潮騒インディゴ

 久遠監督が俺の履いていたクロップドのデニムを見て、眉をひそめた。なんというか、怒られる、みたいな雰囲気だったので、俺は無視を決め込んで佐久間と食堂を出ようとした。今日は半日オフ日だぜ?説教なんかくらいたかねぇよ。

「不動」
 ほらきた、説教だ。俺の履いてるデニムに一瞥をくれる久遠のおっさん。
「不動・・・その膝丈のジーンズ、なぜ破れている」
 俺の隣にいた佐久間が、揺れる肩で笑いを抑えて「鬼道と同じこと言ってる」と我慢できず小声でこぼした。
「監督。これは、こういう、ファッションです」
「それくらい知っている。破れ過ぎている、と言ってるんだ」
 うう、面倒。面倒な大人の人きちゃった。ダメージジーンズ知ってるのに、破れすぎてるとか、なに、この人、他人の服にいちゃもんつけてんの。
 そう、実はこのデニム、もともと佐久間がライオコット島のどっかの店で購入してきたものだ。佐久間いわく”私服で街をウロウロしてると女と間違われるから、悪そうな格好すれば、女に間違えられないだろう”って購入したのが、このクロップド丈のダメージジーンズ。
 ところが。残念なことに、買い物終わって宿舎に戻った佐久間が、鬼道クンにそのダメージジーンズを履いてお披露目したところ。
「なぜ破れている」
 そう言われて、佐久間が”いや、鬼道。これはこういうデザインで”と真剣に真面目に解説したんだけど、鬼道クンにはちょっと理解の範疇外だったみたいで。破れたものを売るとは何事だ、ちゃんとしたデニムを売れと電話でクレームするぞ、って言い出すもんだから、佐久間が慌てて止めて、なんやかんやあって今度、佐久間は鬼道クンのいう”ちゃんとしたデニム”(?)を買ってもらえることになったらしい。何だそれ。ちゃんとしたデニムって。でも佐久間はホントその話してる時、ニコニコで、何なんだお前。
 で、その佐久間が買ったダメージジーンズが、なぜ俺の手元にあるかというと、鬼道クンの発言1つでニコニコした佐久間に押し付けられたからである。
「お前だったら、似合うだろ?」
「・・・つぅか、いくらしたよ?俺、払えないぜ」
 すると”いいぜ、無駄になんねーならいいよ”といいだすので、まぁ、それもそうだな、とお古もらう感覚で引き取ることにした。ほぼほぼ新品。サイズ感も悪くねぇ。
 それでさ、オフの日の今日、朝、それを履いて食堂に行ったわけよ。朝食用のトレイをもった鬼道クンと佐久間に「すごく似合うな!」と変な納得されるし。おい、鬼道クン、俺に対して”なぜ破れている”って突っ込まないのかよ、と思っていたら、そこで久遠監督だよ。出たよ。
 そして、なぜ破れている→監督、これは、こういうファッションです→それくらい知っている。破れ過ぎていると言ってるんだの応酬。
「冬花」
 食堂の片隅で女子同士で朝食していた冬花が顔をあげた。父親である監督に”はい”と返答して、素直に楚楚としてこちらにくると、久遠のおっさんはとんでもないこと言い出しやがった。
「不動がちゃんとした服が買えるか、お前が監視してくれ」
 久遠のおっさんがケツのポケットから出した財布、そっから薄黄色の100ドル紙幣。受け取ったのは、俺じゃなくて冬花の手。”はい”と答えてる冬花だけど、明らかに顔が不安そうなんだけど。え?何これ、どういうこと?

 そっから、今、ライオコットのでかいショッピングモールにいるわけだ。
「春奈さんから頼まれた、寿司酢・・・?」
 出かけ前に、鬼道クンの妹の春奈から、”おたまにぎり”に使う寿司酢を頼まれたけど、寿司酢なんかこの島にある気がしない。
「寿司酢じゃなくても、あれだろアップルビネガーに塩と砂糖いれたらいいだろ」
「え・・・?アップル・・・し・・・塩・・・?不動くん・・・?」
 も、ものすごい疑われてる気がする。もしかして、コイツ、料理したことないのか?今、めちゃくちゃ微妙な表情なんだけど、この人。
 いろんな国の食材を売ってるコーナーに入って、なんとか日本食コーナーを発見。酢の種類を色々みて、寿司酢はなかったけど米酢があって、まぁ、これで作れるだろ。寿司酢。
 そのまま3階にあるデニムが売られているインディゴ・バーに立ち寄った。本日の目的のデニムを物色する。
「父もわかってるんだと思います」
「何を?」
 ”ほら、ダメージジーンズがファッションだってことを”と冬花が続けた。冬花の手には刺繍のついたレディースもののデニムスカート。まぁ、あのおっさんオシャレっぽいし、わかってて言ってたんだとは思うけど。
「ちゃんとした物を、身につけてほしいんだと、思います。金額の多寡ではなく」
「なんで?」
 冬花は笑ってるのか無表情なのかわかんねー顔で、”父は、ほっとけないんですよ”とこちらを見た。紺色のまん丸な目、長い睫毛。薄紫がかった長い髪。コイツ、血、繋がってないんだっけ?あのおっさんと。でも髪色とか同じだなってなって、適当に俺は納得した。
「破れてなきゃいいんだろ、これでいいや。サイズは多分あってる」
 インチ表示のサイズを見て、今履いてるデニムの表示タグをめくって確認する。多分あってるはず。もうちょっとゆったり履ける上のサイズでもいいくらいだ。
 いかにもインディゴ!というカラーで、誰がみても文句がでねぇ感じのストレッチの効いたジョガー。
 その場で店員が会計してくれて、レシートとともに釣り銭を持ってくる。ほぼ半額が帰ってきた。この釣り銭渡しても、あのおっさんは喜ばないと思うけど、おっさんにとっちゃ、破れてるか破れてないか、それが問題なわけだ。

「・・・アンタさ」
「はい?」
 隣を歩く冬花の歩幅に合わせて。たまに先を歩いてしまう俺はそのスピードを遅めて、振り返った。
「髪、後ろ。暑くねぇの?」
「あ、はい、・・・まぁ・・・」
 ふぅん、まぁ、誰がみたって肩甲骨くらいまで髪ありゃ暑いだろうな〜とは思うけど。
「アンタ、髪、上に括れば?」
「・・・ポニーテールとかのことですか?」
 ああ、そうそう、そういう。夏美ってヤツも髪が長いけど、あいつ別にマネジの仕事してないし。チャラリと、ポケットから音がする。おっさんから預かってる金の釣り銭の小銭と紙幣の音。
「アンタの父親から預かってる金で、髪留め買おうぜ?」
「え?!でもそれは、不動さんが預かってる・・・」
 まぁまぁ、別にいいじゃん。どうせ宿舎にもどったらおっさんに返す金だし、そもそもおっさんとアンタは同一会計なわけだし。俺は髪かざりが飾られてるところに足を向けた。困ったような顔をした冬花がついてきた。
「父にどう報告すれば・・・」
「は〜?別に、最近暑いから、髪留め買いました〜でいいんじゃね?好きなの選べば?」
 うう、と声に出して、冬花が髪留め一覧の前で固まってしまったので、俺は代わりに、その薄紫色の髪に目立たないような同色の薄紫のヘアクリップを手にとった。シンプルでいいじゃん。こんなの、髪とめるだけだし。
「やっぱり、ダメです。こういうのは、父にうまく言い訳できません」
「あー・・・」
 そうか、下手なんだな。この人。”父親”に甘えるのが。ワガママ言えないし、いい子演じるしかないわけだ。そしてそれは、誰の前でも、板についてそれはまるで本当の性格のように。
「じゃ、いいや。俺から今日の詫びってことで」
「余計にダメですよ!父から、怒られますよ!」
 怒られる?どっちが??俺が?アンタが?とおもったけど、なんとなく詮索するのも面倒で、そのまま薄紫の髪留めを店員に会計してもらった。10ドル弱の髪留め、包装紙につつまれたそれを自分のパーカーのポケットにねじ込んだ。
「・・・」
 冬花が、まだ困ったような顔をして黙ってる。
 ショッピングセンターのバスターミナルには、島をめぐるシャトルバスが頻繁にでていて日本の宿舎にもどるためにそれに乗った。そのバスの中。
「受け取れません」
「言うと思った」
 俺は肩をすくめて半笑いで冬花の顔をみた。こういう頑固で素直じゃない、いい子でいたいヤツに正攻法は通じない。 シャトルバスで日本エリアに戻って、宿舎で買ってきたデニムに着替えた。釣り銭を適当なその辺にあった封筒にまとめて、ダメージジーンズを片手に久遠のおっさんを探した。
 久遠のおっさんは、響木さんとロビーのソファにいた。午後からの練習メニューのための打ち合わせのようで、タバコの煙が上がっている。
「・・・監督」
 おっさんと響木さんが振り返る。”これ、釣り銭”と返すと、中身を確認した久遠のおっさんは”使い切ってもよかったのに”と無表情のまま、その封筒をジャケットにしまい込んだ。
「監督」
「なんだ」
 久遠のおっさんがソファに座ったままこちらを見た。
 おっさんがタバコを灰皿に押し消して、フッと煙を横にふく。
「その・・・わ・・・悪かった。金だしてもらって」
 すげーいいづらい。でも、そんな心情を察したようなおっさんが真顔で真正面から俺を見た。
「こういう時は、”ありがとう”で、いいんだ。不動明王」
「!」
 びっくりしたまま固まってると、響木さんがでかい猫バスみたいにニィィって無言で笑って、もう、俺はいたたまれなくなって。
「不動〜!服、似合ってるぞぉ」
 なんて追加攻撃しかけてくるから、こっちは耳まで熱くなってそのまま”あ、まぁ”と返事して自室に戻ろうとした。クソ、大人の男の人は苦手だ。何考えてるかわかんねぇし、こええし。

 微妙な気分になったまま、海帰りの綱海とすれ違う。俺が片手にもっていたダメージジーンズを目ざとくみつけて”かっけーじゃん?!”と声をかけてきた。
「不動、はかねぇの?それ」
「・・・久遠のおっさんに、破れてるっていわれた」
 綱海は”あ〜、それな〜”って片目を瞑って笑って、じっと俺の手にあるダメージジーンズを見ている。
「・・・アンタ、これ、要る?」
「おおお!!まじか?!不動!!お前、いい奴じゃん!!」
 いや、このデニム買ったのは佐久間だけど。
 そのまま綱海にダメージジーンズを渡すと、”これ海で履いてもちっと色落とすんだ〜”とか勝手にニコニコして”ありがとうな!不動!”と軽快に綱海は自室に去っていった。
 ふと、パーカーのポケットに手を入れた、そうだ。髪留め!これ忘れてた。
 冬花の部屋をノックして、この髪留めの包みを見せると、やっぱり小難しい顔になってしまったので、そのまま、廊下の奥の部屋を指差した。
「何ですか」
「いいから」
 冬花が後ろから不安そうについてくる。その奥の部屋は佐久間の部屋だ。俺がノックすると佐久間は、鬼道クンがきたのと勘違いしたのか、えらく笑顔で扉をあけたが、来訪が俺と知るとその笑顔が一瞬で曇天みたいな顔になって”何だ”と低い声でこちらを睨む。
 でも、その目が俺の後ろの冬花を捉えると、佐久間はあっという間に慌てたように瞬きして繕った”いい子”の顔になった。
「いや、お前、髪の毛、暑そうだなって」
「はあ?」
 手にしていた包みを”これ”と、出して佐久間がそれを受け取る。
 包みの中を開くと、薄紫の髪留めが入っている。それを見て、佐久間の目が左右に泳いだ。
「なんで・・・これ・・・」
 佐久間が動揺して、冬花を見た。
「なんで・・・もしかして・・・冬花さんが・・・俺に・・・?」
「あ、違います。不動さんが買いました」
 冬花に即答されて緊張が解けたように佐久間が”なんだぁ”と安堵して、その髪留めをぐいっと俺に突き返してきた。
「いらない」
 俺は髪留めを受け取って、そのまま後ろの冬花にポイっと渡した。
 驚いてそのまま、受け取った冬花。
 驚いてそのまま、まん丸目になってる佐久間。
「あ〜あ〜、俺がせっかく買ってきたのに。佐久間クンが要らないっさ〜〜アンタにやるわ」
「?」
 演技がかった間延びした言い方で冬花を見た。
 そう、この髪留めは”佐久間”の長ったらしい髪の毛を見かねた俺が購入して。佐久間に渡したら、ご覧の通りに突き返されて。不用品になっちゃった。そんでこれを、冬花にスライド譲渡した、だから、これは俺が冬花にあげたわけじゃない。そういうことで。
「・・・不動、お前。最初からそのつもりだったんだろう。冬花さん困ってるじゃないか」
 ”人をダシにつかうなよ”とムッとしてる佐久間だが、冬花がいる今、俺たちはいつもみたいな口汚い見苦しい応酬はしない。
「じゃ、佐久間、お前が素直にもらえばよかったのによ〜?」
「誰が!お前からなんて!」
 後ろをみると、冬花が手元で髪留めを所在なさそうにいじっている。
「つーことで、冬花はさ?久遠のおっさんに何かいわれたら、”佐久間さんから不用品もいました〜”って言えばいいんじゃね?あんたの父親、佐久間が鬼道クンのシンパって知ってるし」
「おい不動、シンパってなんだよ、その言い方」
 そうして、無事、おっさんの金で買ったこの薄紫の髪留めは、おっさんの娘の冬花の手の中に行きついたわけだ。
 後日、朝の波から帰ってきた綱海がこの島の郵便局に行くから場所教えろというので、何かあったのか?と聞いてみたら。
「あれあれ!あのダメージジーンズ。ちょっと波と砂で色落として、オークション出したら売れたんだよ。これから発送しなくちゃでさ」
「へぇ」
 上機嫌な笑顔で綱海がスマホの画面を見せてきた。
 オークション終了のお知らせの文字。
「5・・・」
「そうだよ!5万円になったぜ!!」

 嘘だろ!おい!!綱海!!
 半額くれよ!
 (元々は佐久間が買ったデニムだけど)

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