TOKYO 1週間 Today

 柔軟剤を間違えて買ってきた。
 仕方なく使っていると、この部屋の持ち主の佐久間は柔軟剤の香りが変わったことに全く気づいていない。俺は気になる。この香りじゃない。無香料がいい。ドラッグストアに買い直しにいく、照明のキツイところは女物や化粧品コーナー、照明の普通のところは日用品コーナーだ。柔軟剤はその片隅。
 日用品コーナーに入る前、洗髪剤の棚を通ると、棚のすみっこに「寝癖なおし」のスプレーが。目で確認して、通り過ぎようとして、足を止めた。
 そう、あれは火曜日のことだ。

 火曜日。
「鬼道に、最近時間に余裕がないのか?と心配された」
「時間?」
 帰宅して洗面所からなかなか出てこないと思ったら、佐久間は半端に跳ねた髪の毛とヘアブラシを持って神妙な顔でそこから出てきた。
「髪くらい梳かしていくべきだろうか」
「いや、次郎ちゃん、髪、梳かしてないの?」
 無言でうなづいて、水色がかった白い髪とブラシを交互に見ている。まじ?この人、髪、素なの?手グシでまとめてる俺も俺だが(いや、まとまるからいいんだ)、梳かしてないとか、お前何なの。こんなサラサラな髪なのに?
「梳かしてないって、いつから?」
「いつって、いや、ちゃんとする日には、ちゃんとやってる」
 ほら、学外で打ち合わせの日とか、入学式とか、対抗試合の日とか。と指をおって数えてその数は片手の指で終わった。
「今まで梳かさなくてもよかったんだけど。最近、ソファで寝ると変な寝癖つくんだよ」
「え、ちょ、それ。俺のせい?」
 住まわせてもらって、ベッドとソファを俺と佐久間で日替わり交代で使っている。枕だけ各自のを使って。ちなみに昨日、”月曜日”の夜は佐久間がソファ、俺がベッド。今夜”火曜日”はその逆となる。寝室に2つベッドをおくには狭く、俺も日本にそんなに長く居ないから、毎回帰国するとこういうパターンになる。
「いや、別に不動にベッドを貸してるからではないと思うけど。鬼道に心配されるのは本意じゃないな」
「・・・鬼道くんに何って言ったの、それ」

───不動がいると寝方が違うから、髪が乱れるのかもしれない

「バカじゃねぇの?!佐久間!」
「なんでだ」

 いや、合ってるよ?意味は合ってるよ?俺にベッドを貸して、佐久間自身はソファで寝てるから、普段と寝方が違うよ?だから寝癖がつきやすいかも、という意味は合ってるよ?でも、そりゃ、もう言い方の問題だよ。
 それで1日おきに佐久間が髪に寝癖つけてくるわけだから。なんかもう、鬼道クン、絶対これ変な想像してない?俺がちょっと心配性なだけ?とりあえず、鬼道クンにSNSのメッセージを送るため、手元でメッセージを作っていると。
「何だよ、不動。鬼道に何送るんだよ」
「覗き込むなよ、おい。・・・おい!邪魔!近い!」
 ”おつかれ鬼道クン、佐久間の寝癖は佐久間のベッドで俺が”───で、親指がミスって送信。
 ってちょっと!何これ!わ!既読つくの早!!こわ!!ああああ、最悪だ!!なんて文のところで送って、ああ!
 ”♪〜〜!”
 佐久間の仕事バッグから着信の音が鳴って、佐久間が「あ、鬼道だ」とスマホを持って、別室に電話しにいった。なにこれ、もう最悪なんだけど。とりあえず、”佐久間の寝癖は佐久間のベッドで俺が”の続きの文を作る、俺が佐久間をソファに時々寝かせてることを謝る文面。って、なんで俺が鬼道クンに頭下げてるのか、これ意味わかんねぇな。佐久間は鬼道クンの備品かよ!
「・・・」
 別室から出てきた佐久間の顔が耳まで真っ赤になってやや俯いていた。あ〜、これ怒ってる怒ってる。
「・・・不動、お前、変なメッセージ、鬼道に送るなよ」
「てめぇが邪魔したから誤送信したんだろうが!」
 佐久間が鬼道クンに何を言ったか知らないが、そっから機嫌が悪くもうこりゃ距離とるしかねぇなってことで。基本的に切り替えが早い佐久間が、唯一感情を引きずる相手が、そう鬼道クンその人だった。

 で、水曜日。柔軟剤を間違えて買ってきちゃって。
 こうなっちゃうと佐久間は柔軟剤の香りの違いになんか気づかないし、水曜は佐久間がソファで寝る番で、寝る前に念入りに枕をソファにセッテイングしている。
 それでも次の日、木曜の遅い朝。肩口にピンと跳ねた寝癖を鏡でみて頭抱えてるしで。
「水つけて梳かしてブローしたら直るだろ。風呂上がりみてぇに」
「そっか・・・」
 で、結論からいうと、まっすぐな髪がまっすぐにねじ曲がると、もう全然寝癖が直る気配がない。もう風呂入ったほうがいっそ早いんじゃねぇの?これ。寝癖が治らなくて泣きそうな顔してるんだけど、コイツ、女子中学生か?精神年齢。その日は結局、出勤前に風呂入り直して問題は解決した。

 そして、本日、金曜日。
 俺は「寝癖直しスプレー」というものを知ったのである。
 しかもコレ、何パターンも種類があって、しかも割とお値段高め。失敗したくない金額ではある。煌々としてる化粧品カウンターの店員のお姉さんと目があう。あ、そうか、聞けばいいのか。
 化粧品カウンターの店員のお姉さんは丁寧に、”さらさらって書いてあるのは、朝、髪がぺたっとしてボリュームなくなっちゃうタイプ、逆にしっとりって書かれてるものは、朝パサついて広がるタイプ”という感じで、商品を指さして教えてくれた。
「へぇ」
 店員のお姉さんが、俺の髪、とくに頭頂のほうを見るので「いや、俺じゃないんですけど」と片手でヒラヒラと否定して、”髪がいつもは長いストレートのやつが、ひと束くらい跳ねるんで”と、こう、肩口のあたりが、と手振りで解説する。
「じゃぁ、泡タイプもいいですよ。ロングの方は、液体のスプレーは髪全体にかかると、乾かす時間かかりますけど、泡だと手でピンポイントに髪につけれるので」
 よくわからないので、オススメされるままにそれを購入したわけだ。

「え?買ってきた?」
 寝癖直し剤の小さなボトルを珍しそうに底の裏まで確認した佐久間が、小さく礼をつぶやく。
 使い方の小さい字のメモを読んでいる。
「・・・ベッド借りてるの、俺だから。俺がブローしてやってもいいぞ」
「何それ、怖い」
 佐久間の人を信用してない左目が完全に”お前の髪型では説得力がない”と断言している。
「よく、人の髪。ブローしてた」
「何だよそれ、女自慢かよ」
 そっちの意味じゃねぇよ。
 結局、土曜の朝。ソファで寝た佐久間の肩口がまた一束、跳ねている。今日は雷門中学との練習試合ということで朝早くからの準備。佐久間は自分で、寝癖直し剤をつかってブローして出かけていった。
 夕方頃、帰宅した佐久間は”いいモノもらった!”と、自慢げに何かを見せてきた。それは黒色のテラッとした素材の何か。
「何だこれ」
「シルクの枕カバーだってさ。寝癖がつかなくなるらしい。音無さんからもらったんだ」
 おおかた鬼道クンが妹の音無に、佐久間の寝癖のことをベラベラしゃべったのだろう。音無の気の使い方が、女子っぽいっちゃそうだけど。パッケージを開けた佐久間はいそいそと寝室の自分の枕カバーを黒いシルクのものに交換して、スマホで写真をとる音がした。お礼に写真を添えてメッセージを送信しているんだろう。マメだ。鬼道クンがらみのことになると、本当にマメだ。何だ、こいつ。

 で、土曜の夜は佐久間はベッドで就寝。俺はソファ。
 日曜の夜、こいつがソファで寝たはいいんだけど。月曜の朝、俺が朝リビングに入ると、黒い枕がソファの下に落ちていた。なまじシルクのカバーがツルツルしてるせいで、滑るみたいで。あ〜〜あ、と思って通り過ぎたら。
「・・・不動、おはよう」
「まだ寝てりゃ静かでいいのに」

 ぼんやりした顔の佐久間が、そうだ、髪、髪どうだ?!と一気に眠気が醒めて起き上がる。
 洗面所にいったヤツは、「うわー」という残念な声がした。
 黒い枕がソファの下に落ちていることに佐久間はまだ気づいていない。
 本日は、週明けの月曜日。
 今朝の寝癖は、最近で一番ひどいだった模様。

 東京生活の、一週間が始まる、朝。

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