『光降る朝、マリンスノー』

ピクシブのブックサンタ2023参加作品となります
OperationVR-EXTRA #9(12月9日開催)で発売したbooth版同人誌の再録です
同人誌版のみに収録されている特典の「24不動+14佐久間」版はこちら
パスワードは「同人誌の奥付けページの数+連絡先のアドレスの冒頭3文字」です
(例/40ページで”sakuma@xx.xx.com”の場合、”40sak”というパスワードです)
当日はご購入、まことにありがとうございました
特典の「24不動+14佐久間」版は再録予定はありません

真・帝国学園で「勝ち」にこだわっている不動が佐久間のせいで海に落ちて、10年後の世界に飛ばされて24歳の佐久間にやたら甘やかされるだけの話です
ifの世界線なので、亡くなっているキャラもいます(ご寛大な心の方向けの作品です)
そのifの世界線から、元の世界線に戻る話です
降誕祭(クリスマス)ということで復活と再生がテーマの物語です


 真・帝国学園の学舎である大型潜水艦。艦は外洋潜航から豊後水道に入る。そのひときわ大きな潜水艦は浮上した後、水上航行していた。
 しばらく開閉していなかった甲板も、数日後には大きくドームが開閉するようになる。
 水上航行の際には、この潜水艦に乗っているメンバーやスタッフが気晴らしのために2人組で交互に艦橋や潜舵に出ることを許可されていた。もちろん数日後の甲板の開閉を待つ者もいたし、外の空気を楽しみたくても航行の艦橋に出ることに躊躇する者は、その艦橋に出るハッチの下で入ってくる新鮮な空気を楽しむ場合もあった。
 この学園の大人のスタッフによる水上航行の目視に怠りはない。
 ただし、スタッフの数も潤沢ではなく常に2人1組の目視監視体制のため、必要な時には水上レーダーで確認する時間帯があった。
 豊後水道に入ったタイミングで、閉鎖された練習場にいた不動は、佐久間の姿がないことに気づいた。
 近くにいた弥谷に聞いても、見ていないという。いや、数分前にはいたのだ。間違いはない。練習をサボタージュする人間ではないとは知っているが、逃亡されても困る。なんといってもこの艦はサッカーフィールドが甲板に設れるほどにバカ広く大きいのだ。妙なところに逃げ込まれでもしたらたまったものではない。
「弥谷、あいつ連れ戻せ」
「てめぇでいけよ」
 派手なピンクのヘアバンドをした弥谷が不動と対峙する。
「あ?」
 弥谷に表面上の脅しは通じない。
「てめぇがあいつ東京から攫ってきたんだろ」
 不動や弥谷、小鳥遊のようにこの学園の設立時に自ら志願して入学した者もいるが、そうでもない者もいた。弥谷が眉を眉間に寄せて、悪い口元で笑った。
「ケツモチ」
「どいつもこいつも」
 舌打ちした不動は練習場を出て行く途中に一度練習場の遠くから源田に声をかけられた。俺が行こうか、というニュアンスの声かけであったが、共謀されてもたまらないと不動は無視して練習場の扉を閉めた。
「めんどくせぇ・・・!」
 逡巡はない。佐久間の行きそうな所を考える。本人の自室か、もしくは食堂か。苛立ちながら廊下を走り、いくつかの部屋を確認した後である。不動は、佐久間が学園の制服の姿で奥の方へ走り去っていくのを見た。薄水色のバサリとした髪を見間違うわけがない。
「あの先」
 突き当たりの廊下の先は、潜水艦のマスト下にある発令所と影山のいる総帥室だ。
 佐久間の後を追っていくと、普段は自分たちが出入りしないその区画まで来た。厳密には、外洋潜航中に数回はこの区画に来たことはある。
 発令所の扉の向こう、スタッフたちが忙しそうに計器類に張り付いてた。ここは艦の心臓部である。その廊下をいく不動に気づくものはいなかった。
 総帥室は発令所の扉の向こうにある。廊下沿いという利便性を廃したその総帥室は、一般の区画とはことさら別格の扱いで、学生やスタッフと導線が絡むことは一切ない。影山に呼ばれたことがある不動は、その総帥室も把握していた。
 勝手知ったるは不動だけではない。佐久間も同様のようで、躊躇なく歩いていた。不動はその区画に入った佐久間を遠目に尾けていた。佐久間の立ち止まった部分は艦橋の真下である。はるか高い艦橋に上がる巨大な煙突のような円筒状のホールは今はまだ真っ暗だ。ここには、照明のない中、足下の真っ赤な非常灯だけが目立っていた。ようやく暗がりに目がなれてくると、真っ黒なアームシェルチェアが鎮座しているのがわかった。
「(これはあのおっさんの椅子だ)」
 真・帝国学園のこの潜水艦が水上航行になった際に、監視付きではあるが気晴らしとして艦橋の出入りを許可されていた。気晴らしの外の空気に触れるのは精神衛生のためであり、空の見えない艦内で練習している学生もこれを楽しみにしており、監視役のスタッフも水上航行中は水上レーダーでは補足できない目視観測を常時している。
 この艦橋に行くために影山はあの真っ黒なアームシェルチェアに鎮座し自動で上昇しているようであったが、スタッフや学生がこれを使うことは許されていなかった。
「(まじかよ)」
 この影山の玉座とは別に、小さなエレベーターがこの区画には設置されており、ここから艦橋に出るハッチへと進む。佐久間がこのエレベーターを使いそのまま音もなくエレベーターのかごが無音で上昇していく。不動はそのエレベーターの昇降ボタンを押した。だがあのかごが再度戻ってくるには時間がかかりすぎる。
 かごが上部に到着した後、扉に靴や服でもわざと挟んであったら開閉センサーに異常を感知されて下には戻ってこないんじゃないか?不動はこのホールの上を見た。思っていた通りだ、円筒状の上に繋がるホールには金属の足掛けタラップが設置されていた。
「エレベーター待つか、足掛けで上まで行くか・・・」
 エレベーターの表示を見る。まだ上から戻ってくる様子はない。影山の使っていたアームシェルチェアの動作方法も知らない。艦橋のハッチ部分まで、足掛けタラップで目測5メートル。慎重になる高さではあるが、登れない高さでない。カラビナのような気の利いた備品を探すのも手間で、そのまま不動は足掛けタラップを登って行った。
 タラップの最後、小さなエレベーターホールまで到着する。不動の顔に潮風があたった。
 ホール上部の艦橋につながるハッチではなく、マストの横の潜舵につながるハッチのうち、右のハッチが開けられていた。そこから潮風が入り込んでいた。不動は、佐久間がおそらく潜舵にいるだろうと考え、その場で息を潜めた。
 潜水艦の上部分、出っ張ったマストに対して左右に翼を広げたようにしているようにしているのが潜舵である。エレベーターを降りた場所に、潜舵に出られるハッチが左右にある。
「・・・」
 ただ、潜舵の上にいるとして、驚かしてはいけない。不動はエレベーターホールから声をかけるか迷ったが、安全性の確保で佐久間が戻ってくるのを待った。仮に潜舵ではなく艦橋にいるとしても危険な足場で驚かすのは得策ではない。
「(あいつ、おっさんが揃えた手駒だからな)」
 佐久間を東京の病院から攫う命令を下したのは影山。それを実行したのは不動。影山が不動に言葉少なに話したところ、佐久間は鬼道という者のかつてのチームメイトであり、今の鬼道の泣き所だそうだ。それを聞いて不動は鬼道という者の不整合な信頼に失笑した。失ってから気づくのは、何事も愚かしいと笑ったのだ。
 しばらく潮風に吹かれていたが、佐久間が戻る気配がない。嫌な予感がして、潜舵へ開いたハッチに近づく。重く厚いハッチ、マストから張り出した右の潜舵を見ると、水色の髪が見えた。その下へんには常緑のユニフォームの肩口にカーマインと純白のラインが冴えていた。
「(!)」
 潜舵の安全用の手で持てる位置にある長型タラップを持つこともなく、佐久間は潜舵にまるでベンチに腰掛けるように座っていた。両手こそ腰の横の潜舵にピタリとくっついてるが、足がプラっとしたままである。
 あぶねーだろ!飛び出そうになった声を喉に押し込んで、ハッチの金属をノックしようとした。これなら誰がきたかまではわからないはずだ。しかし佐久間はそのまま立ち上がり、潜舵の先を向いて一歩を進めた。不動はノックしてる時間も惜しく、相手のふらりとした腕を咄嗟にハッチから出て掴んでいた。
「お前!」
 驚いた顔だったのはお互い様だった。ここではじめて不動を視野に認識した佐久間は、手を掴まれてその無表情が少しだけ崩れた。
「佐久間!いいかげんにしろよ!お前だけだぞ、あの石で頭ん中おかしくなってんの!」
「不動」
 不動が佐久間の腕を引き寄せ、ハッチのほうに戻るかと思ったが、佐久間は何を思ったのかハッチとは逆の潜舵の先の方向に力を入れた。ここで落ちたら最悪だ、不動は歯を噛み締めて相手の腕を引いた。
「人がどこで何をしようと自由じゃないか!」
「それが奇行だっつってんだよ!こっから落ちて消えたいんだったら、あの鬼道とかいう奴に勝ってからにしろ!」
「落ちるわけないだろ、不動」
「頭おかしいヤツの言葉なんか信じられるか!」
「頭がおかしい?頭が狂ってるのはソッチだろ?」
 言い争いをしてる間に、不動はハッチから身を乗り出して、自分の両腕で佐久間の両腕を掴んだ。
「俺が何をしようと自由だ、不動には関係ない」
「お前がいなかったら、誰がこのチームのストライカーなんだよ!お前、ふざけるなよ!鬼道に復讐するんじゃねーのかよ!」
 その言葉を聞いて、佐久間は「復讐なんかじゃない」そう不愉快そうに笑い、信じられないほどの両腕の力で逆に不動を潜舵の上まで引き摺り出した。いっそうに強い洋上の風が不動の髪と佐久間の髪をゆらりと揺らした。
「じゃぁさ」
 潜舵の上に立つ佐久間が水平線をみた。
「ここから落ちて、俺がいなくなったなら」
「は?」
「不動はこの試合に勝てない。影山もこの試合に勝てない。鬼道はしでかした事を償えない」
「てめぇ!」
「負けた自分、裏切った自分。何十年たっても、何歳になっても、忘れても、お前たちは一生、海を見るたびに思い出す。こんな滑稽なことがあるかよ?能動的な自滅が、一番強いなんて」
 そうして、こう続けたのだ。
 どりょくしても、どりょくしても、なににもなれないじぶん、そんなのはすでにしんでいるのとおんなじことだ、と。
 海上の風が凪いだ。瀬戸内海独特の綺麗な緑がかった海の色が広がっていく。
 同じように淡い色の髪が、バサリと音をたてた。もう一度、不動は佐久間の腕を掴んだ。こんな大馬鹿だとは思わなかった。
「くだんねーこと言ってな・・・」
 混ぜっ返して会話のマウントを取ろうとしたが、あっという間だった。目の前の視界が斜めになったのかとおもった。違った、佐久間がゆっくりと後ろに倒れたのだ、それはゆっくりと。佐久間は不動の目の前で潜舵から落下したのだ。佐久間の腕を掴んで握り込んでいた不動は、潜舵の鋼鉄に胴体をしたたかにうちつけた。呼吸がしばらくできず、浅い呼吸を取り戻しつつ不動は大声を張った。
「・・・てめぇ、マジ、なにやって!」
「さっさと手を離せばいいだろう」
 佐久間は無表情のままだった。ハッと不動は今更に気づいた。
 その佐久間の目は、あのころの自分の目だった。信じていたもの全てが裏返っていく、広がっていた世界が収束していく、変わっていく両親の関係を受け入れることしかできなかった無力な立場。その頃の不動の目そのものだった。
「くそ!」
 ずるりと上半身が潜舵からはみ出す。通常の潜水艦のようにゴム状の吸音タイルがないこの狂逸した潜水艦。滑りやすく、とっかかりがないスローパー状の潜舵に全身でしがみつくしかなかった。佐久間の腕を掴んでいるほうの肘が抜けそうに軋んでいた。両腕で佐久間を掴んでもいいが、その方法は不動も潜舵から滑り落ちることが確定していた。
「離せよ!」
「うっせー!黙れ!」
 涼しいと思っていた風が感じられないくらい。全身の筋肉の悲鳴と精神的な緊張で、不動の体が燃えるように熱くなっていく。直射日光の紫外線もそれに拍車をかけた。汗ばんだ手に腹が立ち、舌打ちをしようにも不動にはもうその余裕もなかった。
「俺の、勝ちだ」
 想像しなかった佐久間の言葉と、汗でずるりと滑った手のひらの感触は同時だった。勝ち?誰の・・・?潜舵の先端近くにいた佐久間は、不動の目の前で海に沈んでいく、それは一瞬だった。波に浮かぶこともなく、本当に消えたのだ。考える前に不動は海に飛び込んでいた。飛び込み台からの着水の衝撃とは対比にならないほど、板に体を打ち付けたような水面の硬質を感じ、その衝撃だけは体感できた。
 佐久間の髪の色は海の中でも鮮明だった。ユニフォームの赤は暗色に見え、緑も青ずんでいたが、白い純白のラインと佐久間の淡い水色の髪だけが浮き出るように海の中にゆらめいていた。
 目を閉じていた佐久間がゆっくりと目をひらくと、不動の白い肌が海の青に映えて見えた。
 そうして、開いた唇から気泡をボコリと吐いて、口の形だけでこう示した。
「(くるってる)」
 簡単に2人の体が浮かないのは潜水艦のおこす水流のせいだ。通常の潜水艦とは違う、四角を組み合わせたような潜水艦の外観デザインは、側面に複雑な水の渦を作っていた。下へ下へと水を引き寄せる渦にあがらう手段はなかった。
 青い、青い、それだけの世界が2人をつつんだ。

 目覚めるとそこは涅槃ではなかった。白いベッドの中だった。不動はここが一体どこなのか理解ができず、目を薄くあけたまま、周囲を見回した。病院、かもしれない。あの頭のおかしい佐久間を助けようとして、佐久間を掴んだ手をすべらし、落水した佐久間を追って何も考えずに海に飛び込んだ、そこまでは覚えている。ただ、救助された記憶はない。
 ここは病院の個室というものかもしれない、もう少し観察を続ける。病院だったら館内放送や看護師の足音があるはず。そして薬臭いはず。それが今の不動が持っている経験則から考える予測だった。
 それにしては静かで、耳がキンとするほどに静寂だった。上半身を起こし、ナースコールのボタンを探そうとして凍りついた。自身の上半身が裸、裸なのである。不動自身は戦々恐々と自分の全身状態を確認した。最悪なことに全裸であった。病院で全裸が許されるわけがない。病院の個室というものを使ったことはないが、病院の個室であっても全裸ではおかしいのはさすがに混乱した頭でも判断できた。
「え、何、え?」
 困惑の声は壁や天井に吸い込まれた。慌ててベッド周りを確認し、自分の衣服を探す。海に落ちた時は練習着だった。それがどこにもない事がわかり、仕方なく自分が着れそうなものを探した。だが部屋には衣類の入ったクローゼットや棚はなく、不動は扉を開けようとノブを下げた。もしも扉を開けたら人がいたら堪らない。
 首だけ出すか、とノブを再度下げる。音が出ないように注意しドアを開けると、廊下は存外に明るい採光で今が昼間だと分かった。振り返ればベッドのあるこの部屋は緞帳のような分厚い遮光カーテンで窓が隠されていた。
 廊下に顔を出して耳を澄ませる。一般家庭、いや上質な部類のマンションではないかと思わせる壁紙や焦茶色の艶やかな床。しかし、誰かがいる気配はない。不動は自宅とは違う空気感のなか、主の居なそうなこのマンションの空気に安堵した。とにかく何か服を拝借して、玄関から逃げよう。
「服・・・」
 気の進まない家探しではあったが、仕方ない。3部屋あるうちの1つの部屋には鍵がかかってた。他はリビングやキッチンのような水回りで、おそらく鍵のかかっている部屋に衣類があるはずである。でなければセカンドハウスというのもありうるが、ただし今の不動はそのような存在は知らない。
 水回りにタオルくらいはあるだろう、と脱衣所に入り棚を1つ1つ確認するとタオル類一式、下着類はないかと見回すと洗濯機の上に丸い窓についた機械があった。真・帝国学園のクリーニングルームで見たことがある。衣類の乾燥機だ。
その中に衣類が入っていることに気付いてその丸型の扉を開けた。
 案の定、不動の着用していたユニフォーム一式といくつかのタオルがそこに入っている。
「やっぱな」
 手を伸ばしてその乾燥機の中の衣類を引き出す。ふわりとしているが、衣類の表面に熱くはなく乾燥機がストップして数時間経過している様子だった。自分の下着とユニフォームを出し、上のユニフォームの袖を通しかけたころ、このマンションの遠くの玄関で数回鍵の開く音がした。心臓が飛び跳ねて、あわてて不動は身を縮こめた。
 相手が誰だかわからない今、逃げる準備として外にでてもおかしくない格好になり、相手が廊下を通過したらその隙にでも玄関から飛び出ることにした。自分が履いていたスパイクは玄関にはないかもしれない。息を鎮めて深呼吸した。問題はない、靴くらいどうにかなる。
 トントンと廊下のフローリングを歩く音が聞こえた。足音で性別はわからなかったが、最初に不動が起きた寝室の扉が開く音がした。念のため、ベッドのシーツの下には枕やらで人型を模しておいた。あの部屋の暗さだったら瞬時には判別できまい。相手が、人の形を模した寝具の塊に触れるか、または掛布を剥ぐまでには時間がかかる。
 不動は脱衣所の扉を開けて玄関まで廊下を走った。その距離は長くない、玄関のドアの鍵の数個をあけて指で回転させて解除し、真っ黒な玄関ドアについた優美な形の金色のレバーハンドルを力一杯下に押し下げた。出れる!外に!ドアが開いて存外に冷たい外気に髪が揺れた。
「!!」
 ガツンッと、レバーハンドルを持つ両手に衝撃が走る。背筋を冷やして玄関を見ると、太い金属の棒状のドアガードがドアの開閉を封じていた。慌てて玄関を閉めて、ドアガードを解除しようとした時だ。
「不動!」
 背後から聞こえたその声に不動は思考を一瞬奪われた。
 その人の声は、佐久間のような、佐久間ではないような、動転した今の不動には知らない誰かのような声に聞こえた。
「大丈夫なのか?」
 振り返ると、その人物は自分より身長が20センチ以上大きそうな大人のシルエットだった。不動にとって、自分が大の苦手としている大人の男だった。
「は?」
 不動が見上げた視線の先、そこにいたのは佐久間、のような、何かだった。髪色、肌の色、目の色。すべてが似ているが、不動にとってはそれが佐久間の親類か何かであるという認識に近かった。すぐに焦げ茶色の眼帯の存在がそれが佐久間であるという確信に近づかせた。
 その確信の真偽は別として、不動にはどうでも良いことであり、手早く玄関のドアガードを開けるが、上から伸びてきた褐色の腕にユニフォームの首根っこを引っ張られた。
「お前、野良猫みたいだな」
「・・・るせ!」
 大人の脇腹を蹴り上げようとしたが、その大人は簡単に肘でガードし、不動からの距離をとった。洋画でしか見ないような両手を肘から上にあげ、両手を広げた。自分がいかに無害であるか、そして自身も不動を傷をつける意思はないという無言のジェスチャーである。
「早く行かねぇと!」
 玄関フロアを見た。案の定履いていたスパイクはなく、かわりに大人が履いていた革靴しかなかった。
「どこに行くんだ」
「あんたには関係ない」
 サイズの間尺の合わない革靴に舌打ちし、靴下のまま玄関の三和土のタイルを踏んだ。
「不動、聞け。今、もう真・帝国学園は存在しない」
「!」
 相手の言葉自体が理解できなかったわけではない。それは初めてみたマジックのように、不可思議な言葉にしか思えないのだ。レディネスができてない脳はそれを理解できない。
「あとひとつ、明日の朝にはお前は”向こう”に帰れる」
「何言ってんだよ、あんた、真・帝国は」
「あれは瀬戸内海に沈んだ。影山は行方を晦ます。実行犯のお前にすべての罪を被せて」
「罪?!」
 不動は瞬時に把握した。影山の計画が頓挫し、奴は潜水艦を自ら沈める。あんな無尽蔵に大きな潜水艦は証拠保全するにもサルベージできないし、犯人があがっていれば証拠保全のサルベージは必要性ないのだ。そうして真・帝国学園は消える。罪をなすりつけられた不動を残して。
「罪って」
「もっとも、刑法41条ではお前は通常は不可罰になるはずだった。ただ被害者の親にとって、お前の”勝ちたい”だけでおこした重大事件が問題だった。お前が何をしたのかは言えないが、不可罰になる立場の者が示談ではなく、審判に持ち込まれた。審判の意味がわかるか?」
「審判、・・・裁判か」
「本来は時間とプロセスが長くかかる。そこをねじ曲げてくる被害者の遺族がいたということだ」
「遺族?!」
「重大事件、遺族。ここまで言えばわかるよな?除名だ。少年サッカー協会から。端的に、お前は公式なサッカーの大会や世界大会には出られなくなった」
 大人はゆっくり話すが、不動の耳には早口のようにまくしたてた言葉に聞こえた。情報量が多すぎる。
「俺は、真・帝国学園のあのチームで、勝ってもっと上に行けるんじゃないのか」
「残念だったな」
 無言になる。不動は聞いた情報の整頓や、この状況の把握をする。自分の未来を残酷に告知され、普段は冴えている思考が鈍る。
「被害者って」
 不動は大人の目を上目遣いで見た。そこにはつい最近までよく見ていた橙色の大きな瞳があった。
 その人は、何かおかしそうに口の端で笑って肩の力を抜いた。
「相手チームの1人と源田だ。あの時は相手が悪かったな。親たちの喪に、実在するスケープゴートが必要だった。消えた影山ではなく、実在する裁きやすい不動明王が最適だった」
「敵チームの1人と源田の遺族が、俺を少年院にたたき込んだ。つまり、俺が、源田と相手チームの奴を殺した、と」
「そうだ。それがお前の未来だ」
「そんなバカなことが」
「勝ちを望みすぎて、あの試合をめちゃくちゃにしたお前の結果だ」
「意味わかんねぇ」
 不動には目の前の佐久間のような大人が、詐欺師か何かのように見えた。信じられる人物ではない。混乱させて、意志や行動の自由を制限することぐらい、不動も真・帝国学園のやりくちとしてよく知っていた。
「理解しがたいのであれば、自分にでも聞くんだな」
「?」
 大人の佐久間らしき人物が手元で電子機器をいじり、不動はそれがすぐ携帯電話だと気づいた。大人の佐久間から渡された携帯らしきものをみる。ボタンのないその電子ガジェットは電話のアイコンのマークしたに「不動明王」と表示されていた。画面に目を流すと、上のほうに表示されている日付は12月24日になっていた。
 まさか、海に落ちたあの日はまだ5月の終わりだったはずだ。皐月の日差しで汗ばんだ手が、佐久間を落下させたのだ。
『きこえてるかー?』
 携帯にスピーカーモードがあるのは驚くことでもなかったが、音声が不動が知っている携帯電話の音声より生々しくてびっくりした。なにより驚いたのは、その声が、自分の父親によく似ていたからだ。父親であるはずがない。あれは自分が幼い時に蒸発したのだから。無言のまま携帯電話のモニターを見ていた。そのうち、省エネなのか、バックライトの照度が下がる。
『さくまー、これホントに今そっちにチビだったころの俺いんの?』
「いる。びっくりして固まってるぞ、不動」
『さくま、お前、ちっこかった俺をビビらせてんじゃねーよ』
「うるさい。小さいお前が野良猫みたいな態度とるからだ」
 通話の向こうの不動が笑ってる。
『仕方ないだろ。俺だってガキんときの佐久間がこっちに来た時は、大変だったんだぜ?意識もねぇのに、ずぶ濡れだったらどうにか拭いてやって、ほんで目覚めたらこっち見て大悲鳴だぜ?チームメイトには警察に通報されそうになるし』
「普段の素行の問題じゃないのか、女連れ込んでるからだろう」
『あー、その話は前回した。で、きいてっか?アキオクンよぉ!』
 名前を呼ばれて携帯を持つ不動は、生返事をした。
 通話の向こうは、まぎれもなく大人になった不動明王だった。これは直感でわかる。自分の声、父親の声、トーンとリズムと話の畳み掛けと切り返しの速度。
「なるべくわかりやすく話せ」
『なるほどな、ほんとにチビだった頃の俺だな。一ミリも可愛くねぇ。マジそのまんまだ。録画の音声かとおもったぜ。・・・じゃ、時系列で話す。2週間前の12月9日の土曜日、試合から帰ってきたらチビ助だった時の佐久間が俺の部屋の玄関で倒れてた。ずぶ濡れでな』
「本当か」
『黙って、聞け。チビ助だった佐久間は俺のことを不動明王だとは信じていなかったみたいだけどな。奴は自分たちが潜水艦のあの張り出しから落ちたって話をしていた。そうして、突然ここに来た、と。っつか、こんな話したって、意味わかんねぇって感じだよな。ところで、水面に浮上してる潜水艦から落ちたらどうなると思う?』
「潜水艦の表面の形状が複雑なほど、水流が渦巻く。落下したら、その渦のしたに引き込まれる」
『見てきたように言うな、お前』
「見てきたからな」
 一呼吸おいて、通話の向こうの大人の不動が沈んだトーンで話を再開した。
 タバコの煙を薄く吐く息づかいが聞こえた。
『で、お前たちは三途の川のかわりに、10年あとに飛ばされたわけだ』
「10年」
『次の日の朝、あのちび助の佐久間は忽然と姿を消していた。跡形もなくだ。着てた服もすべて残して、本当にもぬけの殻になっていた。元々着ていたユニフォームも消えていた。最初から何もなかったように、だ。そして、2週間後の今日、お前が東京の佐久間の家にずぶ濡れで現れたわけ。おおかた大人の佐久間の話をろくにお前が聞かないから、佐久間が困って今こうやって大人の俺と、チビの俺を会話させてる超次元なんじゃないか?っていうのが今、ここ』
「1つ聞きたいことがあるんだが」
『何だ』
「今のお前は、何をしている大人なんだ」
 通話の向こうの大人の不動が、言っていいのかわからんがと前置きをした。
『ドイツでサッカーをしてる。日本では選手登録抹消されてるけど、ドイツ国内だけのサッカー協会内のシステムで登録してる。どこのチームかはいえねぇけど』
「・・・に、行ったのか?」
『何?』
「俺は裁判のあと、少年院行ったのか?」
『行ってる、だから日本では選手登録抹消されたって言っただろ?真・帝国学園のあの試合までは選手登録されてた。だけどあの試合で全部人生にケチがついたな。中坊から世界大会には出られなくなったし、スネ傷を嫌うエージェントの奴らもいるし』
「現況はわかった。で、お前はどうしてほしいんだ?俺が真・帝国学園に戻ったら、お前は俺にどうしてほしいんだ?」
『お前は話が早いな、その頭で考えろ、とは言いたいが。その頭で考えてエイリア石で実行した結果が、アレだからな。言葉で伝えてもわかんねーだろーし、そこはサクマクンに任せるわ』
「待て、お前」
『2週間前にきたチビ助のサクマクンには、もう俺から助言してある。だからサクマクンはそこでピンピンしてんじゃねーの?おい、アキオクン、お前サクマクンのこと困らせんなよ。あいつバカだから何するかわかんねぇし。じゃ、俺、眠いし』
「おい、待て!」
 通話のマークが赤色になり、通話終了の文字が表示された。
 呆然と携帯を片手に不動は廊下の壁を見ていた。
「おい不動、通話おわったらちょっと来い」
 廊下の先のリビングから大人の佐久間の声がした。視線を上げて携帯だけでも返しにリビングに向かった。正直なところ、不動は情報の整頓はできたものの、針路をどうとるかまではノープラン状態であった。10年後の世界なんか知らなすぎるし、明日の朝には元の真・帝国学園に戻るとしても、自分がその後、少年院に入るのだけは避けたかった。
 選手になってのし上がる夢を自分で引き千切るわけにはいかなかったのだ。
「携帯」
 朴訥に不動はソファにいる佐久間に携帯を返した。見ると、中学生のサイズの衣服がずらりと並びソファで機嫌の良い佐久間の目が笑っていた。
「みろ!」
 怜悧な表情の中にも明るさがあり、不動が今まで見てきた沈んだ顔の佐久間や、無表情の佐久間、痛みに耐えかねて歯を食いしばる佐久間とはまるで別人に見えた。
「で?」
「で?じゃない、早くユニフォームからさっさとこっちの服に着替えろ。好きそうなの買ってきた」
「・・・どれも好きじゃない、何だこの堅物服」
「そうだよなぁ、お前あの頃ストリートバスケみたいな服きてたもんな。サッカーなのに」
「アンタ、やっぱ佐久間そのものだな」
 佐久間が先刻まで外出していたのは、これらの服を買い揃えるためだとわかった不動は、一番無難そうな灰色のジャージの上下と、左胸に小さく赤い動物の刺繍が入った黒いポロシャツを選んだ。ユニフォームを脱いで床に落としていく。
「洗濯、わるかった」
「別にいい。潮は衣類を痛ませるから、ああいう場合は早く洗った方がいい」
「くわしいな」
「と、2週間前に大人の不動から聞いた」
「いや、大人の俺、意外とマメだな」
 年齢は違っても、最近まで一緒にいた仲であるし、違和感はあるが旧来の仲のような空気がそこにはあった。不動は首元にいつもつけていたあの紫色の石がないことに気づいた。首元をさわっても石を繋いでいた紐がない。
「つけてなかったぞ」
 その佐久間の声に不動は落胆するように、しかしどこか安心するようにため息をついた。
「海の中かもしれねぇ」
「あんなものは沈んだほうがいい」
 無難な服を着込んで、他の服はまとめて佐久間に押し返した。佐久間はその服たちを真っ赤な紙袋にざっくり入れていった。12月のクリスマスセールらしい派手な紙袋だった。
「あの通話の向こうの大人の俺は、佐久間に助言したらしいけど。アンタは俺に何か助言するわけ?」
「してほしいのか?」
「・・・少年院行きは避けたい」
「正直だな!」
 不動の直球に吹き出した佐久間は口元を押さえながら時計を見た。そうして不動に視線をうつした。
「お前は前情報で作戦を組み立てるタイプではなく、流れをみて臨機応変に自分の流れを組み立てるタイプだと知っている。だから、俺がお前に前情報を与えたところで、お前は聞かないだろう」
「当たり前だ、流れというものは生き物だ」
「だから明日の朝にお前が消えるまで、俺はお前を」
「何だよ」
 佐久間はソファの自分の横に不動を座らせて、自分の背中をかがめて不動と視線の高さを合わせた。極度に顔が近くて、不動が無意識に背が後ろに反る。
「いいか?俺はお前を甘やかすぞ!!不動」
「は?!何だそりゃ!それでいいのかよ!」
「助言はしない、お前が何かを持ち帰れば、それがお前の答えだ」
「いや、いやいやいや?”甘やかす”っていってからの、”助言はしないって”結構厳しくないか?!」
 携帯をいじりはじめた佐久間が話題を転換してきた。
「何を食べたいんだ?何でも食わせるが。もう13時をすぎている」
「後から代金請求すんなよ。金もってねぇし」
「インドカレーがいいか?」
「インドカレー?!初対面の2人が食うもんじゃねーし、アンタ、今。俺に何を食べるか聞いたよな?」
「初対面でもないだろ。ナンとライスどっちがいい?」
 携帯の大きな画面に写っているのは、チーズナンとサフランライスだった。ナンとライスとは微妙にズレている。
「いや、アンタ、そんな若干天然だったっけ?!」
「う〜ん、真・帝国時代はあんまり覚えてないけど。エイリア石の影響が、俺だけ不安定だったって聞くし」
「とにかくインドカレーは、無し!」
「焼肉行くか。今日日曜だから、店によっては昼からやってる」
「・・・行く」
「オンラインで予約しとく」
 佐久間がタップしている携帯の画面を不動は物珍しそうに横目で見た。
「信頼してくれてるのか。不動」
「半分くらい信用はしてやる」
 そう言いながら、テーブルの下、フローリングの白いラグの上に両手で抱えるくらいの箱があることに気づいた。
 真新しい靴の箱だろう。まさか佐久間がこの時期の自分の靴のサイズを把握しているとは思っておらず、無言でテーブルの下から両手で箱を引き寄せた。その箱に書かれているサイズ表記に不動は真顔になった。
「どうしてだ」
「不動、靴がないと外に出られないだろう」
「そうじゃねぇ、なんでアンタが俺の靴のサイズ知ってんだ」
「買いに行く前に、ドイツにいる不動にLINEして聞いた」
「大人の佐久間と大人の不動は・・・仲良いのか」
「まぁ、そこそこ。といっても、あいつは日本では公式試合でサッカーできないのもあって、日本にはほとんど帰ってこないし、実家もない。根無草だ」
「・・・」
 俺らしいな。そう不動は視線を下げた。開封してない箱の中の真新しい靴。服も靴も、親から買い与えられたのは随分前の話だ。
 真・帝国学園の試合で、何があったかは知らないがフィールドで被害者を出して審判まで行ったという話。大人の佐久間と不動が嘘を言っているとは思えなかった。勝つことだけを呪詛のように母親は囁いた。我が子が勝ち組に成り上がることを望み。その結末が触法。あの母親が田舎の陰気な家でずっと待っているとは思えなかった。父親のように蒸発したのか、それとも。
 靴の箱を開ける。見知ったマークの入った焦げ茶色のスニーカーだった。
「この靴、たけーんじゃねぇの。金なんかないぜ」
「じゃぁもっと、申し訳ない顔をしろ」
 困惑する不動の髪をグリグリとなでて目を細めて佐久間が笑った。
「いいなぁ、この頃の不動。大人のことが苦手で甘えられない感じが」
「なんだよそれ」
 不動はその焦げ茶色のスニーカーをもって玄関に行った。そのまま靴を三和土のタイルの上に置いて不動が戻ってくる。この時、玄関から不動が出ていくことを半分は覚悟していた佐久間だったが、戻ってきた不動をみて口の片端を上げ「それに素直だ」と小さく笑った。
「アンタが焼肉行くって言ったからだ」
「どれだけ食べる気なんだ」
 12月下旬の東京は日差しは暖かいが空気が冷たい。風が吹けばなおのこと。佐久間は不動にもう少し着込ませ、2人でまだ暖かな太陽の下での外出となった。不動が途中で逃げるのではないかと佐久間はここでも心配だったが、こんな何も縁のない場所では、寄るべなき身である。まだ佐久間の元にいたほうが安全であると不動は判断したのだろう。
「このクソでかい建物は?」
「ああ、これは」
 青い空のもとに、銀色の複雑な形状の建物があった。それはつくりや大きさ的にはスタジアムのようであったが、今まで不動が見知ってきたものとはまた別格の未来感であった。
「オリンピックがあったんだ」
「オリンピック?東京で?まさか」
「今年な。そのために建て替えられた。30年前にJリーグ開幕戦をしたあの国立競技場は、今はもう存在しないぞ」
 不動は銀色の競技場を見上げて、モカ色のコートのポケットに手をいれてぼんやりと相槌を打った。現実感がなく、ここが10年後の未来といっても、もともと縁のなかった東京である。何がどう変化したのかわからなかった。ただ、前を歩く水色の髪の男だけはあの佐久間の10年後だと認識できる。佐久間にお前の頭は目立つから、とむりやり被らされた黒いニット帽が頭の肌にチクチクした。
「不動」
 顔を上げると、自販機の前にいた佐久間が無遠慮にココアを放り投げてきた。慌ててうけとり、熱をもったままのココアをコートのポケットにねじ入れた。
「この10年、何があった?」
 ココアのプルタブを開けて、不動は横目に佐久間を見上げた。自販機で小さな缶のブラックコーヒーを選んでいる最中だった。
「・・・真・帝国学園との試合で被害者を出した帝国のサッカー部は廃部になったな。あと影山は南の島で客死した。お前が知っているか知らないが、吉良星二郎が昨年獄死した。真・帝国学園の元締めは吉良星二郎だ。あの学校は影山のものではなく、エイリアの系列だった、あとは」
「ああ、そんくらいでいい。そうじゃなくて、アンタはって質問」
「俺のことか」
「帝国のサッカー部は廃部だろ?」
「退部して、外部のプロユースに所属して高校の終わりにはプロチームの話もあったけど、断った。お前と同じリーグにいたかったからな。今は親の会社の子会社に出向している修行の身だ。まさか不動がドイツに飛ぶとは思わなかったけど」
「本音は?」
「・・・」
 佐久間は”鋭いな”とブラックコーヒーを傾けながら静かにフッと笑った。
「できるならば、過去をやり直したい。でもそれはできないから、1つ1つ、熟考して後悔のない選択をすることにした。あいつもそうなんだと思う。・・・こんな話はつまらないだろう。それより、お前の住んでる愛媛の話をしてくれないか?」
「なんだよ急に」
「あいつ、不動のやつ、地元の話は滅多にしてくれないんだ」
「そんなのは」
 当たり前だろ?そう言い切って、「よく似てる、本人だな」と佐久間は不動の手をとって予約済みの店に入っていった。不動にとっては気前のいい価格のランチであったが、このあたりではお得なほうらしい。
 食べ放題でもよかったのだが、2人の場合両人が食べ放題である必要があり、さすがにそこまでの量をこなせない佐久間は、不動用にはランチコースに肉を追加することにした。
「アンタはもっと食べないのかよ」
「いや、これは不動用の肉皿だから気にしなくていい。ほんと、お前はもっとこの時期から食べた方がいい。十分育ったがあと3センチはドイツではほしい」
 もっと際限なく頼んでいいのに、そう佐久間は笑いながら、心の中で実は不動は真・帝国学園に入るまで欠食気味だったのではないかと推測した。その事は言わずにいた。
 店を出て、佐久間のマンションに帰る途中、遠目に賑やかな広場を見ることとなる。
 東京のあちこちで行われているクリスマスマーケットだった。

 不動にとってクリスマスの日が待ち遠しかったというのは随分前の記憶だった。ここ数年では地元のグループとつるんで遊ぶ日というような感覚で、当然のことながら家族で過ごす日という感覚はまるでない。それでもまだ家族の機能が正常に動いていた頃は、ツリー、ケーキ、プレゼント、そんな紋切り型のお祝いの日を楽しみにしていたような記憶がある。やはり随分前である。
「何か欲しいものでもあるのか?」
 クリスマスマーケットの広場を見ていた不動に、佐久間が聞くがブラックジョークかと思った不動は鼻で笑って元来た道に帰路を進めた。
「欲しいもの、本当にないのか?」
「あるわけねーだろ」
「なら、ケーキでもいるか?」
「いらねぇ」
「懐かしいな、この擦れた感じの不動」
「何だよそれ」
 悪態をつかれても佐久間の目は笑っていた。この頃の不動にとって、このような大人の含み笑いは苦手の部類であり、見下されている態度ともとれた。大人たちに苛つく気持ちはずっと前からあった。真・帝国学園に入る前から、地元のグループに入る前から、父親が父親という立場を放棄した日から。
「え!」
 不動は外苑の森の向こうに大きな灰色のような色の塔を見た。
「何だあれ」
 東京に疎くても、東京タワーの形状くらいは既知である。しかしその灰色の塔は見たことのないような形で空を突き刺すように黒い森の向こうに映えていた。
「ああ」
 佐久間は不動が何に驚いたか気付く。
「スカイツリーだ。ここから離れた場所に建っているが、大きいからこんな所からでも見えるんだ」
「いつ建ったんだ」
「完成して9年くらい前かな。もう見慣れたが」
「未来じゃん」
「今さら実感とはな」
「あと、未来の俺と佐久間が割と仲がいいのにビビった」
「・・・」
 歩道には本格的な冬の到来を告げる枯れ葉が風に押されていた。
「色々あったけどな。俺にしたことはともかく、源田にしたことは今でも許さないが」
「俺さ」
 不動はコートのポケットに手で片目をこすってぼんやり前を見て歩いていた。
「結局、真・帝国学園で頑張ったって全部悪い方に行ったってことじゃね?」
「それはお前がどんな手段使っても勝とうっていう頭があるからだろうな」
 結局、不動は真・帝国学園では雷門中との試合に勝てなかった。
 真・帝国学園を率いていた影山も蒸発。
「そうだ、鬼道ってやつは?」
 流れで聞いた不動であったが、佐久間の表情が凍りついたことで彼の地雷を踏み抜いたことを瞬時に理解した。
「鬼道は」
 真・帝国学園に来て洗脳のために引き合いに出したのが、あの時の佐久間が心に持っていた鬼道という存在だ。
 聞いたことを後悔して不動は黙って歩いていた。
「中学で出た世界大会の時、影山によく似た人物をかばって鬼道は亡くなったんだ」
 そうゆっくり話す佐久間の顔を不動は見ることができなかった。源田の話の時もそうだった。佐久間はすべて過去として話す。今の自分と、14歳だった頃の自分を切り離しているような、そんな他人事のエピソードとして。
「雷門中のサッカー部は廃部にはならなかったんだ。だから鬼道はずっと雷門中と系列の高校でサッカーを続ける予定だった。周囲から何といわれようと。バッシングが強すぎて、サッカーを辞めるという選択肢も鬼道の中でも奪われたんだと思う。あの頃、俺も心身ともに状態がよくなくて東京じゃないところに転地療法として隔離されてたし」
「もし、鬼道ってやつが、帝国学園から雷門中に転校しなかったら」
「そうだ、チキン買いに行くか?」
「いやまて、待て待て待て!このタイミングでチキン?お前ほんと佐久間だな!肉くったばっかじゃねーか」
「今日の焼肉で鶏肉は食べてない」
「チキンの話は置いとけよ!今、俺、真面目な話してんの!」
 視線の20センチ下から食いつくように苛立って話してくる不動を見て、佐久間は驚いたように何回か瞬きした。
「あのな、鬼道ってやつが、帝国学園から雷門中に転校しなかったら、こんな結果にはならなかったんじゃないかって話してんの」
「ああ、でも不動」
 冬の乾いた風に佐久間の長く伸びた白い髪が揺れた。気のせいではなかった。その髪は本当に白かったのだ。
「転校は鬼道の望みだったし」
「望み」
「お前が真・帝国学園で勝ちだけを望んだのと同じなんだ」
「でも結果が」
 こんなメチャクチャな結果になるとしたら。誰もその望みは捨てるだろう。
 結局のところ、努力しても努力しても、望むものになれない自分しかなく、そんなものはすでに死んでいるのと同義だった。
「夕飯どうする?」
「食ってすぐ次の飯の話すんな、いや、ちょっと待てよ、アンタ、今、大事な話してるとこだろ!」
「それはそうだけど、俺は料理しないから」
「しないんじゃなくて、できないって顔に書いてあんぞ。・・・なんか適当でいいんじゃねぇの、夕飯」
「じゃ、不動は適当に夕飯は無しということで。俺は適当にチキンとかピザ食べたいな」
「なんなの?!アンタ、10も下の奴に対する態度かよ!」
「いや。いつもの、不動に対する態度」
「なんなんだよ、ああ・・・」
 真面目な話をしては逸させてを繰り返して次第に不動は、今の佐久間がこの話をこの10年で他の人に何回もしているであろうことを察した。過去を完結した物語にしてしまって、そこには進展性がない。結論は出ているので、聞いた者は感想しかもてない。
「仲いいじゃんよ」
「ん?何がだ?」
「10年後の”不動”と、”佐久間”、が」
「そうだよな」
 真・帝国学園の後、別々の道をいくことになった不動と佐久間が連絡をとりあったきっかけは、佐久間が世界大会のあとに、愛媛の少年院にいる不動にむけて手紙を書いたからだ。内容は端的で、影山に似た人物がライオコット島で客死した内容だった。鬼道のことは不動には直接は関係がないので伏せておいていた。
 ライオコット島から日本に帰ってきた当時の佐久間は、しばらくしてから世界大会開催時の日本で「大会期間中、少年サッカーの選手が交通事故にあった」というニュースが連日報道されていたことを知る。ニュースでは、サッカーの管理体制が問題視されていたこと、少年サッカー協会から哀悼の意があったことなどが報道されていたらしい。
 その大ニュースのため世間体上、鬼道家は大きな葬儀を出さないわけにはいかなかった。帝国学園の廃部したサッカー部のメンバーたちも鬼道の喪に服す中、結局、世間は誰も影山には触れなかったのである。
 佐久間にとって影山は指導をする指導者であったが、鬼道にとっては愛憎が混在する対象であったのだろう。佐久間は今でもそう考えている。理解できない深淵の向こうにいる鬼道。その鬼道が時に憎み、時に慕っていた影山という人物について、世界大会後の佐久間は消化できず、誰かにこの話をしたかったのかもしれない。ただ、最初は影山の訃報を不動に伝えたかっただけだった。いろいろありはしたが、不動も影山と接点をもった1人だったのだ。
 タブー視していた影山という問題、誰もが佐久間に配慮し話題には出さない真・帝国学園の時の話を、佐久間は誰かとしたのかったのかもしれない。それはとても無意識下で。
 時間が経過した後、少年院の不動から返信の封書を佐久間は受け取った。
 中等部の3年生になる頃である。親から渡された封書は開封されていた。あらゆる訓戒を親が述べ、佐久間はこの仕打ちに憤ったが、大人になってから考えたら至極当然な流れである。何せ自分たちの愛らしい息子は、手紙の送り主に一度誘拐されているのだから。
「仲、いいんだぜ?」
 訝しげに見てくる不動の視線から目をそらさずに佐久間が柔らかく微笑んだ。
 あの手紙から、数年ラリーが続き、やがて不動は高校には通わず独自で高卒認定試験をとった。高校三年生の冬、佐久間は自分の足で愛媛の不動に会いに行った。周囲からはストックホルム症候群の一種だと心配する者もいた。愛媛で会った不動は、出会って一瞬でわからないほど、背も髪も伸びていた。伸びていたのはお互い様だが、数年あわない間に、もうあの真・帝国学園の頃の少年の繊細さは消え飛んでいた。そうして不動は、ドイツに渡ってサッカーをやり直すことを佐久間に告白したのだ。

 自宅のマンション付近にいくつかあるコンビニの中で、一番マンションに近い店舗のコンビニに入り、料理をしない佐久間が適当な食べ物をチョイスしてカゴに入れていく。
「このかごに入るサイズなら、好きなもの選んでいい」
「何でも?」
「何でも・・・いや、俺が支払うからって、いや、待て、不動。そのスケベな本を持ってくるのはやめろ。飲食の話をしてるんだ」
「あっちに持ってけるかとおもって」
「お前の頭、聡明と狡猾が同居しているのがすごいよ」
 酒のいくつかを不動がカゴに入れるのを、佐久間は黙っていた。不動の素行の悪さは知っている。真・帝国学園に入る前、ふだつきの悪だったような話を誰かから聞いたことがある。いまさら飲酒や喫煙をとがめたところで素行が良好になるわけでもない。
 コンビニで支払いを終え、自宅に帰ってきた。常時稼働のエアコンの暖かさがありがたい。2人はリビングに戻って、クリスマス特番の前哨戦のようなTV番組を見ていた。
「なぁ、普通、こういうのって」
「こういうの?」
「こういう、タイムスリップ物?みたいな感じってさ、映画とかだったら、未来は教えないとか、逆にどんどん連れ出して未来を見せるとか、そういう感じなんじゃね?」
「ああ、映画とか小説の話か」
「アンタはさ、俺と日常を過ごすだけでいいのか?今日1日」
「え?!特別なことをしたほうがいいのか?!」
 卓上に出してある酒の缶がすでに結露している。
「そういう意味じゃねぇよ!なんだよ、そのなんかドキドキした顔!腹立つな!」
 歳にしてはその童顔さと、長い髪が相まって、形容しがたい独特な雰囲気の佐久間を改めて見て不動は焦った。真・帝国学園の佐久間はエイリア石による洗脳のコントロールが彼だけ不安定で、スタッフたちの手を焼いていた。深度が深すぎたり、あるいはまったく洗脳されてない日があったり。迷いがあるもの、葛藤が複雑なもの、望みが二律背反なもの、そういう場合、エイリア石による洗脳のコントロールは調整が難しいのだという。
 不動の望みは明確だったのでエイリア石にはすぐになじんだ。なじんだというか、自身でコントロールできていた感覚さえあった。反して、毎日性格の違う二面性のような佐久間は不動にとって御し難い面倒なチームメイトだった。
「酒、俺のおごり」
 不動は卓上の酒を指差した。
「お前、金もってないって言ってたじゃないか」
「今もってねぇけど、ドイツにいる不動にあとで請求してくれ」
「お前、ほんとに不動だな」
 佐久間がグラスを用意して酒を注ぎ始めた。すぐにまた離席して、グラスをもう1つ用意し、卓上に載せた。そこに同じ酒を同じように注いだ。
「・・・大人のお前と、次に飲むのは、いつかドイツから帰ってきた時になるな」
 グラスに手をつけるか迷う不動を見ながら、それが肴だという風情で佐久間がグラスを一気に煽った。
 そうしてソファにもたれかかって、ゆっくり目を閉じた。

 ドイツのシーズンオフ、本当に不動が日本へ帰ってきた。
「いや、お前バカじゃないの?サクマクン?普通、未成年に酒だすか?普通、その未成年の俺をほったからして朝までソファで熟睡するか?!あの後、あの時俺がどんだけ焦ったのかわかんねーの?」
「仕方なかっただろ?眠かったし、前日の土曜はすごい残業だったし、焼肉食べてる時からアルコールすごく飲んでたし」
 空港から開口一番これである。佐久間がそのまま空港の駐車場を案内する。
「まぁいいや、あのあと大変だったけどな、あの時の大人の俺もお前も、ガキの頃の俺に何のアドバイスもしねーし、そのまま翌朝までお前は起きないし、そんなマジであのままノーアドバイスで真・帝国学園まで戻されるしで」
「まぁ、いいじゃないか。源田も鬼道もピンピンしてるし、俺も帝国学園のコーチだし、お前にいたっては少年院にいかなかったどころか、映えある帝国学園に途中編入できたわけだし」
「そうだけどよ、あの時の俺に対するお前の仕打ちがひでえって話してんの」
「焼肉、腹一杯食わしてやったのに?」
「お前はなんで、食い物の話とすり替えるんだよ、あのな、俺はチビ助の佐久間に4回目の技をつかったらどうなるかってのをそれは丁寧に教えたんだぞ?この俺がだぞ?」
「そうだったか?」
 駐車場に2人の足音が響く。
「あのあと、お前、真・帝国学園のキャプテンとして、あの大会で唯一、オフサイドトラップを使ったりするクリーンで頭脳的な司令塔としてチームを率いたとして高く評価されて、公式戦で勝ちゼロのキャプテンなのに、あの年の世界大会に出れただろう?」
「勝ちゼロは余計だぜ」
「本当じゃないか。あれはあの時の不動が、目先の勝利だけでなく、自分の頭で自分と周囲の後先を考えるきっかけになったんじゃないのか」
「そりゃ俺が合理主義だったからだよ。頭の冴えたガキじゃなかったら同じ結果たどってたぜ?あん時のチビ助の佐久間は聞き分けなくてこっちは散々手こずったからな」
 車内はまだ冷房の冷たさが残っていた。ここから地上階に出れば、また暑い日差しが車内を焼くだろう。
「なんだそれ、今の俺が詫びればいいのか?それで満足か?」
「何それ?・・・特別になんかしてくれんの?佐久間」
 エンジンをかける。
 地下の立体駐車場に、スキール音が響いた。
「しょうがないな、今から、目的地を変える」
「・・・何?昼間っからちょっとスケベなトコ?」
 ニヤニヤ笑いながら不動が地上階の眩しさにさらに目を細めた。
 運転している佐久間が失笑して赤信号で一旦ストップする。

「このまま、愛媛の海を見にいく」

 シグナル。
 赤信号だった道が、この先、青信号になる。

同人誌版のみに収録されている特典の「24不動+14佐久間」版はこちら
パスワードは「同人誌の奥付けページの数+連絡先のアドレスの冒頭3文字」です
(例/40ページで”sakuma@xx.xx.com”の場合、”40sak”というパスワードです)
内容は、24歳の不動のところにタイムスリップしてきた14歳の佐久間が、24歳の不動を不動だと思えなくて、ずっと「触るなっ、誘拐犯!」って呼んでるような話です

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