と真面目な顔でいいかけて、寺門が苦笑いして源田の口をタオルで塞いだ。
佐久間が鬼道クンのかわりに解説をリスタートする。
「で、不動。お前の”明王”をタッチしてったヤツ、そいつだけがウソをついている、と、する」
「佐久間、お前まで”明王をタッチ”とかやめろ。んで、その真顔やめろ」
まぁ、聞けよ、佐久間は手でステイステイして続ける。
「タッチしたヤツ以外の4人は、本当のことを言う。さぁ、不動、タッチしたヤツが誰かわかるか?」
「チッ、てめーら、もう、さっさと証言しろ。俺にタッチしてったやつ、あとで殴るから」
”じゃぁ、俺から”と佐久間から証言がスタートした。
こいつらの証言のまとめは以下の通り。
1,佐久間の証言「俺は鬼道と一緒にお湯に入ってた、俺も鬼道もタッチなんかしてない」
2,辺見の証言「タッチしたのは、佐久間、鬼道、源田の誰かだ」
3,鬼道の証言「源田はタッチしてないぞ」
4,寺門の証言「俺が大浴場に入ったら、佐久間、鬼道、源田はずっと浴槽にいた。俺はタッチしてない」
5,源田の証言「佐久間、辺見のどちらかがタッチした」
や、ややこしいな。
くそ。
誰だ嘘ついた奴!
誰がタッチしたかっていう先入観で考えずに、まず1人ずつ疑ってかかろう。
どうせ1人だけが嘘ついてて、あとは正直っていうルールだし。
佐久間の証言は・・・
「俺(佐久間自身)は鬼道と一緒にお湯に入ってた、俺も鬼道もタッチなんかしてない」
もし、これが嘘なら、次のようになる。
「俺(佐久間自身)か鬼道のどちらかが、タッチした」
佐久間か鬼道のどちらかが、タッチしたことになるのか・・・。
次に、鬼道クンの証言は・・・
「源田はタッチしてないぞ」
これなので。もしもこれが嘘だったら
「源田がタッチした」
こうなる。
ところが、これ、よく考えると「タッチしたヤツ以外の4人は、本当のことを言う」ルールなので。
鬼道クンが嘘をついてる=鬼道クンがタッチしたヤツ、と仮定して。
源田がタッチしていたならば。
なんと「鬼道クンはタッチしてない」ということとなる。矛盾している。
”タッチしたヤツ以外の4人は、本当のことを言う”だもんな。
このルールとしてタッチは”たった1人しか”していないので。
そう、この矛盾が出てきてしまう。2人がタッチしたわけではない。
よって、鬼道クンの「源田はタッチしてないぞ」は真実。
さて、ここで鬼道クンの証言により、源田はタッチしていない。
つまり源田は、”嘘をつかない”。
で、源田の証言は・・・
「佐久間、辺見のどちらかがタッチした」
なので、これもどちらかが真実としたら、佐久間か辺見がタッチしたとなる。
なるほど。
今のところ、【源田・鬼道クンはセーフ】
ん・・・?
ところが、寺門の証言。
「俺が大浴場に入ったら、佐久間、鬼道、源田はずっと浴槽にいた。俺はタッチしてない」
と言ってる。
これが嘘だったら「俺が大浴場に入ったら、佐久間、鬼道、源田はずっと浴槽にはいなかった。俺がタッチした」となる。寺門が嘘をついたら、こいつがタッチした奴となる。
ところが、さきほどの嘘をついてない源田の証言は、”佐久間、辺見のどちらかがタッチした”なので。
なので、寺門はタッチしていないこととなる。
嘘ではないことがわかる。
ということで、【源田・鬼道クン・寺門はセーフ】だろう。
さて、残るは辺見と佐久間である。
ここで整頓。
源田の証言でいくと、「佐久間、辺見のどちらかがタッチした」だ。
なるほどな、佐久間、辺見のどちらか、な。
ただ、佐久間が「俺は鬼道と一緒にお湯に入ってた、俺も鬼道もタッチなんかしてない」と証言している。
佐久間がタッチした可能性がでてくる。
しかし、寺門が「俺が大浴場に入ったら、佐久間、鬼道、源田はずっと浴槽にいた。俺はタッチしてない」と証言しているので、【佐久間もセーフ】だ。
・・・で、タッチしたヤツは、辺見の確率が高くなる。
寺門の証言では、「俺が大浴場に入ったら、佐久間、鬼道、源田はずっと浴槽にいた。俺はタッチしてない」なので、ここに辺見が入ってない。
だんだん怪しくなってきた辺見の証言。
その辺見の証言はこうだ。
「タッチしたのは、佐久間、鬼道、源田の誰かだ」
さあ、これが、本当なのか、嘘なのか。
さて・・・??
これが本当だとして。
仮に、佐久間がタッチしている場合。
寺門の証言である「俺が大浴場に入ったら、佐久間、鬼道、源田はずっと浴槽にいた。俺はタッチしてない」が整合性がなくなる。なので、やっぱり【佐久間はセーフ】
仮に、鬼道がタッチしている場合。
前述の寺門の証言と、あと佐久間の証言の「俺は鬼道と一緒にお湯に入ってた、俺も鬼道もタッチなんかしてない」と整合性がなくなる。【鬼道はセーフ】
源田がタッチしてる場合、鬼道クンの証言「源田はタッチしてないぞ」と、寺門の証言と矛盾する。
ということで、【源田はセーフ】
辺見の証言「タッチしたのは、佐久間、鬼道、源田の誰かだ」・・・これな。
これが”嘘”だ。
これで【辺見以外は、全員セーフ。嘘ついてない】って証明できてしまったので。
辺見が自動的に嘘をついてることになる。
すると、源田の証言「佐久間、辺見のどちらかがタッチした」が正しいとして、【佐久間はセーフ】なので、タッチしたのはやはり辺見となる
つまり、辺見。
こいつが俺の”明王”にタッチしてったバカっ面だ。
おうおうおう!おめーだな!
「辺見じゃねーか!!」
「うわ?!うっわ!!早い、何?今、考えるの1分かかってなかったな?」
湯船で手を叩いて笑う辺見。
その横、鬼道クンと佐久間にお湯がかかって、鬼道も佐久間も迷惑そうに手で跳ね湯をガードしながら和やかに笑ってる。
「やはり不動は考えながらプレイするスタイルだな。さすがは不動」
「不動!だが鬼道には敵わないぜ!な!鬼道」
・・・何、この茶番、もう俺、帰っていいですか。部屋に。
「おい不動。お前、タッチしたやつ殴るっつったよな・・・?」
寺門がゴツい顔で、気遣うように小さく首を傾げた。眉を潜めて心配そうだ。
「言ったぜ?そんで?」
辺見の表情が固まって、水面の湯の波とゆらめきが止まる。
でも、それでいて辺見はこちらを睨みつけて湯船を出てくる。
タオルを腰にまき俺の前で俺を見下げるように立った。
「よぉ、不動、いいぜ?俺を殴れよ」
「言ったな、てめぇ・・・」
辺見の背後の大浴場の湯がダバッと揺れた。
湯船をでて止めに入ろうとしたのは源田だった。
鬼道が無言で手で制す。
「おう、さっさと殴れば?フドーアキオクン?」
「・・・」
クソ辺見。
てめぇ、ハスに構えた目つきの悪りぃ、いいツラしやがって。
俺は自分の左手で右手の拳をさわる。右の拳の力を抜いて、右肩を大きく回す。
右肩全体を後ろに引いて、腰もひねる。
人、殴んのは久々だ。
後ろの大浴場を見渡す。無言の他のメンツ。
ちょっと前まで笑ってた佐久間の顔が曇ってる。源田はこちらをじっとみて視線で制止しようとしていた。
辺見が上から俺を見ている。
「おい不動、お前、真・帝国の時。散々、佐久間のこと殴ったんだってな」
「ハァ?」
源田の視線が痛い。
「辺見、・・・なンで知ってんだよ」
佐久間以外の全員が、無言で非難する目だった。
今さら、こんなところで、そんな話を。
「そんで、・・・そんで?フドークンはさ!俺のこと、殴れねーのかなぁ〜?」
辺見の顔には、いまだに「許さない」と堂々と書いてあった。
そりゃそうだ。
真・帝国学園の深海の中でやった蛮行は、許されたもんじゃない。
正気の沙汰じゃなかった、”悪かった”、”すみません”、・・・これがまかり通らないのはわかってる。
狂った精神、劣悪な環境、限界を超えてる肉体。
勝つことに熱病だった、なんて言い訳はしても、許されない。
「辺見、おめー。殴ってほしーわけ?」
”ドM”かよ。
俺は、そう吐き捨てた。
怒りを崩さない辺見と視線を外さずにいると、寺門が鬼道に「どうしてこんなゲームしたんだ」と困り顔で聞いている。その横で佐久間が複雑そうな顔をしてこちらを見ていた。
「辺見!」
鬼道の声が聞こえる。なんだ、といわんばかりに眉間にシワを寄せた辺見が振り返る。
「さぁ、辺見、”ごめんなさい”だ。不動に!」
「はい?!」
薄い紅茶色の辺見の目がこっちを見る。
湯あたりしたのかと思うくらい、顔が真っ赤になってる。
何これ、何だ、これ。
佐久間の声も続く。
「そうだぞ!辺見。”ごめんなさい”だぞ!」
源田も寺門も、しょうがない・・・という緊張感の抜けた顔で、湯船に肩まで沈んで行った。
「なんで?!」
1人、納得いかないのは辺見である。
「まぁ、辺見が〜?謝るなら〜?別ぃ、こんなゲーム許してやってもいーけど」
辺見の唇がわなわなと動く。こいつ、ぜってー謝る気ねぇだろ。
時間の無駄、まじで無駄。なんだよこいつら。まじ。
「はっ、バッカバカしい、俺、もう上がるわ」
辺見の横を通り過ぎる。
ため息ついて、熱くなってしまった自分の頬に触れた。頬があちぃ。
湯当たりとは違う熱さ。
真・帝国学園のことをいわれて、カッとなったのも事実だ。
ああ、何ヶ月たってんだよ、あれから。情けねぇ。あんなのもう過去で、俺らは世界を見てきたってのに。
「不動」
辺見が冷静に俺を呼び止めた。
「不動、転校当時、ハブにして悪かった」
「はぁ?」
ハブ?仲間外れのことか?
確かに色々やりづらいことはあったけど。
そんなの俺が佐久間や源田にしでかしたことや、逃亡した影山の下にいたこととか。
そういうの知ってるコイツらから見たら、俺をサッカー部の仲間にしたくないのは見てりゃわかる態度だったし。
「不動。正直俺は、佐久間や源田にやったこと、まだ信じられねぇし、マジでやったとしたら許せねぇし、この先も許す気はない。だから、お前のことを、俺が率先してハブったこと。お前も許さなくていい」
「・・・」
やっぱ謝らねぇな、コイツ。
ただ、さすが帝国学園の生徒。
言ってることはその辺の悪ガキの喧嘩口上だが、その態度の堂々たること。
やべぇ、ちょっとカッコイイじゃんって、笑いそうになった。
だめだ、ここで笑ったらだめだ。したら、マジでこいつカンカンに怒るはずだ。
あぶねぇ、・・・あっぶね。
「で、辺見、何がいいたいわけ?」
「ここ半年、お前とサッカーやってわかったことがある」
辺見は鬼道クンを一度もみた。全員シンとして見守っている。
「不動を司令塔として、俺たちは迎えたい」
湯気だけがのぼる浴場。
場の雰囲気が一気に砕けて柔らかくなる。
え、静か。何この沈黙と静けさ。
おいおいおい、嘘だろ、誰もが俺の返事を待ってる、この空気。
「いや・・・、それを言いたいだけで、お前らはこのゲームを・・・?」
緊張のなくなった源田がへらっと笑ってる。寺門も目を細めて口元が優しい。
えーっと、これは。
どう返したら、いいんだ。これ。
「不動、帝国学園を頼んだぞ」
ザバッと湯船から上がった鬼道の後を佐久間がついて歩いていく。源田と寺門が、湯船に残って、何か夕食のメニューの話をしている。食堂の。
え?なにこれ、お開き?終わりですか?
今の鬼道クンの声、鶴のヒトコエってやつ?
「あ、待って!鬼道さん〜〜」
辺見までが鬼道を追ってそのまま大浴場の出入り口に行ってしまう。
いや、え、俺は?
「おい、不動も上がれよ!鬼道が、ゲームの詫びにコーヒー牛乳おごってくれるって!」
もう服を着込んで顔だけ浴場に出した佐久間が声をかけてくる。
「つっ・・・」
舌打ちしながら、佐久間に呼び掛けた。
「おい、佐久間!フルーツ牛乳のがいいって鬼道クンに伝えろ!」
「ああ、わかったー。フルーツ牛乳なー」
湯船入ってたら、フルーツ牛乳、誰からとられてそうだ。
─────不動を司令塔として、俺たちは迎えたい
辺見の言葉。
その言葉に、俺は。
矢継ぎ早に奴が「嘘だけどな!」と続くとおもった。
しかし、その手の意地の悪い発言はなかった。
堂々たる、である。
これが帝国学園。
脱衣場で辺見が髪を乾かしていた。淡いピンクブラウンの肩につきそうなオールバック。
その髪が温風に揺れてる。
「・・・お前さぁー」
脱衣場には、俺と辺見しかいない。こちらをみてない辺見の声は俺に向けられたものだ。
「何」
「ここずっと、佐久間の膝、テーピングしてやってんだって?」
ああ、小さく相槌した。
右足に派手に巻かれているテーピングは、部活中に誰が見てもわかる。
世界大会の最終戦であのバカは相手チームに派手に転ばされた。
あのあと佐久間はもともと後遺症を患っていた右足の膝をこじらせてる。
「膝っつか、前十字靭帯、な。辺見もTVで見てただろ。決勝戦」
「・・・俺は、最初は贖罪かと思ってた」
ゴー・・・っとドライヤーの音が響く。
「別に贖罪とかじゃねーよ。あのテーピング方法。あれは世界大会ん時、チームについていたメディカルスタッフに教えてもらったんだよ。あれは1人だとうまくできねーらしいし」
「へぇ」
カチッとドライヤーが止められて、辺見が周囲を片付けている音がする。
大浴場の出入り口の扉が開いた。源田と寺門が浴場から戻ってきた。ほどなくして脱衣所には別の寮生も入ってきて、一礼をして通り過ぎていく。
「くやしいけどさ」
脱衣棚の中から、辺見は着替えた服を持って、肩に新しいタオルをかけていた。
「くやしいけどさ、不動。でも、世界みてきたんだろ?お前も」
薄い紅茶色の目がまっすぐこちらを睨んでくる。
「俺は。帝国学園での、不動の・・・お前のサッカーに期待してる」
「言うじゃん」
俺も頭をざっくり拭いて、辺見の後に続いた。
脱衣所からでて、涼しい談話室に向かう狭い廊下。
辺見が指差した先。
「あ、不動、お前のフルーツ牛乳・・・」
辺見のつぶやき通り、上機嫌な佐久間が鬼道の横でニコニコしながら俺のフルーツ牛乳を開栓しようとしていた。
俺のフルーツ牛乳!
怒鳴ろうとして、辺見が腕で制してきた。そのままハーフパンツのポケットからSuicaを出した。
自販機でフルーツ牛乳を選んで、無言でこっちに渡してきた。
辺見、お前いい奴じゃん。
辺見は自分の分のコーヒー牛乳を買って、その場で開栓した。
「佐久間のこと、あんまり怒らないでくれよ」
「ボンヤリしてるあいつが悪いんだよ・・・」
俺もフルーツ牛乳を開栓して、瓶のフチを指で拭った。
「あいつ、もう。そんなに長くサッカーできないだろ」
辺見の声で、時間が止まったかと思った。
なんで、そんなことを。今。
「だから、あんまり怒らないでくれよ。不動」
「・・・」
思考が深くぐるっとまわる。口は重い。
やっと、思いついて軽くため息まじりに辺見を嘲笑する。
「世界大会のメディカルスタッフが」
嘘つき。
「佐久間の足、ありゃ治るって、言ってたぜ」
嘘つきは。
「へぇ、そっか」
辺見が嬉しそうに笑った。わりぃな、辺見。
嘘つきは。
俺だ。